足るを知る者は富む
今日は直接的なワインのお話ではありませんが、フランス滞在中に感じた彼らのミニマルな思考について書かせていただきます。
ミニマルやミニマリストという言葉を数年前から書籍やSNSを通じてよく目にします。
その概要はさておき、私自身も不要な物は然るべきタイミングで手放して、新たに購入する際にはしっかりと吟味したうえで、なるべく衝動買いをしないよう自律することを日頃から心掛けています。
過度に意識しすぎるのは少し違うかも知れませんが、必要以上に所有しないことで生まれる余白のある生活というものは、とても心地がいいと感じています。
週末以外は一人で仕事をしているため制服というのには違和感があるのですが、開業3年目くらいからは季節を問わずセントジェームスを仕事着として愛用しています。
ファッションがお好きな方ならご存知かも知れませんが、フランス北部ノルマンディ地方で1889年に設立された老舗のブランドです。
タグにも描かれているモンサンミッシェルの干潟の牧草で育った羊の毛を用いて、地元の漁師や船乗りたちの仕事着であるマリンセーターを生み出したとされ、現在でも実用性と流行に捉われない普遍的なデザインで世界中で愛されています。
水仕事が多い職場での汚れや傷みなどを懸念していたのですが、大切に扱えばなんの問題もなく、着るごとに少しずつ肌に馴染んでいく感覚が心地よく、改めて好きな物を身に纏って仕事することの大切さを実感しました。
フランス滞在中の大部分をナチュラルワインの生産者のもとで住み込みで働かせていただいたのですが、その暮らしの中でワイン造り以外にも本当に多くのことを学ばせていただきました。
彼らと寝食を共にすることで改めて感じたことは、ワイン生産者にも仕事以外の生活があるということ。
ごく当たり前のことなのですが、短期間の滞在やワイナリー訪問では知ることのできないフランス人の日常の生活を共有できたことは、とても有意義な経験であったように思います。
私が関わってきた方の多くは一人もしくは家族で経営するような小規模な造り手ばかりで、生産量が限られているということもあって金銭的には決して裕福とは言えません。
にも関わらず彼らの生活はとても豊かであると感じました。
その中でも特に影響を受けたのが、時代に消費されない不変的な彼らのファッションにおける価値観でした。
そんな彼らのミニマルな思考に触れたのは、ある休日の他愛もない会話がきっかけでした。
フランス滞在も後半に差し掛かり、フランス北西ロワール地方の「レ カプリアード」という生産者のもとでお世話になっていた時のことです。
世界中で愛される「ペティアン ナチュレル」という微発泡性ワインの普及に尽力された第一人者であるPascalと、彼を裏方から支えるMoseの二人が共同経営する小さな造り手で、私にとって彼らはフランスの父親のような存在です。
仕事中はとても厳しいけれど、惜しみない愛情をもって接してくれた彼ら無くして、今の私は無かったと心からそう思っています。
相方のMoseは基本的には栽培や醸造には携わらずあくまでも販促や経理を担当しているのですが、人手が必要な時は率先して当主のPascalの手助けをする、公私共に本当に仲のいい二人でした。
ペティアンについては改めて書かせていただこうと思うのですが、一般的なワインよりも出荷するまでの工程が多いため、週末には仕事をしない主義の彼らも必要最低限の作業のために午前中だけは職場に顔を出します。
季節を問わずいつも紺のラルフローレンとリーバイスといった格好のMoseと、週末の事務仕事を終えて自宅に帰る前に立ち話をしていた時のことです。
「Moseはいつも同じ格好をしているよね。
とてもお洒落だし似合っているんだけれど、たまには違ったファッションを楽しみたいと思うことはないの?」
少しだけ考えてから私が理解しやすいようにいつもの優しく喋り口調で、
『ここで働くようになって少し経ったくらいから、基本的にはこの格好で仕事をしている。
毎日服を選ぶのが面倒だということもあるんだけれど、丈夫で動き易いし、何よりずっと着続けているから身体にとてもよく馴染んでいるんだ。
言うなれば、仕事着であると同時に戦闘服みたいなものかな。
それなりの歳だから自分に合ったものをちゃんと選択して大切に扱っていきたいし、伝統のあるブランドは長く愛されている理由があるからこそ今でも残っているだろ。
永遠のスタンダードを自分らしく着こなすことこそが、俺のファッションの楽しみ方なんだ。』
今晩は朝までクラブで飲み明かすというMoseは、程よく年季の入ったレザージャケットを羽織り、老眼鏡をサングラスに変えて街へと繰り出していきました。
オンオフの切り替えの潔さもさることながら、不変的なファッションを楽しみ人生を謳歌する彼の後ろ姿が、私にはとても輝いて見えたのです。
当主であるPascalは週末になるとよく自宅に食事に招いてくれて、集まった彼の友人とともに穏やかなワイン時間を過ごすのが何よりの楽しみでした。
たまに外食はするものの、自家菜園で採れた新鮮な野菜や友人から買い受けたパンやチーズといった素朴な手料理が振る舞われ、その食卓には必ず彼のペティアンが並んでいました。
フランス人は本当に時間をかけて食事を楽しみます。
日が暮れる前くらいから庭で食前酒の時間を楽しみ、じっくりと団欒した後にようやく食事が始まります。
食事中も話は尽きることなく、次々とボトルが空になって気持ちよく酔って、最後は星空を眺めながら葉巻をくゆらせるといった感じです。
何よりも家族や友人との時間を大切にし、必要以上のものを望まずに生産者の顔の見えるものだけを選択して楽しむ彼らの価値観に触れた時、よくフランス人はケチであると揶揄されるけれども、それは全くの誤解なんだなぁと改めて気付かされました。
例え経済的な豊かさはなくとも人生を謳歌するための秘訣を、流され続ける都会的な生活から距離を置いた彼らは誰よりも知っているのでしょう。
『少し冷えてきたから、悪いんだけれどダイニングから私のニットを取ってきてくれないか?』
随分と年季が入って程よく色が褪せたセントジェームスのニットは、彼が父親から譲り受けてもう何十年も着ているものだといいます。
程よく酔いが回ったのも相まってか、Pascalの後ろ姿がいつもよりも大きく見えたのは、彼が長く大切に着続けているニットがとてもよく似合っていたからかも知れません。
帰国を控えて何か形に残るものをと思い、日本でも買えるものかも知れないなと思いながらも旅の記念に購入したものは、ラルフローレンの紺のポロシャツとセントジェームスの厚手のニットでした。
セントジェームスを着てカウンターに立ち続けるということは、そんな彼らへの細やかなオマージュと言えるかも知れません。
永遠のスタンダードを愛し続け、またそれが似合う自分であり続けられるよう日々努力を重ねることの大切さと、必要以上を求めずに確固たる価値観のもとで身の丈に合った人生を送ることの大切さを、彼らから学ばせていただいたように思います。
これはファッションに限らずあらゆるジャンルに当てはまると思っていて、私がお付き合いさせていただいているワインの生産者にも言えることです。
ともすればコンサバティブであると捉えられるかも知れませんが、無理に新規開拓をするよりも、思い入れのある生産者のワインを長く扱い続けたいと思っています。
何度も飲み手として感動したものを咀嚼して、それを自分の言葉を添えて注ぎ手として扱い続けることで、深い意味でそのワインを理解できるのだと考えています。
表題は老子の有名な言葉で、"満足することを知っている者は、例え貧しくても精神的には豊かで、幸福であること"を意味しています。
ミニマルな思考のもとで過度に抱えすぎないからこそ解像度が高まって、そこから見えてくる本質的な何かがあるように思えてなりません。
彼らと同じ50代を迎えた時に今よりももっとセントジェームスが似合うような、身体に馴染むような、そんな歳の重ね方ができたらなと心から願っています。
一本のワインとの出会いが、その後の人生を大きく変えてしまうかも知れない。
そんなワインに人生を狂わされ、現在進行形でワインに狂わされ続けている小さなワインスタンドの店主の話。
日々思うあれこれや是非ともお伝えしたいワインに纏わるお話を、このnoteにて書き綴らせていただきたいと思っております。
乱筆乱文ではございますが、最後までお読みいただきありがとうございました。