少しずつ、手に馴染んでいくその感覚を
今日は酒場に欠かせないワイングラスのお話を。
私のお店は7坪ほどの小さなワインスタンドで、食事はそんなにいらないけれど美味しいワインをグラスで楽しみたくてご来店くださるお客様がほとんどです。
そして当店では木村硝子さんのピッコロ 10ozワインのみを扱っています。
小ぶりで愛らしいフォルムと長すぎない脚が印象的な、ワインが好きな方ならご存知かも知れない定番のモデルです。
薄いけれども丈夫なつくりで、背が高すぎないので収納にも便利、それでいてとてもお値打ちな価格なのでご自宅で愛用されている方も多いかと思います。
ワインを提供するうえで香りや味わいを最大限に引き出すために最適なグラスを選ぶのはとても大切なことで、それはプロにとって非常に重要な仕事になってきます。
あれ?
話が少し矛盾していますよね。
ワインに特化した当店が敢えて1種類のグラスしか扱わないのはどうしてなのか?
注ぎ手の数だけワインへの想いや哲学があるので「あくまで私は」と前置きをしたうえで、そこには自分なりにふたつの理由があります。
同じ形状のグラスで異なるワインを味わうとそれぞれの香りや味わい、ボリューム等の違いが顕著に表れます。
できればグラスで何種類か楽しんでいただきたいので、あまり飲み疲れがなく酒質が優しめのものを軸にしているため、同じ形状のグラスの方がワインの個性や違いをより分かりやすく感じ、比べていただけるのではないかと考えました。
これがひとつめの理由であり、ほとんど全てであると言えるのかも知れません。
ですがこれからお書きするふたつめの理由こそが、いささか抽象的であるにせよ注ぎ手としての本質を捉えた意見であるようにも思えるのです。
前回の投稿でもフランス留学について少し触れましたが、1年3ヶ月の滞在期間のうちの大部分をナチュラルワインの生産者のもとで住み込みで研修をさせて頂きました。
それ以外の期間はフランス第二の都市であるリヨンという街に滞在し、語学を学びながらアルバイトし、そこで稼いだお金はほとんどワインに消えるといった生活を送っていたのです。
当時借りていた部屋からさほど遠くないところに「Le Vins des Vivants」というワインショップを併設したワインバーがあり、仕事終わりに飽きもせず足繁く通ったものです。
連日連夜店内から溢れるほどの盛況をみせる人気店ですが、その日は珍しく静かな夜だったので、カウンターでグラスを傾けながら店主のMathieuにさりげなく聞いてみたのです。
「フランス人は皆んなワインを心から愛していて、それぞれ香りや味わいに好みやこだわりがあるよね。この店はいつも本当に賑わっているから仕方ないとは思うんだけれど、同じグラスに違うワインをガンガン注いじゃって、今までお客さんから文句を言われたことはないんですか?」
随分と打ち解けてきたとはいえ、もしかしたら気を悪くさせてしまうのではと内心不安だったのですが、
「知ってるかい、酒場ではワイングラスって身体の一部なんだよ。違うワインを上から注ぎ足せば風味だけでなく色合いも混ざってることは勿論理解している。でもね、どんどん手に馴染んで仕舞いには身体の一部になるんだ。
決してワインのクオリティに妥協しているわけじゃいんだけれど、それ以上に酒場のグルーヴ感を大切にしたいと思っている。
それをお客さんも心地いいと感じているからかな、今まで一度も文句を言われたことはないんだよ。」
ゆっくりと言葉を選びながら、優しい笑顔でそう答えてくれました。
想像もしていなかった彼の返答に、半分は理解できたけれどもう半分は腑に落ちない感じだったかも知れません。
常連に声をかけられカウンターを離れるMathieuを目で追うと、いつの間にか店内は満席に。誰一人として不満な顔をせず、口元が少し汚れてなんともいえない濁りのグラスを片手に皆んな楽しそうにワインを飲んでいるのです。
「これこそが酒場のグルーヴ感なんだな。」
残り半分の心の中のしこりが消えてなくなって、少しずつ手に馴染んできたグラス片手に、気がつけばもう一杯ワインのおかわりを注文していました。
この時の実体験が敢えてグラスを1種類しか扱わないもうひとつの理由です。
フランスと日本では文化や思想は当然違いますので、全く同じ事を真似たとしてもお客様は混乱してしまいます。
別のワインを注ぐ際には、都度新しいグラスに交換しますし、その方がひとつひとつのワインを丁寧に味わえると私自身もそう思っています。
そのうえで1種類のグラスにこだわり続ける頑固さは、あの夜に感じたフランス人の酒場に対する大らかさと言葉にできないグルーヴへの、私なりの細やかなオマージュと言えるのかも知れません。
グラスが少しずつ手に馴染んでいくその感覚を、是非ともお客様にも感じていただきたいのです。
先日お世話になっているご同業の方がお二人で来店された時のことです。
グラスでペティアン(微発泡ワイン)を飲まれた後にボトルでワインをオーダーされたので、新しいグラスをお出ししようとすると、
「別に交換しなくても、このグラスのままでいいよね?」
「そうですね。いい感じにグラスが馴染んできましたし、このままじっくり楽しみましょうか。
もしよかったら三人で乾杯しましょう。」
洗い物を増やさないようにと気遣ってくださったのもあるかも知れないのですが、ワイングラスを介してカウンター越しに生まれた小さなグルーヴに、なんとも言えない幸せを噛み締めました。
数ある選択肢の中で敢えて小ぶりなグラスのみで徹底することに、様々な意見があるかも知れません。
同じグラスがカウンターにずらっと並んでいるのが絵になるという美的感覚や、かつてフランスで自身が経験したワイングラスが手に馴染んでいく実体験に基づいた感覚は、上手く言語化することはできなくても常に私の真ん中にあります。
全ての方に受け入れられずとも、そこに酒場の美学を感じてしまうのです。
今はもう閉店しまったMathieuの店ですが、本当に沢山の事を教えて貰った気がします。
リヨンの小さな街角で偶然にも彼と再び出会えたなら、あの時よりも少しは酒場のグルーヴというものが理解できるようになったよと、グラスを交わしながら伝えたいものです。
一本のワインとの出会いが、その後の人生を大きく変えてしまうかも知れない。
そんなワインに人生を狂わされ、現在進行形でワインに狂わされ続けている小さなワインスタンドの店主の話。
日々思うあれこれや是非ともお伝えしたいワインに纏わるお話を、このnoteにて書き綴らせていただきたいと思っております。
乱筆乱文ではございますが、最後までお読みいただきありがとうございました。