またなんか心が揺らいでいる ひどく疲れた気がする 何もないのに涙が出る もう投げ出して消えてしまいたいと思う衝動的な自分と、いずれ収まるこの波をどうやってやり過ごそうかと考える自分がいてどちらに託しても正解じゃない気がする 自分は孤独であるという影が濃くなって飲み込まれそうになる 何をしていても楽しくないような、そもそも楽しい気持ちがもう思い出せない
高校生の時、部活の後輩の男子から「同級生との話題で盛り上がれない」という相談を受けた。 剽軽で人当たりもいい彼はいつも楽しそうに見えたから驚いた。明るい性格に見えるけど根は暗くて元気に振る舞うことに疲れているのだろうか、とも思った。全然違った。 「女子に点数をつけるのが辛い」という話だった。 運動部あるあるかのか高校生あるあるなのかは分からないが、コミュニケーションの一環としてクラス(周り)の女子に点数をつけて盛り上がることがあるのは私も知っていた。 現に部活終わりに部室に
私は定義できないものに不安を覚えがちである。 とはいえこの世には定義ができないものの方が多いし、 そもそも定義自体が誰かが決めた物差しであって絶対的なものではないのに 正解がまるでないものを考えると宇宙空間に放り出されたような孤独と不安に襲われるのだ。だからあまり考えないようにしている。 幸せってなんだろう 私の推しはよく「幸せになろう」、「幸せになりたい」、「幸せでいてね」などの言葉を発するのだが、その度にこの人の言う幸せってなんだろうと思う。 そして推しの言葉が移った
私は小学校2年生くらいから運動時に違和感を抱えるようになった。 動き出すとほぼ毎回の頻度で数秒後に体が硬直するのだ。硬直するというか、自分の意図と関係ない方向に手足が動き、顔が強張る。顔が酷く歪むので咄嗟に隠そうとしても手も捻れて上手く動かない。 そのせいか鬼ごっこで最初に捕まるのは私だったし、体育の50m走も必ず途中で不自然に失速するので「途中で足がもつれたんだよね」とごまかしたりしもした。 運動自体は好きなので運動部に所属していたけれど、顧問の集合の号令に走って行こうとす
【検索】 マウント 取るのやめたい 昨日の夜の私の検索履歴。 やはり人間は夜の方が本音が出やすいし、ネガティブにもなりやすいのだなと痛感。マウンティング、通称マウントとは「自分が相手より優位であることを主張する言動」のことであるが、これが専門用語としてでなく一般に使われたり、話題になり始めたりしたのっていつだったろう。 少なくとも私が小学生の頃(2010年付近)はあまり気にされていなかったような。 私は自分で言うのは非常にアレだが幼い頃は神童だった。最近は母にもネタにされ