遠回りすることが、一番の近道
今日はフランス滞在中に訪問した生産者の、特に印象的だった言葉について書かせていただきます。
「さくらんぼの実る頃 (Le Temps des Cerieses) 」という歌曲をご存知でしょうか?
宮崎駿監督の「紅の豚」加藤登紀子さん演じるジーナが作中で歌唱する挿入歌だというと、きっと耳にされたことがある方も多いかと思います。
19世紀中頃に銅工職人でパリ コミューン(革命自治体)のメンバーでもあったジャン バティスト クレマンが書いたフランスのシャンソンを代表する歌曲で、元は儚い恋と失恋の悲しみを歌った曲でした。
パリで労働者による革命が起きると軍との衝突が激化し、その渦中で命を落としたのが、さくらんぼの小籠を携えたルイーズという若い看護婦でした。
危険も顧みず負傷した市民の看護に当たっていた最中での不幸を嘆いたクレマンは、彼女に捧げるために新しい歌詞を書き加えたそうです。
コミューン崩壊後の弾圧、特に痛ましい事件である「血の一週間」を悼む思いを込めて市民がしきりに歌ったという背景もあって、恋の歌から追悼の歌へと意味合いが変わったとされています。
そのような悲しい運命を象徴するような歌曲を監督が用いたのは、戦争や現代社会へのアンチテーゼと言えるかも知れませんね。
私の大好きな作品でもあります。
そんな悲劇から生まれた歌曲から自身のドメーヌ名をとったのが、東ドイツ出身のアクセル プリュファーという生産者です。
当時のドイツには徴兵制度があったため兵役の義務があったようですが、そもそも戦争というシステムに加担したくないという想いから、母国を離れてフランスに移り住むことを決心したのです。
平和な暮らしを求めてキャンピングカーに乗り込んで辿り着いた先は、故郷から遠く離れた南仏ラングドック地方。
ここでの数々のワイン生産者との素晴らしい出会いによって、彼の運命は(いい意味で)大きく狂わされてしまったそうです。
今でこそ入手困難な生産者ですがフランスに滞在していた当時は比較的手に入れやすく、良心的な価格ということもあって度々試飲する機会に恵まれました。
温暖な地域のワインでありながらどこか冷涼な印象すら受ける抜け感のある飲み心地の良さと、全てのキュヴェ(銘柄)にも共通して感じられる樹木や香辛料を連想させるオリエンタルな香り。
どのような背景で彼のワインがもつ唯一無二の個性が生まれるのか、どうしてもその答え合わせがしたかったのです。
先述のドメーヌ名にまつわる彼のパーソナリティも含めて、是非とも蔵を訪ねて話を聞いてみたいと思っていました。
お世辞にもアクセスのいい場所にあるとは言えず、知人から車を譲り受けたことでようやくその夢が叶いました。
笑顔で迎え入れてくれたアクセルは蔵での試飲もそこそこに、
『これから畑に行こう。君の質問に対しての答えは全てそこにあるから。』
と、私が運転していた車よりもさらに年季の入った彼の車に乗り込み、ぐんぐんと丘を上がっていきます。
轟音といっても差し支えないエンジン音もさることながら、物腰の柔らかさと不釣り合いな大胆さ、そのうえで全てを見透かされるような聡明な佇まいが印象的な人でした。
それまで訪問した生産者の畑と比べて畝と畝との間隔がとても広く、山間に位置するということもあって非常に風通しがよく、そしてとてもいい香りのする畑でした。
以前畑を所有していた生産者が機械を使って作業するために、それまで植えられていた木の半分近くを引き抜いてしまったそうですが、結果として風通しや水捌けがよく作業もしやすいため、畑を引き継いだ今も改めて新しい木を植えるつもりはないようです。
日当たりのいい広々とした畑にはタイムやウイキョウなどの様々な草花が自生していて、徐に手に取ったウイキョウを口にした彼を真似てゆっくりと歩みを進めます。
南仏にはガリーグ(Garrigue)というこの地域ならではの個性的な香りがあります。
石灰岩質の乾燥した土地に自生するハーブや灌木の森を指し、この地に降った雨水はその香りやエキス分を多く含んで地下へ染み込んでいきます。
樹齢の高い葡萄の木は地中深くまで根を張るため、エキス分を多く含んだ地下水の影響で爽やかな風味や複雑みをもたらします。
また、強い日差しで半乾きの状態となった畑に自生するハーブや周辺の樹木の芳しい香りが、絶え間なく吹き付ける風によって畑に滞留して、葡萄の果皮に少なからずの影響を与えるのだそうです。
畑を見渡すと周りは低い石垣で囲われていて、外側にはローリエやオリーブ、イチジクなど様々な樹木が植っていました。
40度に届きそうな猛暑であるにも関わらず、標高の高い彼の畑には常に乾いた風が吹き抜けていて、涼しいとすら感じるような不思議な感覚でした。
そして畑には風が運んできた様々な草木の香りが漂っています。
短い時間ではありましたが畑の中で葡萄と時間を共有できたことで、彼のワインの個性がどこから来るのかその答えがようやく理解できました。
フランス語でテロワール(Terroir)といわれる土地の個性の本当の意味を、彼は多くを語らずとも畑の中で教えてくれたのです。
ご厚意に甘えて彼の家で食事をご一緒させていただくことに。
恐らくは彼の蔵を訪問した飲食店やワイン関係の方のお土産でしょうか、キッチンには至る所に日本の食材や調味料が見受けられます。
賞味期限をとうに過ぎている発酵食品のパックや香りが飛んでしまった香辛料など、多くのものは勿体ないけれど処分した方が良さそうなものばかりでした。
きっとどう使っていいのかわからなかったのでしょう。
出来るだけ分かりやすく説明すると彼はとても喜んでくれて、訪問のお礼にと私が簡単な手料理を振る舞うことになりました。
料理のお供に彼が選んでくれたのは「アヴァンティ ポポロ」というワイン。
キュヴェ名の由来はイタリアで労働運動が盛んだった頃に歌われていた「赤い旗」という歌の一節からとったそうです。
ロゼのように淡い色調で瑞々しいチェリーのような果実味と、複雑な香辛料の香味が印象的な軽めの赤ワインです。
非常に繊細な酒質でその日のうちに飲み切った方がいいような線の細い印象を持っていましたが、聞けば一週間前にコルクを開けて室温で放置していたとのこと。
微かにガスっぽさが残っているので、少々乱暴にカラフェに入れ替えて撹拌する始末。
『Ça y est ! (これでよし!)』
たっぷりと注がれたワインからは得もいわれぬ官能的な香りが、味わいにも一切の不安定さはありません。目から鱗とはまさにこのことで、鳥肌が立つような旨さでした。
ワインを造った本人だから当然かと思われそうですが、カラフェに移すまでは少なからずのオフフレーバーが出ていました。
ワインが息を吹き返すその一部始終を目の当たりにした私は、確かに彼はワインと「対話」してもう一度命を吹き込んだのだと、そう思わずにはいられませんでした。
誰がどのように注ぐのか、注ぎ手としての付加価値の重要性を改めて気付かされたのです。
談笑を交えての食事も終わり片付けをしていると、日当たりのいい場所で直置きにされていた一本の土佐酢を見つけました。
随分前に期限が切れていたのと室温で放置されていたということもあり、勿体無いけれど処分した方がいいかも知れないと伝えると、
『この酢はまだ死んでいないよ。まだ発酵を続けている。
嫌な酸っぱさがなく甘い香りがするだろう?
日本語は読めないけれど添加物を加えずに丁寧に造られたお酢じゃないかな?
僕は捨てずに様子を見ながら使っていくつもりさ。
この麹も麹も発酵時に少し使ってみようと思っているんだ。きっと興味深いだろう。』
もっとワインのことを知りたくてフランスにやって来たわけですが、例えば普段から口にしていた日本酒や醤油、味噌などの日本が誇る食文化について私は何も語ることは出来ません。
原材料こそ違っていても、酵母や麹の力を借りて作られた同じ発酵食品です。
一芸に秀でる者は多芸に通ずではありませんが、そのものの知識はなかったとしても昔ながらの製法で丁寧に仕込まれたものには通じるところがあるからこそ、その本質が理解できるのでしょう。
改めて発酵を生業とした造り手の凄みというものを垣間見た気がしました。
とても充実した時間を過ごさせてもらいましたが、実は彼と直接的なワインに関する話は少しもしていません。
ゆっくりと風を感じながら畑を歩いたり、何気ない食事を通じて発酵の奥深さというものを知ることができたり。
そういった肌で感じたことが巡り巡って自分だけの知識や感性に繋がるとすれば、時には遠回りや廻り道もしてみるものですね。
そしてそれが本質を理解する一番の近道であると実感しています。
いつの日にか再び彼の蔵を訪ねることがあれば、あの時の感動を忘れずに今もワインを注いでいるよと、グラスを交わしながら伝えたいものです。
一本のワインとの出会いが、その後の人生を大きく変えてしまうかも知れない。
そんなワインに人生を狂わされ、現在進行形でワインに狂わされ続けている小さなワインスタンドの店主の話。
日々思うあれこれや是非ともお伝えしたいワインに纏わるお話を、このnoteにて書き綴らせていただきたいと思っております。
乱筆乱文ではございますが、最後までお読みいただきありがとうござました。