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自民党―「一強」の実像

そもそも自民党は、新たな選挙制度の下で実地された1996年の総選挙以降、低い投票率に助けられてきた。1980年代に比べて、自民党の絶対得票率は大幅に低下しているが、相対得票率でみると、あまり低くなっていないのは、投票率の低下ゆえである。
(中略)
しかし、自民党の強さは盤石なものではない。しかし、非自民勢力が結束した上で無党派層を動員できない限り、自民党の優位は崩れない。
p144


私が本書を読んだのは2021年8月、世間が五輪で騒いでいたころである。そして時折、「支持率30%」という数値が何故これを下回らないか不思議だった。そういう意味では、この問いに対して一つの解答を示すものだと思う。
これは、戦後から田中時代の派閥争い、金権腐敗から、90年代の細川に政権を譲った後、小泉が台頭し、そして二度目の下野からの安倍政権への流れが主に取り上げられている。
私にとっては、ここ2~30年の政治に関する空白を埋めると共に、自分の人生というか、余りにも直結している景気の後退が政治と関わっていることを実感し、そして口惜しい思いもあるという、ある意味予想外の本だった。

冒頭の30%という岩盤支持層なのだが、選挙で10人中5人が参加しそこから3人が自民に投票する事で多数決が得られるというのが今の日本の民主主義の実態である。少なくとも本書はそう書いてるし、内実、私もそう思ってはいる。指摘するように、選挙に行かない人が多ければ多い程彼らにはメリットしかないわけだ。
しかし二度の下野経験は、いかに非自民を分裂させ、更に地道な地方での票獲得に力を注いだからこそ阿部長期政権が出来上がったという事だ。

都会の若者が選挙に行かない、これをどう考えるべきだろう。
実の所私も完全に無関心である。とにかく選ぶまともな党も人もないのだ。党はともかく人を調べても2世だとか経営者の子弟だとかそんなのばかりの上級国民しかいないのである。下げた頭の向こうでは舌を出してるに決まってるのである。そんな状態をもはや子供でも知っているし、一体誰が期待できるだろうか。
こうした状態が無党派層を無限に増やし続けるのもある意味自民の計算の上だとも考えられる。そして我々は自発的にそう考えていることも、誰かの手のひらの上で踊っているだけかもしれないと思うと、なんだか怖くなるのである。そして意図的にそう仕向けたからこそ彼らは与党でいられるというスキームを得ているのだ。二度の下野経験は彼らを逆に強化したとも言える。

さて本書に戻そう。
私が驚いたのは、公明党の集票力はなんと600万票であるという。という事は6000万の投票者に対し、10人に1人が公明票なのである。
自民党が与党であり続けるには公明との連立が大きな割合を占めているのが分かるし、また知らなかったのだが、彼らはお互いに票の譲り合いをしてるのだという。つまりAの区では自民を推す代わりにBでは自民に推してもらうのである。
おかしなことだが、学会信者でも意図的に自民に入れてるケースがあるわけだ。

また神道連盟などの宗教団体についての記述も興味深かった。ただやはり気になったのは、彼らも高齢化で信者を年々減らしているという事実だ。いや、変な話だが、若者にそっぽ向かれるような団体はいくらでもあるわけだが、宗教もその一つというわけだ。


もう一つは、宗教団体そのものの衰退である。文化庁が発行する「宗教年鑑」の信者数のデータは、各宗教団体の自己申告によるものであり、脱会者を計算にいれないなど水増しが多いとされるが、それでも2015年には最盛期に比べて、霊友会が27%、仏所護念会教団が53.8%にまで落ち込んでいると報告されている。自民党を支えてきた新宗教の主要団体のほとんどが、大幅に信者数を減らしていることは間違いない。なお、神社本庁もピーク時に対して81.7%に減少している。
p211


とのことだ。創価学会は高度経済成長で信者数を伸ばしたそうだが、その後は家族内、つまり下の世代に布教して拡大してきたという。要は、親が学会員なら子も学会員というパターンで、ところが今は少子化どころではなくそもそも所帯を持たないのだから推して知るべしだろう。

次は二世三世議員である。


とりわけ自民党総裁は、55年体制の崩壊後、森喜朗を唯一の例外として世襲議員が続いている。河野洋平、橋本龍太郎、小渕恵三、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、谷垣禎一の8名である。このうち広義の世襲議員で、狭義に当てはまらないのも、小渕と麻生しかいない。1970年代から80年代にかけて総裁に就任した「三角大福中」には世襲議員が皆無であったが、ポスト小泉を争った「麻垣康三」はすべて世襲議員であり、きわめて象徴的である。
p177


大体世襲議員は3割から5割で推移しているようだが、本書での指摘は、逆風に強いという。つまり若く立候補することで当選回数を増やすチャンスが多く選挙区を問わず活動が可能であり、先代からのコネクション、資金力は都市地方を問わない。
こうなると増えるしかないのである。一旦スキャンダルや敗北をしたところでいくらでも立て直せるわけだ。
本書によると小泉以降、新人を起用する事が増えたらしい。いわゆる「選挙の顔」である。女性を多用するのもその一貫である。またこれは私見だが、顔そのもの、つまりルッキズムで頭の悪い有権者を引き込もうとしてるのは恐らく誰もが感じているに違いない。失言3バカトリオの話が出てくるがいずれもまともそうな顔をしている。宮崎謙介、武藤貴也、杉村太蔵らはいずれも公募新人らしい。もちろんこうした人選が実際の所ブラックボックスではあるが。
新しい顔どころか、カネで人を支配できると考えるサイコパスばかり多用してるというのが私の率直な感想だ。ああ、もちろん同意は要らないが。


幹事長のはなし。
幹事長と言えばなぜか小沢という印象が強いのは私だけだろうか。
ともかく選挙で勝ったり負けたりするわけだが、そこで彼らが目指すものは何か。それが、幹事長、総務局長、政調会長、そして後になって選挙対策委員長の4つのポストが彼らのいわば一つのゴールであるという。
この幹事長の権限はかつて強大であったそうだ。何しろ電話一本で資金をいくらでも引き出せたというのだから。まあ今は色んなプロセスを経て弱まったらしいが。
そしてゴールとして閣僚があるわけだが、ふと思ったのだけど、例のセクシー議員。あいつは環境大臣なのだけど、どうも位置的にはお味噌であるらしい。なんだかコネで成り上がって皆は羨ましいと思うだろうし私も思うのだけど、彼らの中では「なんかテキトーなポストやっとけ」くらいのポジションだと考えると、まあ、多少の溜飲は下がるかもしれない。やはり重要かつ実力のある議員は当然それなりのポストを巡って争うものなのである。

政策のはなし。
本書で政策自体はほとんど扱われない。少し笑ってしまう――いや笑えないのだが、何しろ「自民党議員はこれまで消費増税以外で政策で一致したことが無い」のだそうだ。
それくらい政策の話は出て来ない。すべてはポストの配分で揉めているだけである。考えたら分かるが公約を果たした議員がいるのだろうか?公約を果たせなかった議員が腹を切っただろうか?それは誰も政策にはまったく関心が無いから、当然そうはならないのである。うん、悲しいかな、そういうことなのだ。
小泉時代に激減した公共事業費を阿部は再び増額した。これは言うまでもなく戦後の利益誘導政治に回帰しているだけで政策とは言えない。単に地方の票が欲しいだけである。

財界のはなし。
面白いのは、財界はカネはあるが集票能力は全くないという記述だ。確かに持ちつ持たれつなどとは言うが、政治屋とはやる事が別物であり、ただ金があれば何でもできるという仕組みでは、どうやらなさそうだ。歴史的に献金自体締め付けを食らっていてかなり制限はあるようだ。しかしそこは蛇の道は蛇、どうとでもなっているのだろうなとは思うが、さすがにそこまでは書かれてはいない。

後は阿部の改憲草案だろうか。
彼が右傾化してるのは誰でも知っているが、例えば自衛隊を国防軍にしたがっているという。いっそ満州侵略軍にでも好きにすればいい。また滅亡すればいい。また不思議だったのは「犯罪被害者の人権」というもの。一瞬何かと思ったが、要するにA級戦犯である自分の爺さん、つまり岸信介が未だに犯罪者であることを認めたくないのである。そしてその足枷がなくなれば首相自ら大手を振って靖国に8/15に行けるわけだ。また「天皇を国家元首に」というものだ。いやもう、言葉が出ませんね、コイツは狂人ではなかろうか。またやりたいらしい。――あの戦争を。

興味深いものは上げればキリがないのだが、列挙してみる。

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生放送「カフェスタ」党本部一階の喫茶店らしい。youtubeを使わない所が政権側の態度である。こんなもんの存在自体、多分誰も知らんだろう。

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中央政治大学院 などという謎の下部組織。ここからシンパを増やすのも選挙活動の一貫だが、名前すら知らなかった。よく靖国参拝で「お国のために尽くしたのだから英霊のために閣僚が参拝するのは正しい事」とかyahooゴミ袋で書くのはこういう連中なのかもしれない。もちろん、ノルマ制で。

そもそも麻生が為公会という派閥のドンらしい。漫画でも読んでろバカ。
為公会 麻生
宏池会 岸田文雄
水月会 石破
番町研 高村正彦
清話会 細田博之
志師会 二階俊博
平成研 茂木敏充
近未来研 石原伸晃

後援会名簿は「命の次に大事」

失言3バカ 宮崎謙介 武藤貴也 杉村太蔵 いずれも公募新人らしい。ルッキズムですねえ。

小泉を劇場型とかポピュリズムとか言うが、ナポレオン3世だよな、無駄に労働者に寄せた恰好したり。ナポレオン3世はメイドをレイプした事があるらしい。こんなのでもメディアとタッグを組むと大領領。これが現実ですね。

橋本聖子「元スケート選手」

長くなってしまったが、最初に知った、そして自分が如何に無知でありなんの関心もなかったかを正直に吐露しよう。

今は、小選挙区比例代表並立制であるという。
元は中選挙区制だったのだが、この仕組みだと与党にとって不利である。なぜなら同じ選挙区でバッティングするから。だから自民党は自分に有利な小選挙区制に変えたそうだ。

もう一つは、政党交付金。
国民一人当たり250円、総額で300億。
私がいつどこで払ったか記憶もないし許したことも一切ないにも関わらず払わされているらしい。
これもかなりのブラックボックスだと思うのだが、これはかつての利権誘導、金権政治が横行した反省から、それらに規制をかけあらたに設けた制度であるという。そしてこれらを今の議員らは取りあいをしているわけだ。
いやまあこのお題目は最もであるように思える。しかし、阿部政権は地元の票を集めるために有力者とのパイプ作りをして当然見返りを与えている。こういうのを金権腐敗と言うなら、今はかつての利権政治と交付金の二重取りをしているわけで、だから議員が「ボーナス300万チョリーッスwww」とかいう庶民感情を逆なですることになるわけだ。違うだろうか。
ただ一点、共産党だけはこの政党交付金を受け取っていないという。実は少し見直した。しかし、今、共産主義であることはどうなのだろう。私には分からない。

――最後。
この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば

世の栄華を極めた権力者の歌というのは自然と内面が現れるものだと思う。私は知らなかったが、嫁はホストまがいのチンピラと官邸で写真を撮っていたという。お花見をするのも有象無象の輩が豪華な食事をしつつこの世の栄華を極めてさぞ面白おかしく生きているのだろう。
宇治の平等院の壁絵には(実際に調べても出て来ないのだが)、当時の末世思想とあいまって、貴族たちが財産を持ってそのままの姿であの世に行く絵が描かれているという。
1000年後、日本がまだ存在するなら彼らは今をどう思うのだろうか。

徒然草 ( 2 / 2 )

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