抑留のハナシ「和子の満州抑留記」中井和子
抑留と言うとシベリアが思い浮かぶ、、、という人も今は少ないだろう。少なくとも私は抑留について誰かと喋ったこともないし喋ろうとも思わない。かと言って大上段から「日本の過去を残しておきたい」という気概もへったくれもない。しかし時折私の関心はこの事に向かう。なぜだかは説明しない。
実の所、この本を紹介するか迷った。
ハッキリ言うとステマでもあるし当然私には何のメリットもないが、かといって私の独断の話しを公に書くことで迷惑がかかるかもしれないからである。
――というくだらない言い訳を先にしておく。
私はとある理由で梅田に行った。その時に知ったのがこの本である。
私には少々痛い1400円の本を買ったのも、この本屋で気になったからである。この地下の階段の片隅にある本屋は自費出版が専門であるという。話を伺うと、この方は息子さんが母が書いたものを持ち込み出版に至ったそうである。どうもこういうファミリーストーリーが嫌いでなんとも言えないのだが、それはともかくこの方の体験は抑留について新たな知識を得ることが出来たと思う。
昭和20年8月9日の朝、私はいつものように8時過ぎに出勤した。事務所の入り口の外で待っていたのか、一等兵の鈴木さんから呼び止められた。「まだ誰にも言わないで」と口止めされて、「今朝未明から突然ソ連からの攻撃が始まり、東寧街はまだ騒ぎになっていないが、早く帰って逃げる用意をして、またここへ戻ってきなさい」と告げられた。
p49
ソ連が突如不可侵条約を破り満州に押し寄せた。当時の満州については、wikiでも書かれているが、最大で3000万の人口があったという。アカシアの大連では近代的な街並みがあり、アジア号などという特急列車が走る近代化を進める一大経済圏だった。言うまでもなく関東軍が支配した地域であり、大東亜共栄圏という名の植民地政策でできた国家だった。しかし日本は核を落とされ敗北が決定的となった。長崎に落とされた日とソ連侵攻が同日というのも、恐らく何かあるのだろうとは思うが、ただの想像である。
本書でこっそり告げられたソ連侵攻の話しで私は村上春樹の1Q84を真っ先に思い出した。主人公の父親が馬を用意して逃げたとかいう話しも、こういうエピソードをどこからか知って小説の「ネタ」にしたのだろう。
シベリア抑留では、吉田正という作曲家の物語や、石原吉郎の話などはもはや悲惨どころの話ではなくて、どれほどの日本人が苦難し死んで行ったかを知ることが出来る。
この本は、中国に抑留、残留した記録で、生きて帰ってこれただけ運が良かった――と言えるとは思うが、しょせん、数世代後の何も知らないオッサンの感想に過ぎない。しかし一般的な抑留から考えると運がいいと思ってしまうのだ。
まず興味深かったのが満州に行った動機である。まあこれは読んで欲しいと思うので書かないけれど、「え?そんな理由で行くの?」というくらいで拍子抜けするほどである。誰もかれもが農民の次男三男で行く当てがなくて行くわけではないのである。
当時の満州にはなんでもあったという。
街は日本の内地と変わらないほど、色々な商店が建ち並んでいた。主に軍人相手の料理店が軒を連ね、追々分かったことだが、いわゆる水商売の女性たちを抱えた、料理も出す料亭でその名も水月、入船、成駒、末広、香月、更科といった聞きなれた名前であった。
それとは別に、日本料理を専門に出す高級割烹店も数軒あった。寿司専門や甘党、喫茶店、レコード店、散髪屋、風呂屋、写真店、豆腐屋、中国人の経営する百貨店等々。それから映画館、東寧神社、東本願寺、県立病院、陸軍病院等・・・と一応揃っていたようである。
p28
映像の世紀でも描かれていたが、神社や本願寺まである、あったというのは余り知られてない気がする。当時は遥拝というのがあった。遠く満州からも皇居に向かって礼拝してたのだろう。なんというのだろう、同じ日本人とは思えない、そんなしょうもない感想しか出てこない。
結局彼女は日本に帰るまで8年を要した。この間の記録も興味深い。
当然そのあたりは中国共産党の支配下になる。共産党は国民党と戦争中であり、日本の戦争は終わったのだがここではまだ戦時下なのだ。この間医者と結婚したそうなのだが、医者や元軍人、エンジニアなどは中国共産党としては必要な人材である。内戦での傷兵を診たり、また中国人にパイロット技術を教えたらしい。故にその妻として、半ば脅迫されて居留していたということなのだそうだ。
―――
この年の初夏、まだ空襲はなかったが、物資は窮乏し、緊迫の状態が続いていた。
p23
他の人たちからも、満州へ行ったら寒さで鼻がもげるとか、耳が千切れるとか言って脅された。
p24
これは昭和18年3月の頃のエピソードで、彼女が満州行きを決めた当時の雰囲気を伝えるものだ。
未来からみた私からすると、ハッキリ言うとこの時に自ら満州へいくなど自殺行為としか思えないわけだが、よくよく考えると日本が敗北しつつあるというのは大本営によってひた隠しにされ実態を誰も知らなかったという背景がある。
映像の世紀 第5回「世界は地獄を見た」からだが、ミッドウェーで壊滅的な敗北をしたにも関わらずニュースでは真逆の情報を流し続けていた。これが昭和17年6月ごろの事で、ガダルカナル陥落が昭和17年8月のことだ。
そこから半年以上経っているにも関わらず国民はある程度の緊張はあるものの、まさかそこまで敗北続きだという事を知らずにいたということが分かるエピソードだと思う。
結局庶民なんて肝心な事は何も知らない、というのは今のネットでのフェイクやスピンとか言われる通りだと思うし、何らかの偏向バイアスで勝手な解釈だけが独り歩きしているのだろう。
この方は何度も
「戦争が終わるまで結婚はしない」
という自己ルールを決めている。こういうことって中々決められないものでいわば状況に合わせなし崩しになることが多い。もちろんそれが結果に反映されるとは絶対にあり得ないとは思うのだが、クリティカルな状況で判断の基準があやふやな場合ほど、それを指針にできるのだろう。
私もそういう類のものがあるのだが、なんだか報われないと思う。まぁ私が戦時にいたらすぐ死ぬタイプだなあといつも思う。
私も死んだら誰かの枕元に亡霊になって出るのだろうか?