難しい話2

人が子を産むのに適している時期は

助け合う義務のある人たちと一緒に暮らしていて、まだまだ元気でいてくれているうちの、10代後半、

あるいは、そうでなければ、
人生に余裕が出てきた、生きることがわかってきた、30歳頃だと思う

 

望まない妊娠なんてこの世にない

お金がないだけで生きられない命、
お金がないだけでなかったことにされる命を黙認してはいけない
覚悟のない、その気のない者たちの間に生まれてしまった命だとしても
この世界に必要だから生まれてきた

性教育なんて甘っちょろいことを言っていたら間に合わない

知識がなかったのだとしても
妊娠を望んでいなかったのだとしても
体を重ね繋がりたいと願ったということは、
そして妊娠したということは、
それは望まない妊娠なんかじゃない
その命を消したら、親になるはずだった若者たちの成長もなくなる、子を産めば、子が成長し、自分も成長していく

知識も覚悟もその気もないのにセックスしてしまうような愚かな若者たちは、そのまま生きても必要な成長はしないだろう
親になり、子を持ち、子の成長を感じることで、忘れていた自分の成長を感じることができるようになるのではないか

知識も覚悟もその気もないのにセックスしてしまうような愚かな若者たちがそのまま大人になり、助けてくれる人もいない孤独の中で、周りに流され、
置いていかれないために誕生させられる子らは、
満足に成長できないし、その愚かな大人どもは子と一緒に成長していくこともない

たとえばの話、
20代で、自分の意志でした、自分の責任ですって、すべてを背負いながら孤独に子育てするより
10代で、みんなに助けてもらいながら、自分も大人になりながら、我が子の成長を見守ることができたなら、子も、自分も、自分の親も、社会も成長していくことができるのではないか

10代で妊娠した子らへは
国による手厚い補償で
子を育てられる環境を与えられるべきではないか


昔ながらの常識を愛する人々は
大人になったら変態として生きてよくて、
子どもは変態ではいけないよって思っているみたいだけど、
本来は、子どもは変態で、
大人になったら変態ではなくなるのが普通だと思うのだが


怖いもの知らずな子どもではなかったぼくは
自分ができていない段階でそんなことをしようなどと
身体が動くことはなかったが


ちょっと前の時代なら
15歳ほど年の離れた弟や妹を親の代わりに育てるようなことは普通のこととしてあったのではないか
これからの時代はどうなっていくであろうか


持て余した時間とお金があるというだけで
生まれることを望んでいない命を無理矢理につくりだすことなど
あっていいのだろうか


生まれなければいけない命を消し
生まれてはいけない命を誕生させてはいないだろうか


人が人の親になるために必要なものはお金ではなく愛ですよ

愛をお金に、

換金しなければならない社会で、

もうお金しか持ってない
換金するための愛がいらなくなった人々
溢れるお金
湧き出すお金しか持ってない人々が
愛のない世界に
うじゃうじゃと湧き出してはいないか


恐怖の海
社会という海原に
飛び込む必要はあるのか

ないだろ

隣で
共に成長しよう

社会は人をたべすぎた
これ以上大きくなるべきではない


おめでとうはおめでとうだ

誕生したすべての命に
心からおめでとうと言える世界で

ありがとうと、
心から言い合う
そんな夢を見ている

ぼくの未来


未来にも

今しかないし

今も

未来だよ

行きたいところにふらっと行きたい、ひとりのひかり暮らし、明日を恐れずに今日を生きたい、戦争と虫歯と宝くじのない世界を夢想してみる。