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死を感じる景色はスローモーション

人は死を感じると景色がスローモーションに見えるとよく言う。
実際に本当だった。2回ほど素晴らしく景色が遅かった。実際に起きてる速度はそれの何倍。だが声も周りも何もかもが遅かった。

しかしながら悪運というのか幸運というのか今もちゃんと生きている。

一回目は友達と大晦日に正面衝突仕掛けた時。信号無視した車にぶつかりかけた。声にならない叫びと、友達のハンドルさばきにより助かった。あと数センチ、あと数秒遅かったら今頃この世にいたかどうかも分からなかった。
ほんとそれぐらいの一瞬の出来事。

その時、ゆっくりと流れる景色とお互いの叫びの中で「嗚呼、死ぬんだな」と冷静に思った。

難を逃れた瞬間に正しい速度に戻る世界。コンマの世界が一瞬にして現実速度。
友達と二人その後暴言を吐いたのはいうまでもない。友達に聞いたら同じように「死ぬかと思ったし、景色がスローモーションだった」と言っていた。

怖いことに場所、当時の車、状況が全て鮮明にフルカラーで思い出せる。

2回目は東日本大震災だ。(実家は茨城なので被災地)朝まで飲んで昼に帰ってきて、妹と出かける直前にそれは起きた。
ちょっと大きい地震かと思い妹に和室のテレビを守れ!っといい、私はリビングのテレビを守った。

揺れは確実に確実に大きくなり今まで体感したことない恐怖を感じた。台所からは皿が割れる音、テレビの隣の3段ボックスからは物が飛び出る。隣の家からは瓦が落ちまくる。

その時も景色がスローモーションに見えた。必死にテレビを抑えながら庭にある中国の壺みたいなのを網戸が突き破っていった。怖くて叫ぶ声も景色もやはり全部が遅かった。
「嗚呼、これは死ぬかも」やはり冷静に思いながら必死でテレビを支えていた。

直後妹が和室から「おねぇちゃん助けて」と声がし、見に行ったら桐箪笥の下敷きになっていた。その後「お姉ちゃんが和室のテレビ守れって言ったんじゃんか」と怒られた。

部屋の中には亀裂、自室は本棚が倒れドアが少ししか開かない。外に出ると愛車は隣の家の壁が崩れててリアガラスは粉々、フロントガラスはヒビが入り、サイドミラーは折れて落ちていた。
親父と共に車のリアガラスを綺麗に剥がしダンボールと巨大なニトリの袋で補強。

何が何だかわからなかった。夢でも見てるのかな?っと。あの時妹と出かけていたら帰って来れなかっただろう。

電気、水道、ガス全てが遮断されかろうじで携帯のワンセグで情報を得る。まるで映画のようなワンシーンが流れてきて現実を受け止めるのに時間がかかった。
夜になり余震と寒さもあり、リビングで毛布に包まる。もうどうなってもいいやと思い、なんとか部屋に入れたのでそのままベットで寝た。

凄く、凄く疲れていた。

凄く疲れている中でベットで寝ている時だけは別の世界にいるみたいだった。

それから月日が流れ、今年で十年経つ。非現実は現実に戻り、ライフライン、街並みも元に戻った。まるで夢を見ていたかのように。

あれから景色がスローモーションになった事はない。次に何時死を感じるかは不明だ。
それはまた回避できるかもしれないし、本当に訪れる時かもしれない。

余談だが、走馬灯が走るとよく言われるが、正直そんな余裕はない。ただただ冷静な感覚がよぎる。そこはもしかしたら私自身が冷めた人間だからかもしれない。

いろいろ御託を並べたが、十年と十数年前にもし死んでいたら、こうして文字を書くことも無く、また良いも悪いも思い出を作ることはできなかったろう。

悪運という名の幸運に感謝と、今後訪れるスロモーションへこんにちは。
私はまだもうちょっと生きたいと思います。

では、また明日。

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