20240730 作家志望なら主張は作品内でしろ、とはよく聞く言葉だけど、おまえらどうせ読まないし、読み取ることもしないよね
こんにちは、蛯原テトラです。
今回、読み方によっては好戦的に見えるタイトルを付けましたが、これは別にそういう記事ではありません。
noteのアカウントを作ってもう数年が経つのですが、蛯原は正直、これをうまく活用できている気がまったくしないのです。
過去記事を振り替えると、ショートショートや短編小説がチラホラ……。
ほとんど備忘録のような扱いでした。
こういう運用方法を蛯原が選んでいた理由が、まさにこの記事のタイトルにあります。
「作家志望なら、思っていることは作品内で語れよ!」
こういうネットの投稿を過去に目にした蛯原。
「なるほど、そうか」と素直に受け入れ、長文の日記や、いわゆる「お気持ち表明」なんかはなるべく書かないようにして、今日まで生きてきました。
でも、ふと思ったのです。
「作家や作家志望だけが、普段の言論制限されるのおかしくねぇ?」
いや、分かりますよ。
だらだら駄文連ねる暇があったら小説書いたほうがいい気がするし、強い感情、パッションがあるのなら、作品に込めた方が熱く昇華されそう……。
そんなイメージはあります。
でも、長らくアウトプットを続けてきた身として(結果こそ出てないけどね)、別にそういうもんでもないなぁ、と最近は思うのです。
人間が汗をかくときに働く、汗腺という機能があります。
こいつは身体の筋肉と同じで、普段から動かしておかないと、いざという時にうまく働きません。クーラーの効いた部屋で汗をかかずに生活していた人が、いざ外に出た時に熱中症で倒れてしまうのはこれが原因なんですね。うまく汗をかいて、体温を調節することができない。
表現という行為は、これに似ているところがあると思います。
普段から少しずつやる。ちょっとでも書く。些細なことを記録する。
そういった積み重ねが、いざ長編小説でも書いてみるか、という時に機能する気がするのです。
それに、思っていることを作品で表現すると言っても、物語に落とし込む以上はそこに具体的な個人・団体の名称なんかは乗せづらいところがありますし、小説にも様々なジャンルがあるわけで、なんでもかんでも「私を主張!」を盛り込むのも違うように思うのです。
もちろん、エンターテイメントにそういうテーマ性をうまく盛り込む先生方もいらっしゃいます。本当にすごいことだと思います。
でも「主張は作品に落とし込め!」と声高に叫ぶ人たちが、作品にうまく織り込めされたテーマ性を完全に読み取れているのかと問われれば、それは疑問です。
少年漫画の王道「ワンピース」の読者は多いですが、そのメッセージ性を百パーセント解釈できる読み手は少ないでしょう。僕自身にも、きっとブラインドな部分はあります。
「作家志望なら、思っていることは作品内で語れよ!」と声高に叫ぶ人は、結局、その人の考えを聞きたくないだけなんだと思います。
作品を楽しむ自分の快楽を守るため。
自分と異なる考えが視界にあふれてくるのを防ぐため。
作家、という特性を人質に取った、言論封殺みたいなもんです。
話が長くなりました。
結局僕がこの記事で言いたかったのは
「小説以外の記事もたまに書いてみよう」
という、ごくごく個人的な発信です。
週に一度くらいのペースで、ゆる更新していけたらいいなと思います。
それではまた!
蛯原テトラでした。