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点と点が、線で繋がる時



今日はナチュラルワインの素晴らしさに触れた、ある夜のお話を。


私のお店は7坪ほどの小さなワインスタンドで、食事はそんなにいらないけれど美味しいワインをグラスで楽しみたくてご来店くださるお客様がほとんどです。
常時10種類くらいグラスで開けていて、その時の気分や好みをお聞きしてお勧めの一杯を提供させていただいています。



休日に特に予定がなければゆっくりと散歩や読書をすることが多いのですが、先日読んだ本に「邂逅(かいこう)」という言葉が散見されて、少し気になって調べてみました。

思いがけず巡り合うことや偶然出会うことを意味する言葉だそうですね。


"人間は一生のうち逢うべき人に必ず会える。
しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないときに。

しかしうちに求める心なくば、眼前にその人ありといえども縁は生じず"

という教育学、哲学者の森信三さんの有名な言葉があります。



人生に起きる出会いも、事象も全て意味のあることだと思っています。

偶然ではなく必然の出会いがあったとして、巡り合うタイミングやそれを受けて勇気をもって一歩を踏み出すことで、それまでの固定観念が覆されるきっかけになり得るものだと解釈しています。



御多分に洩れず、私にも運命を狂わされてしまったというか、ナチュラルワインの一人の「飲み手」であった私が「注ぎ手」としてより深くを理解したいと感銘を受けた一本があります。

それは私が人生で最も影響を受けたドメーヌ リエッシュの「Sans Doute」というワインです。  

リエッシュはアルザス地方のミッテルベルカイムという美しい村で家族でドメーヌを営んでいて、クオリティの高いワインもさることながら、どこか哲学的な意味が込められたワイン名や隣人である画家によるエチケットのアートワークも秀逸で、多くのワインラヴァーを魅了する生産者です。

グリム童話の蛙が王子様になる話から、ワインの成長に期待を込めて「たぶん、おそらく」といった意味の名前をつけたそうです。

当時私が勤めていたレストランでは、敢えて線引きをする必要はありませんがコンベンショナルなワインを主軸に据えていて、それらの多くは美しい筆記体で生産者や畑の名前、その背景に畑やお城が描かれたようなエチケットばかりでした。

ですので蛙と王冠と「Sans Doute」とだけ描かれたエチケットにはとても衝撃を受けました。


いざ開けてみるとグラスに注がれた液体は随分と濁っていて、支配的な還元のニュアンスと酵母由来の複雑な風味が前に出過ぎていて、興味深くはあるもののその場では素直に美味しいとは思えませんでした。

今まで感じたことのないこの感覚は一体なんなのだろう。


営業中もそのことが頭から離れることはなく、僅かにボトルに残ったワインは許可を得て自宅に持ち帰ることにしました。


仕事を終えて再びテイスティングをしてみると、開けたてに感じた還元のニュアンスは随分と和らいで、少し時間をおけばこんなにも印象が変わるものなのかと、えも言われぬ香りと味わいにまた衝撃を受けたのです。


それまでの自分の文脈にない面白さがそこにはあって、その出会いになぜか縁を感じて空き瓶は大事にとっておくことにしました。

「たぶん、おそらく」この出会いはきっと自分にとって特別なものだろう、上手く言葉にできずとも直感でそう思ったのでしょうか。



こういう縁というのは面白いもので、以来立て続けにテイスティングする機会に恵まれて、気がつけばすっかり私はリエッシュという生産者のワインに魅了されていました。

その以前から仕事で扱うワインとは別にプライベートではナチュラルワインも嗜んでいましたが、この出会いがきっかけで生産者の人となりや理念をもっと知りたいと思うようになったのです。



その夜のことは忘れもしないのですが、ある団体様のテーブルを担当させていただいた際にリエッシュの別のワインをご提案したところ、いたく気に入られたようで、同じ銘柄のものを3本も召し上がられました。


それまでもワインの瓶差や個体差というのは経験はありましたが、この時ばかりは思わず音を上げてしまいな程その差は激しくて、微かに発泡しているものもあれば、上澄みからかなり濁っていて瓶底に至っては…という具合に、サーブするのに非常に難儀したのをよく覚えています。

幹事の方に事情を説明したうえで、その都度デキャンタージュをしたりグラスの形状や提供温度を変えてお出ししたりと、少しでも美味しく楽しんでいただけるようにと、試行錯誤の末の接客に私自身も混乱しきりでした。

にも関わらず、注ぎ手としてとても充実した時間を過ごせたのです。

ワインの提案や提供に少しずつ慣れつつありましたが、まだまだ知らないことが沢山あるのだな。
ナチュラルワインをサーブするのは難しいけれどとても興味深いことだなと、改めて注ぎ手としてワインを提供することの奥深さに触れた気がします。

帰り際に幹事の方がおっしゃった、

『今までも沢山ワインを飲んできたけれど、今日みたいにワインの個体差を存分に楽しめたことはありませんでした。
個性的なワインを少しでも美味しく飲ませようと、私たちのために真剣に考えてくれたあなたの誠実さにとても感動しました。

また面白いワインがあれば是非紹介してください、ご馳走様でした。』


この言葉に全ての努力が報われた気がしました。


いつか蔵を訪ねることがあればこの体験を是非とも彼らに伝えたいと、心からそう思ったのです。





時は流れて念願のフランス滞在が実現します。

少しずつフランス語にも慣れてきた頃、ようやくリエッシュの蔵を訪れる機会に恵まれました。



多忙にも関わらず畑や醸造所の見学に、丁寧な説明を添えたワインのテイスティングにと、とても充実した時間を過ごさせて貰いました。

拙いフランス語を駆使しつつ、あなたのワインとの出会いが私の人生を変えたのだと、乏しい語彙力に見合わない熱い想いを込めて伝えることができました。


『私たちのワインが君に大きな影響を与えたのであれば、それはとても光栄なことだよ。
わざわざフランスにワインについて学びに来るくらいだから、君はよっぽどワインの事が好きなんだろうね。

素晴らしいワインとは単に口の中で美味しいだけではなくて、もっと心を揺さぶるような感動を与える液体であると私は思っています。
多くを語らずとも、今の気持ちを忘れずにこれからもワインを注ぎ続けてください。

こちらにいる間に出来るだけ沢山のことを吸収できるといいね。
わざわざ素敵な言葉を届けにきてくれてどうもありがとう、幸運を祈っています。』




訪問するまでは好きという気持ちや憧れも相まって、少なからず生産者のことを神格化していましたが、彼らは私のことを仲間だといって対等な立場で接してくれました。


昨年のWBC決勝の大谷選手の言葉ではありませんが、一流の生産者のワインを扱う一流の注ぎ手になるためにも、礼節をわきまえたうえで憧れるのをやめなくちゃいけないなと、とても大切なことを教わった様な気がしました。


こちらの言葉の更に先を見透かされる様な聡明な佇まいと、先述のエチケットのアートワークやワイン名の言葉遊びに見受けられる唯一無二の世界観に、私が人生を狂わされたのは然もありなんといったところでしょうか。


「彼らの誠実さや大らかさがあってこそ、琴線に触れるような素晴らしいワインが生まれるのか。
きっとその答え合わせがしたかったから、僕はフランスに来たんだろうな。」


言葉を交わして感動を分かち合うことで、ようやく点と点が線に繋がった気がしました。




捨てずにいた空き瓶や蔵でいただいたポスターは今もお店に飾ってあります。
「Sana Doute」の瓶はつい先日紛失してしまったのですが、その思い出はいつまでも心の中で消えずにいると思っています。

リエッシュの蔵を訪ねてもう9年が経ちますが、いつの日か再び訪問させていただくその時は、
あの時の言葉を忘れずに今もワインを注ぎ続けているよと、グラスを交わしながら伝えたいものです。




一本のワインとの出会いが、その後の人生を大きく変えてしまうかも知れない。
そんなワインに人生を狂わされ、現在進行形でワインに狂わされ続けている小さなワインスタンドの店主の話。

日々思うあれこれや是非ともお伝えしたいワインに纏わるお話を、このnoteにて書き綴らせていただきたいと思っております。

乱筆乱文ではございますが、最後までお読みいただきありがとうございました。



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