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『ヒルビリー・エレジー』J・D・ヴァンス

私たちが悲観的になるのも当然と言える。驚嘆すべきは、さまざまな世論調査の結果、アメリカで最も厭世的傾向にある社会集団は、白人労働者階層だという点である。
大半が想像を絶する貧困に苦しんでいるラテン系の移住者と比べても、また、物質的な面での成功の見通しという点で白人に後れを取り続けている黒人と比べても、白人労働者階層は悲観的なのだ。
現実というのは常に、ある程度の皮肉を許容するものだが、私のようなヒルビリーが、ほかの社会集団(私たちよりもあきらかに困窮してる集団もある)よりも人生を悲観しているという事実は、何か別の事態が進行していることを示している。
p10

本書は以前私が紹介したこともあるTEDでスピーチをしていたJ・D・ヴァンス(James David Vance)氏の自伝本である。彼がトランプの元で副大統領候補になっていたのは正直驚きだったが、クマのようなヒゲ面のオッサンになってたことは、まぁ置いておこう。
本書は私のような氷河期世代にグサグサ刺さる内容だ。ネットの書き込みなど2~3%に過ぎないと言われるが、昨今の貧しさはやや度を越しているせいか不平不満が異様に高まりつつあると感じるのは私だけだろうか。
「自分の人生が上手く行かないのは政治が良くないからだ」
という意識は分かりやすすぎてどこか胡散臭いものを感じるが、どうにもこうにもならんという潜在的な不満が悲観的になろうが反抗的になろうが抑えきれていない気がする。


こういう地図がある。
どうもアメリカと言っても主要な観光地はともかく誰も行かない地域について無知な事が多く学びになる。
ジャクソンは彼の祖父がいた町だ。このジャクソンという町は、以前紹介したフォークナーの「怒りと響き」でベンジャミンという知的障害者の男が何度も送られそうになった精神病院のある町だ。そしてアパラチア山脈に囲まれ自然の豊かな土地だが残念なことに産業がない。彼らはオハイオ川を越えミドルタウンに集団就職する。これがアメリカが第二次世界大戦で戦勝後のことだ。経済は上向き彼らは家や車を手に入れる。水道設備が整い、電化製品が行き渡った生活、つまり我々が中流と呼称する生活を享受するのだ。

祖父母にとっての目標は、ケンタッキー州から出ることであり、子供たちに少しでも有利な教育を受けさせることだった。子供たちは教育を利用して何事かをなすことを期待されていた。ただし、そのとおりになることはまずなかった。
p69

イマイチ彼の祖父が会社でしてたことを避けている気がするが、うっすらと「労使関係で悩んでいた」と匂わせていて考えさせられる。祖父はアル中になって祖母との関係も悪化する。祖母の8回の流産だって原因は突っ込んでは書かないが、恐らく俯瞰するに、経済的に満たされていても精神的には相当なダメージを負っている、という寒い説明が出来るかもしれない。
そしてそんな家庭に生まれた母だって結局、睡眠薬をがぶ飲みしヤク中となる。母は夫を何度も変え一時はまさに「ビッチ」と化していたという。
そして著者であるジェイディがどうなったかは、まぁお察しの通りである。
家庭内のいざこざを多くの子供は恥ずべきものとして外に出さない。ウソを恒常的につくようになる。ましてあちらはカウンセラー、警官、裁判官、グループセッション、匿名断薬会(ナルコティクス・アノニマス)、、そんな連中との痛ましいやり取りに忙殺され疲弊する。
これがヒルビリーがまともに育たない理由だという。

私は本書を読み自身の家の事を思い出しかなり泣いてたと思う。流石にクスリの蔓延するアメリカと違い注射針を刺したまま失神してた、なんてのはなかったが。
ともかく私が考えたのは、アメリカの一般的な庶民と呼ばれる人たちの辿った道筋は、我々日本で時間差で起きている事なのだという事だ。製造などの経済基盤がガタガタになって食い扶持を失った彼らの姿と、今の我々世代が非正規でボロボロになっているのとどこか似通っている。氷河期サバイバーは冷たい人間が多い、なんていう言説をたまに見るのだが、まぁそういう傾向は確実にあると私はひしひしと感じている。アメリカ人も同様な気分を抱えているのは本書を読めば分かるし、メディアの絶対に言わないアメリカがあると思う。日本は失われた30年と言われるが、アメリカは失われた40年を過ぎている。ロサンゼルスではコンビニ略奪があったという。これもいずれ模倣することになるだろう。

結局彼が幸福な人生を送れているのは、なんとか蜘蛛の糸のようなイェールのロースクールに行ったことだろう。

何やら不思議な力が働いているのはあきらかだった。私はいま、その力に初めて触れたのだ。
それまでに考えていたやり方は、次のようなものだった。仕事が欲しければ、オンラインで求人情報を検索して、10通ほど履歴書を送り、向こうから電話がかかってくるのを待つ。運がよければ、応募先に務めている友人が履歴書の山の一番上に私の履歴書を置いてくれるかもしれない。また、たとえば会計士のような、高度な知識が要求される資格を持っている場合には、仕事探しが少しは楽になるだろう。だが、基本的な手順は同じだ。
問題はこのやり方で応募すると、ほぼ確実に失敗に終わることだ。あの1週間に渡る面接(※イェールのロースクールでの紹介の面接のこと)を経験して、成功者たちは、ふつうの人とはまったくちがうゲームをしていることに気づいた。
p332

これが社会学者が言う、「社会関係資本」だそうだ。要するに我々95%の庶民が絶対に行けない世界、コネ、人脈の世界だ。こういう段階だと年10万ドルとかに跳ね上がる。彼はかなり肉体労働もしているが、年3万の倉庫の仕事だって悪くないハズだが、実際には多くが途中でサボり始めイヤになって辞めていく。そこにたどり着いて初めてネットで年収マウント取れるワケだ。これがどんなに大変な事か、多分行けた人間にしか分からない事だろう。著者自身はどうか分からないが、この段階にいる人間が、まぁまともな人間ではないのは想像できる。「お前の代わりはいくらでもいる」という人間だって実はいつ言われる立場に逆転してもおかしくない。自分にウソを付かないとしがみつけない。そしてそのウソを誤魔化すために別のウソを積み重ねる。まともじゃあ、やってられないだろう。蛇足ながら付記するが、世襲がなぜおかしな連中が多いのかも同じだろう。誰かがスーパーに視察とか、まぁウソだよねっていうハナシなのだ。彼によればアメリカンドリームはアメリカではなくヨーロッパの方が実現しやすいという。アジアの島国なんてお察しである。話題にも出てこない。


ヴァンス氏が昨今カマラハリスとの過去発言で炎上したというのがあった。本書を読むと分かるものがあるのだが、メディアの記事というのはトランプに有利なネタは絶対に出さないという傾向が強いからこれを解読するには難しいだろう。
彼がいた場所はラストベルトであると同時にバイブルベルトと呼ばれるアメリカ中西部である。この原理主義的な福音派に対しどこか過激だと思う人は多いだろう。進化論を否定するとかそうしたものを含むからだ。
例えば60年代というのは2つの大きな出来事があった。
1つはフリーセックス
2つめはピルの発明だ。
これらは余りに論じられない議論の一つであると私は思うし、一時堕胎という事を結構頑張って調べたこともあるのだが、日本でこうした生命倫理について考察する学者もほぼゼロであり、著作も相当限られているのが現状だ。
この福音派の主張を彼も引用するのだが、
「快楽のためのセックスをしてはいけない、結婚し子供を産むためのものだ」
という宗教的な主張に彼はかなり傾倒していると感じる。
これは彼自身が受けた子供の時の体験が重くあり、そしてそこら中の家庭でありふれた現象となると自然と行き着く解決すべき問題として無視するわけには行かないからだ。これが彼のカマラとの炎上に関わる大元だと私は考える。
これはある意味極めて個人的な結婚観だが、世間では子が産まれれば自動的に親になると思い込んでるフシがある、と常々思っている。こう言っちゃ悪いがネズミの子じゃあるまいし生れただけではそれはただの野生動物だ。人間として育てるにはそこに自覚的に親というものが何かという深い思考を否応なく求めるはずだ。しかしそれが出来る「親」がどれほどいるのだろうか?と。これが単なる「臭くてキモイ独身おぢ」の妬み嫉みだと理解しつつも、反知性主義的な思考に回帰する兆候が主流になってきつつあるのは確かな事だ。しかしそれが不幸な子供を再生産していると仮定するなら、いずれどこかで避けて通れない道として答えが出るだろう。
彼は毎週教会に行く家庭の方が幸福度が高いとまで書いている。学校の先生の言葉を書くと、
「国は私たちに羊飼いになれというが、彼らはオオカミの子だ」
既存の教育や家庭が子を育てる場所として相応しくないと言ってるわけだ。機能不全家族どころではなく、機能不全学校にまでなっている。もう信仰に頼るしかないとまで追い詰められているのだ。
彼は「マウンテンデューマウス」というのを書いている。子供のころから安い炭酸飲料を飲んでいると歯がボロボロになるというものだ。彼の母が哺乳瓶にペプシを入れようとしたというハナシはビックリするが、貧困地域の肥満率の高さや虫歯の多さなど数字で表れていても実際はどこから手をつけていいか分からないほどなのだ。

私は個人的に彼が政治活動をなぜするのか実はよく分からない。
というかしない方がいいのに、などと思う。
彼の妻の事もかなり書かれているのだが、メディアにも結構出ており映像でも見ることが出来る。もちろん日本では一ミリも言わないが。ちょっと余談的だが、私は彼を「ソーニャに出会ったラスコーリニコフ」だとつくづく感じている。そういう人間だけが救われるのだ。だから日本では凡そファンタジーでしかないわけだが。

彼は2002年に海兵隊に入りイラクへも行っている。最後に彼が子供時代のことを語ったことを引用して終わろう。

私はそれまでずっと、世の中に対して恨みを抱いていた。母と父に対しても腹をたてていた。ほかの子たちが友達と一緒に車で学校へ送ってもらっているのをしり目に、バスで通学していたことにも憤りを感じていた。
アバクロンビーの服を着られないことにもむかつき、祖父が死んだことにも怒っていた。小さな家に暮らしていることも恨めしかった。それまでの恨みつらみが一瞬にして消えてなくなったわけではないが、戦争に引き裂かれた国に暮らす子供たちや、水が出ない学校や、あんなにささいなプレゼントに大喜びする男の子をそこで目にしたことで、自分がどれだけ幸運なのかを実感できた。
p273

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