ボジョレー ヌーヴォーはお好き?
そのうちに日本から四季がなくなってしまうのではないかと思うくらいに、慌ただしく季節が移り変わっていく。
ワインに旬というものはないのかも知れないけれど、桜が咲く頃にはロゼが飲みたくなったり、寒さとともに少しコクのある赤ワインが恋しくなったりと、その季節が訪れるごとに思い浮かべるお酒は人それぞれにあるだろう。
季節の風物詩でありながら、あまり良い印象を持たれていない最たるものが、恐らくはボジョレーヌーヴォーではないだろうか。
( ※ フランスのブルゴーニュ地方ボジョレー地区のガメイという品種で造られた赤が代表的。少量ながら同地区のシャルドネで白も生産されている。ヌーヴォーとは新酒を意味する。)
一昔前と比べると過度なムーブメントは落ちついた感があるけれど、「11月の第3木曜日はヌーヴォーの解禁日です」という文言は誰しもが一度は耳にしたことがあると思う。
そして実際に口にされた方の多くは、話題になっているわりにはそれほど…という印象を持たれたことだろう。
こんな書き方から始めるとよっぽど嫌いなのかと思われてしまいそうだけれど、実は僕の店では毎年解禁日にヌーヴォーを開けている。
付け加えるなら届いたばかりのその年のものではなく、最低1年寝かせたもので、なおかつ心から惚れ込んだ生産者のものだけを提供している。
理由はとてもシンプルで、少し寝かせた方がずっと美味しいと思うから。
毎年の収穫の時期は違っても解禁日は決まっているので、どうしても葡萄にも生産者にも負担がかかってしまう。
届きたてのフレッシュさを味わうのも悪く無いけれど、良い生産者が造るヌーヴォーはとてもポテンシャルが高いので、たった半年寝かせるだけでも見違えるほどに美味しくなる。
過密な日程にも関わらず、毎年解禁日に間に合うように業務に携わる全ての方に感謝しつつも、せっかくなら少しでも美味しいものをお届けたいと思うのが、注ぎ手のこだわりというものだ。
きちんとお伝えして、良い印象を持っていただきたいのだから。
昔からこのようにヌーヴォーと向き合えていたわけでは決してなく、それまでは御多分に洩れずこの新酒があまり好きではなかった。
というよりも飲む気になれなかった。
生産者のもとでワイン造りの本質を学ぶことでようやく、自分なりに解釈することが出来たように思う。
とても幸せなことにフランス北西のロワール地方で、葡萄が芽吹く初春から、すべての仕込みを終える晩秋まで、ひとつの生産者のもとで住み込みで研修をさせていただいた。
教科書には載っていない沢山のことを現地で学ばせていただいた経験は、かけがえのない財産だ。
毎年恒例で馴染みのワインバーで生産者仲間が集い、それぞれの新酒を持ち寄ってのささやかなパーティーを開くということで、有り難く同行させていただいた。
2016年は悪天候や病害のため収穫量が落ちてしまった生産者も多かった厳しい年だった。
お互いを労いつつ、無事に解禁日を迎えられたことに心から感謝しながら、静かにグラスを交わす。
杯を重ねるごとに会は盛り上がりを見せ、次々とボトルが空になっていく。
決して自分は酒が弱いとは思わないけれど、こういう光景を目の当たりにすると口が裂けても酒が強いとは言えない、そんな見事な飲みっぷり。
造り手だけでなくバーの店主や馴染みの客も、時に涙を流しながら強く抱き合ったり、時には激しく意見をぶつけ合ったり。
みんな本気でワインを愛しているからこそ、酔いも相まっていろんな感情が込み上げてくるのだろう。
自然を相手に真摯にワイン造りに携わっているからこそ、来年もこうして集まって乾杯できる保証なんてどこにもない。
もしかしたら様々な理由で全く葡萄が収穫できなかったとしても、なんら不思議ではないからだ。
だからこそ彼らは、今という時を全力で楽しむ。形に残らないものだからこそ、全力で心に刻もうとする。
数ヶ月という短い研修ではあったけれど、彼らはその年のワインに携わる仲間として僕のことを受け入れてくれ、そして熱狂的な宴は明け方まで続いた。
" 君のおかげでこの日を迎えられた" と、ふいに温かい言葉をかけられて目頭が熱くなってしまった。
上手く言えないんだけれど、その言葉だけで今までの努力が全て報われたような気がした。
この夜を境に、僕はヌーヴォーとの向き合い方が大きく変わった。
解禁日に開けるのは、僕が愛してやまないラパリュのヌーヴォーと決めている。
一年経つと随分と垢抜けてきて、更に一年寝かせると艶っぽさが出てくる素晴らしい一本だ。
偉大なる自然やワイン造りに携わる全ての人たちへのささやかな感謝の気持ちを、少しでもお客様と分かち合えたら。
もしかしたら本来の意味合いとは少し異なるかも知れないし、自分なりの解釈を誰かに強要するつもりもない。
それでも僕は解禁日にヌーヴォーを飲むという素晴らしい習慣を、これからも大切にしたい。
彼らの想いをグラスに込めてワインを注ぐことしか出来ないけれど、この気持ちを忘れない限り、とても深いところで彼らと繋がっている気がしてならないのだ。
一本のワインとの出会いが、その後の人生を大きく変えてしまうかも知れない。
そんなワインに人生を狂わされ、現在進行形でワインに狂わされ続けている小さなワインスタンドの店主の話。
日々思うあれこれや是非ともお伝えしたいワインに纏わるお話を、このnoteにて書き綴らせていただきたいと思っております。
乱筆乱文ではございますが、最後までお読みいただきありがとうございました。