可能性は考え方次第
自分自身の可能性は考え方次第で決まる。
冒頭からそんなテーマで話が始まった人間塾。
私が入社した会社の代表が、定期的に開催する講義がある。
人間力について深く自分自身と対峙する時間として人間塾がある。
そんな講義に私が初めて参加して感じたことを言語化したいと思う。
※私にとって影響力のある方からの話を自分なりに咀嚼して吐き出しているだけなので、生意気に何言ってんだみたいには思わないで読んで頂ければと思います笑
何故あなたは働いているのか?
この問いを投げかけられた時に自分自身だったらどう答えるか。
・お金を稼ぐため→いくら稼ぎたいのか。
・家族を養うため→養えるお金があれば仕事はしない のか。
・幸せになりたい→具体的に何が幸せなのか。
働く理由がそれぞれ違うのは大前提である。
では、働く理由に対して自分がイメージしているものを映像として映し出すことができるか。
まず、そこが明確な形としてないと、辛くなった時、苦しくなった時に逃げ出しやすい状態になってしまわないだろうか。
また、目標がない、目的がないものに対しての行動は、彷徨っているだけではないだろうか。
一方、家族を養うために働いていると考える人は、家族が養える経済力があるなら働かないのか。
人生の大半を仕事に費やす私たちにとって、働く理由がそんなに表面的なものなのだろうか。
もちろん私の中でも、仕事を通じて幸せになりたいというざっくりとしたものしか今は見えていない。
働くことに対して腹の底から思う本質的な部分が、映像化できるなのはまだまだ先の話かもしれない。
だからこそ、表面的に感じる負の感情に揺さぶられ、自分の可能性にストップをかけてしまったら非常にもったいないと思う。
恥ずかしい、自分には向いていない、給料が低い、辛い、、、
自分に矢印を向けることができればそれらはすべて自分の中に原因がある。
全ての結果は自分が下した判断である。
〇〇が嫌い、〇〇がムカつくといった愚痴も自分の表面的な感情からきていないか。
人間は1人では生きていけない。
仕事においても、プライベートにおいても、手を差し伸べてくれる仲間が多い人ほど充実した人生を送れるのではないだろうか。
私がこの講義を通して一番腹落ちしたことは、常に自分の心に立ち返る、何事も自分の心の問題であるということ。
自分自身の可能性を広げるのも狭めるのも全ては、考え方次第であるということを学ぶことができた。
私は自分の人生においての軸も定まっていなければ、時には他人からどう思われるかといった判断基準で物事を考えてしまうことがある。
それらを解決するために、暇を作らない、毎日を精一杯生きることを意識してこの一年間を送れればと思う。