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反知性主義者の大阪散歩 法善寺、生魂神社

昨今オーバーツーリズムらしいということで道頓堀から。思うんですが、オーバーツーリズムを中国人は帰れというヘイトスピーチに利用してる人は何なんですかね。まぁ外国人がそれなりにいるわけですが、別にゴミの山とかそういうほどでもありません。むしろもっと消費しまくってくれというくらいじゃないでしょうか。

別に道頓堀といって何がある訳じゃありません。帰ろうかと思いましたが思い付きで法善寺へ。数組の日本人中年夫婦がいますが、基本は外国人しかいない。寺というには狭すぎてどこか寺なのか疑いたくなるほどの規模ですが、とりあえず絵馬チェック。絵馬って景気の物差しですよね、などと外国語が並ぶ。タイ語、ハングル、中国語、英語、ドイツ語、まぁ外国人は平和を望む声が多い気がしますね。とはいえ孤独な中年男の居場所がありません。あの居づらさは言葉にしようがなく、社会が私を排除しようとしてる、そう思います。孤独なオッサンは言い方を変えれば物静かと言えますが、世の中そう甘くない。むしろただの変質者、なんならうろつくだけで私人逮捕されかねません。早々に離れます。

とある喫茶店へ。
紅茶は高いですが、ここはなぜか砂時計を使います。時間は本来存在しない概念ですが、その時間によって人は鎖で縛られる。星の王子様でありましたね、これを飲めば数時間の時間を効率的に使えるようになります、じゃぁ余った時間はどうするの?っていうセリフ。アルコールを摂取したりヘロインを打ったりパチスロしたりするんじゃないかな。ここはDemi rêveの惑星なのです。
「アルコールは発狂の発作を誘発するが、アヘンは節制の発作を誘発する」
フォークナーの面白さがなんだか分かってきた気がします。小泉みたいにぼんやりと。彼は南部の人間がいかに不道徳かに怒っているのだと思います。しかしその流れる血を否定することも実はもどかしい、なぜなら自分自身もそうなのだから。拳を振り上げても降ろすところもないのです。
負けた者は永遠に負け続けなければなりません。多分そういうものなのです。

文楽の劇場です。
今どき文楽もへったくれもない気がしますが、数少ない日本文化の一つと言えるでしょう。文楽の良いところは歌舞伎と違ってキャバクラ嬢の髪を掴んで恫喝しないことかもしれません、人形ですからね。違う人生ならこういう所に行くこともあったかもしれません。ただ思ったのが、お客さんらしき女性がちらほら和服姿だったことです。女性の和服姿というのはとてもいいものだと思う。服の購入、手入れ、着付け、そうした手間暇かかった日常が垣間見えるからです。自然と姿勢が良くなるのも特徴でしょう。死にゆく文化ですが、100年後我々が日本語を話してるかすらあやしい気がしてるので、まぁしょうがないでしょう。文楽は維新橋本が潰しにかかったという事でもあるらしい。保守を謳った政治家というのがいかに嘘つきかが分かります。民族文化よりアコムの方が大切なのでしょう、彼には。

実のところ久しぶりの街中で見たかったのが、これ。電動キックボードのレンタル。
走っている姿を見ると普通に車道を走る自転車という感じである。

一部ではパブリックエネミーと言われてるようですが、その雰囲気はどんなもんだろうと。しかしあまり見かけませんでした。レンタルというのも、マンションなどの軒先を借りて設置場所とするわけですが、まぁそれなりに利用者はいるようです。30分、500円とかそんな感じで、タクシーが捕まらないと言った隙間を狙ったビジネスです。
私が気になったのは一通を逆走できるというものですが、まぁ基本できるようです。荷物籠がないとか、ヘルメットがどうとか色々利便性はあるけど、まぁ利権絡みでしょうねえ、などと思うわけです。
走っている姿を見ると普通に車道を走る自転車という感じであるが大阪も路駐が多い地域だから、これから事故が増えるでしょう。私はただ飯宅配の人が巻き込まれないようにと思うだけだ。
自転車なら歩道を走る、または若い連中が車道を走るわけですが、まぁ段差があるから車道しか走行できないんでしょう。

結局生魂神社まで来てしまいました。
私は気が進みませんでした。なぜなら神は死んだ、人間に同情して死んだからです。というギャグは置いておくとしてもやはりオヤジが一人でうろつくところじゃないからです。幸福を享受できている人だけが行けばいいのだから。そもそも私に何を祈れというのか。

中には織田作之助の像があります。
大阪の悲劇は、まともな作品と呼べるものがコイツとじゃりン子知恵くらいしかないからです。千絵、だっけか。私はじゃりン子チエが成長して飛田で客を取るようになって梅毒で死ぬ、というゾラのような展開になれたなら作品と呼べたのに、って思います。夫婦善哉もガス自殺で終わるべきだった。親ガチャ失敗、泥のスプーン勢は大人しく発狂しなければなりません。

中身は神仏習合という事で真言宗と同居する形になっています。秀吉の頃にそうなったようですが詳しくは分かりません。絵馬チェックしたら

どこかで170以下は人権なしということで炎上したそうですが世の隅々まで生き渡ってるようです。もうこれだってヘイトスピーチですよね。
まぁ鉄骨造りの寺です。空襲で焼けたりと、まぁ標的になりやすい感じです。

大阪ってフラットだと思われますがここはちょっとした高台にあります。坂がありちょっと疲れる。驚いたのはちゃんと巫女さんがいたことでしょうか。女性を地獄の餓鬼道に堕ちた亡者のように涎を垂らしながら見てると私人逮捕(以下略)。私は巫女さんを見たのは初めてなのですが、なんていうんですかね、因習と言うか、溢れるエロチシズムというかタナトスを感じますね。死に装束のような。警備員は逮捕歴があると雇用されないそうですが、巫女さんだって親がまともじゃないと採用されないかもしれません。もちろん溢れるルッキズムで顔採用という露骨な印象も受けました。アメノウズメがポールダンスする神話の世界ですから、胸のサイズまで聞かれたりするかもしれません。そうなるとメガリア的な団体が騒ぐことでしょう。

中ではきちんと神主が祈祷をしています。かしこみかしこみ物申す、ってやつですね。一人5000円だそうです。乳飲み子を抱えた家族が目立った感じです。末永く幸福に生き、畳の上で死にやがれこのクソガキが、っていう感じですね。思えば私が生れた時の父が抱えているモノクロ写真を見たことがあるのですが、なぜこんなまともそうな顔の男が鬼を抱えてるかなんて想像できませんでしたね。写真なんて、創作された虚構なんだと思いますね。何も写していない。クソリプみたいなもんですよ。

鉄骨であり、敷地も広いとは言えず、普通の神社です。曽根崎心中の冒頭がここという位でしょうか。見返り柳の方が、なんだか文学的な気がする。
いや、考えたら神社に入れるってことは自分が壺関係じゃないのを証明してることになるんですよね。10年前くらい、神隠しと言われた失踪少女が親から逃げるために神社に立てこもってたなんていう物凄く深刻なニュースがありましたが、結局、ハズレ親を引くと人生、なにも良い事がありませんよね。

ともかく私が気になった唯一のものがこれです。
文字が明治何年とか不思議な感じですが、完全に放置されてる。たまたま掃除の方がいたので尋ねてみたところ、地元の素封家が作ったらしい。どうやら明治期にはここは陸軍の駐屯地としても使われていたそうです。今よりもっと広大な敷地だったらしい。また軍の上層部が戦勝祈願などを行っていたらしく、それは敗戦まで利用されていたとのこと。
今では周囲はラブホなどいかがわしい建物しかありませんが、かつてはこうした将校などを接待する高級料亭などが立ち並んでいたという。

例えば空襲とかはGHQ本部が東京だったせいか映像記録は東京が殆どが東京なのですが、大阪の記録をあまり見かけません。
北は淀川の軍事工場地帯、大阪城近辺、天王寺から西成にかけて南に堺市あたりまで集中的な空爆を受けたらしい。私の本籍地が堺なのですが、祖母がヒュルヒュルという高音を発して落ちてくる焼夷弾から逃げ回っていたというハナシは聞いたことがあります。空中で「パーッと」周囲に数百度の弾を撒き散らすという。戦時の特徴の一つになぜか妊婦が増えるという個人的な俗説があるのですが、父を腹に抱え逃げ回るなど、その心理は伺い知ることはもうできません。別に産まれなくてもよかったのに、なんて思うのがホンネですが、まぁ不謹慎にもほどがあるのでお口にチャックですかね。九死に一生を得たのは行幸だったかもしれませんが、私の代で終わりです。父母未生以前の面目?そんなの関係ありません。

われ山にむかひて目をあぐ わが扶助はいづこよりきたるや


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