書くこと
私は父が亡くなってまず文章が書けなくなりました。
正確にいうと入院して病状が重くなった頃から
書くということは私にとってしんどいものになりました。
目の前の父のことを書きたい、
小さな変化も記録しておきたい
そして自分の思いも残しておきたいという気持ちはありました。
もともと父もそうでしたが、
私も記録したり、文章を書いたりすることが好きでした。
それなのに、ペンを取ることはできませんでした。
これが怒りの感情だったら。。。
おそらく書けたのではないかと思います。
深い悲しみの中で
自分の気持ちを文字にするのは
難しいことなのだと思いました。
思えば
父も日記など毎日コツコツ書き綴る人でした。
4年ほど
一日も欠かさずに書き綴った
父の日記が手元にあります。
そんな父もまたそうだったようで、
去年の日記は残されていず、
スケジュール帳にメモ程度に走り書きされているもののみ。
入院して最後に書かれていたのが
孫の誕生日、
入院して1ヶ月目のことでした。
孫の名前が震える文字で残されていました。
深い悲しみは
その人の持つ
その人の得意な表現方法を
奪うことがあるのだと思いました。
そんな深い悲しみの中でも自分を見失わず
表現していける人を
プロというのかもしれません。
今はまだ書くことに痛みが伴う私です。
でも、書けるようになったということは
小さな一歩を踏み出したといえるのかもしれません。
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