伝説の恋のおまじない
ユウカは、期待していた。
友達のアヤが、伝説のおまじないの方法を見つけたと知らせてきたのだ。
ユウカは高校で、現代美術同好会という部活に所属していた。
文字通り、芸術的分野でも、比較的新しい芸術に特化した部活動である。
例えば、デジタルアートだ。
ペイントソフトを用いて絵を描くはもちろん、活動が今より盛んな年に、小規模だがプロジェクトマッピングに挑戦した先輩もいたらしい。
最近だと、AIアートといったところだろうか。
しかし、同好会である。
部員数はとても少ない。
目指す賞などなく、活動内容もいまいちパッとしない為に、入部する生徒は少ないのだ
顧問も稀にしかやってこない。
やってくれるだけ、ありがたいのだが。
今日も部員五人で特に何もやるでもなく、漫画やファッション雑誌を読みながら、内緒で持ってきたお菓子を食べている。
全員女子なので気楽なものだ。
そんな折、同じ同好会に所属するアヤが『伝説の恋を成就させるおまじない』を見つけたと言ってきたのだ。
伝説の……、そう伝説なのだ。
存在するかもわからない、口伝のみで噂の広がったおまじない。
本当にあったんだ、ユウカは驚いた。
事の始まりは、二年、いや三年前だったか、時期は定かではない。
AIによる画像作成が、一般にも広がってきた頃合いだ。
この部活の先輩が、AIを使用して作り出した画像の中に、一枚の魔法陣があったらしい。
見たことのない言語と数字で縁取られたそれは、いかにも魔方陣といった外観だった。
パッと見ただけでは、何の魔方陣かわからない。
元の命令用のコマンドも、『可愛い、もこもこの猫の画像』だったらしいので、AIの暴走だと話題になった。
しかし、その作成された魔方陣を、解析した物好きがいたのだ。
縁取られた言語を調べ、それが何であるかを、ついに突き止めたのだ。
それは、精霊を召喚する魔方陣。
召喚された精霊は、恋に関する願いを一つ叶えてくれるというのだ。
召喚方法は、まず、その魔方陣を赤いインクで真っ白な紙に書き写す。
この時、縁に書いてある数字を絶対に間違えてはいけない。
そして縁に書いてある文字列を、心の中で読み上げる。
最後に恋を叶えたい相手を思い浮かべ、強く精霊に届くように念じるのだ。
使用後の魔方陣は、燃やさなければいけない。
いかにもな方法だ。
しかし、あくまで噂で、一時期すさまじい効果があるとネット上にも画像が上がったのだが、すぐ消えてしまったらしい。
このおまじないを使って、二人の女子生徒が一人の男子生徒を取り合った末、片方が亡くなったとか、実は悪魔を呼び出す危険な魔方陣で、多数の死者を出し、国にデータを消されたなんて噂も出た。
だから、その魔方陣とやらの情報は、かけらも残っていない。
その噂を元にした、ニセモノが出回ったとも聞く。
本当にあるかもわからない、伝説の恋のおまじない。
それを、アヤが入手したというのだ。
にわかには信じられなかった。
アヤはよく、嘘かホントか判別できないふざけた冗談を言う。
振り回されることも、一度や二度ではない。
しかし、平坦な日常を彩ってくれるのならば、それが嘘であろうとホントであろうと、どちらでもよいのだ。
「ほんとにぃ?」と懐疑的な目を向けながら、ユウカは聞いた。
「本当だってー、信じてよ。アタシの兄貴が中古のスマホを買ったんだけど、その画像フォルダに入ってたんだって」
「普通、スマホって初期化されて売りに出されない?」
「兄貴、いかがわしいもの買うの趣味だから。壊れかけのガジェットを収集するのが趣味なんだ」アヤは、繕うように言った。
アヤに兄がいるのは知っている。
たしか、この高校のOBだ。
「兄貴が高校に通っていた時に流行っていたらしいから、間違いないって。見たことあるって言ってたし」
「見せてよ」ユウカは言った。
「これこれ」と、スマホを見せてきた。
一枚の画像が表示されている。
黒い背景に、赤字で円形状の魔方陣が描かれている。
「それっぽーい、いかにもすぎない」
「でしょ、でしょ」と、アヤと顔を見合わせてクスクスと笑う。
「恋が叶うっていうよりは、誰か死にそうなんだけど」
ユウカは率直な感想を言った。
デザインが、なんだか、おどろおどろしいのだ。
黒い大きな角の魔獣でも、這い出てきそうな見た目をしている。
そして、召喚者を、がぷり……。
「そんなことないってー、魔方陣なんてこんなもんだよ。ねえ、書き写さない?」
「そうだね。『現代美術同好会』の活動しなきゃ」
「忘れてた。ウケる」
アヤは、爆笑しながら赤ペンを取り出した。
マグカップの底を使って、円を描いている。
その手があったかと、真似をした。
アヤは勉強はいまいちなのだが、こういったちょっとしたところに知恵が回る。
「絶対数字は間違えないでね」
アヤは、真剣な眼差しで書き写している。
「間違うと、どうなるの」
「変なもの出てきちゃうんだって」
「変なものってなによ」
「さー、変質者とか?へんなおじさん?」
「それは、嫌すぎるかも」
二人は、きゃっきゃっ、と、不真面目に作業を続けていた。
「出来たけど、この後どうするの」
ユウカは、今しがた出来上がった魔方陣の書かれた紙を、ひらひらさせながら聞いた。
「呪文を心の中で唱えるんだよ」
「この文字みたいなの?読めんし」
口をとがらせて言った。
「まあ、まあ、アヤちゃんにぬかりはないから」と、アヤは日頃持ち歩いている、可愛いシールとマスキングテープだらけの手帳を取り出した。
「えーっとね、これ。兄貴が訳してくれた」そう言い、手帳のページを開いた。
『我が血肉を捧げん、我が心を贄にせん。名を呼び、魂を結び、永遠の縁を誓わん』
「なんだか、仰々しいね。大丈夫?これやっぱ、誰か死んじゃわない?」
ユウカは、さらに不安になった。
くすくす、とアヤは笑いながら「そもそも、こんな眉唾物の魔方陣、効くわけないっしょ」と言った。
そう言われると、そうなのだけれど。
今まで、ありとあらゆる、おまじない、占い、ジンクス等を試してきたが効いたことはない。
「ほらほら、やろう」と、アヤが催促する。
ユウカはしぶしぶ、魔方陣を前にする。
アヤの手帳を見ながら、呪文を心の中で唱えた。
「この後どうするの?」
横目でアヤを見ながら尋ねた。
「好きな人を思い浮かべる。そして、ユウカ自身を思い浮かべるの。そうして、結ばれますようにって強く願うんだってさ。詳細に、正確に思い浮かべたほうが成功率上がるんだって」
成功率なんてあるのか。
なるべく詳細に思い浮かべた。
対象はそう……同じクラスのカイ君だ。
まぁ、大好きかと言われると、悩むところではあるのだけど、カッコいいし、爽やかだ。
誰かに好きな人を聞かれたときには、カイ君と答えるようにしている。
横目でアヤを見る。
目をつぶって熱心に思い浮かべているようだ。
そういえば、アヤの好きな人は誰なのだろう。
腐れ縁で、小学生の頃からなにかと一緒になることが多いが、好きな人を聞いたことがなかった。
「終わったー」と、アヤが伸びをしている。
「ユウカの好きな人は……聞かんでもわかるか」そう言い、アヤはしっしっし、と笑っている。
「アヤは誰にしたの」
「ナイショ」
「ずるくない?」
「ずるくないよ、別に言い合う必要ないでしょ。お互い効くといいですな」
アヤは、満面の笑みを浮かべている。
明くる日。
学校に、部活に、塾に、何かと忙しいユウカは、おまじないのことなど、すっかり忘れていた。
教室に入って、カイ君を目にしたときに、やっと思い出したぐらいだ。
カイ君は、相も変わらず爽やかでカッコいい。
周りの男子たちと、何やら小突きあいながら話している。
ぼーっとカイ君を眺めていた。
毎日の日課のようなものだ。眼福、眼福。
本当に、見た目が良いのだ。
ふと、カイ君がこちらを向き、はにかんだ様に笑った。
ほんの一瞬だったが、目が合った。
ユウカは、びっくりしてしまった。
こんなことは初めてだ。
もしかして、あのおまじないは効果があるのだろうか。
アヤにも聞きに行こうと思ったのだが、もう朝礼が始まってしまう。
アヤは同じクラスではないのだ。
部活であったら聞いてみよう。
放課後。
今日、塾はない。
現代美術同好会の部室で、だらだらと過ごすつもりだった。
「アヤ」と呼びかけながら部室に入る。
あれ、アヤがいない。
他の部員が、何しているんだコイツ、というような目でこちらを見ている。
「あれ、アヤは?」ユウカは尋ねた。
「どうしたのユウカ、ぼけた?さっきアヤと二人で、映画行くって帰ったじゃん。はぐれた?」
「え……」
帰りの会の後、先生を手伝うために職員室に寄って、たった今部室に着いたところだ。
そんなはずはない。
誰かと勘違いしているのだ。
部室を出て、アヤにスマホで電話をかける。
繋がらなかった。
呼び出し音が何度か鳴って、そのまま音が聞こえなくなってしまった。
何度かけても同じだった。
うーん。
ならばメッセージを、と送ってみたが未送信になった。
一体どこにいるのだろう。
仕方がないので、とぼとぼ、と家に帰った。
ユウカは、寝る前にごろごろしていた。
雑誌を見ていたかと思うと、スマホを手に取り、画面を見て放り投げるとまた雑誌。
忙しない。
ピロンっとメッセージが届く音がした。
『今日の映画、エモエモのエモだったね。そういえばユウカに借りた参考書、借りたまま返すの忘れてた。明日返すね』の文章の後に、うっかりしてたと舌を出すスタンプが押されていた。
アヤからだ。
何を言っているのだろう。
確かに、学校からまっすぐ帰ってきた。
映画になど行っていない。それに参考書を貸した覚えもない。
所持しているものは、全て机上にまとめて置いてある。
誰かに間違えて送ったのか?いや、しかし、ユウカと文中に書いてある。
『何言ってるの、今日映画になんか行ってないよ。まっすぐ家に帰ってきたし』
そうメッセージを返したら『もー、そういう冗談いいから。じゃあね、明日ね。お休み』と、間髪入れずメッセージが来た。
一体、どういうことだろう。
それ以上深堀りして、変に友情にヒビを入れたくなかったので、ユウカは眠ることにした。
明くる日の昼。
ユウカは今日の午後に提出する予定の課題を、うっかり忘れてしまっていた。
だから貴重な昼休みの時間を犠牲にし、必死になって仕上げているのだ。
そんな折、席の前に立つ人影があった。
なんと、なんと、カイ君だった。
思わずユウカは、ほうっと見つめた。
「今、時間いいかな」
爽やかな笑顔で、そう言った。
今、まさに、課題に追われている真っ最中であったが、ユウカは「大丈夫です」と答えてしまっていた。
だって、カイ君が時間を作れと言っているのだ。
課題など、どうでもいい。
先を歩いて行く、カイ君に続いて歩く。
どこに行くのだろう。
しばらく後をついていくと、カイ君が振り返った。
そこはあまり人のこない、理科室や美術室など、実習する学科の教室がまとめられた棟の隅っこだった。
心臓がバクバクと鳴っている。
「昨日の返事だけど」カイ君はそう、切り出した。
昨日の返事?何のことだろう?
……『防災標語コンクール』の事だろうか?
ユウカは、クラス委員をしていた。
じゃんけんで負けたので、押し付けられたのだ。
イベント事を、朝礼や帰りの会で告知するのもユウカの役目だった。
昨日の帰りの会で『防災標語コンクール』の参加者が、あまりにも少なかった為、追加で作品を出すようお願いしたのだ。
わざわざ、こんな閑静な場所で『防災標語コンクール』?
ユウカは、混乱していた。
「付き合ってほしいって話。いいよ、実は、オレも前からユウカさんのことが気になっていたし」カイ君は、はにかみながらそう告げた。
は。いつ告白したのだろう?
無意識に?まさか、そんな。
昨日、無意識にアヤと映画に行き、参考書を貸した後、カイ君に告白したとでもいうのだろうか。
スケジュールが渋滞しすぎじゃないか?
いいや、そんなわけがないのだ。
天然で、おっちょこちょいなユウカだが、流石に自分の行動ぐらいは制御できている……はず。
そうか……わかった。ユウカは閃く。
これがあの『伝説の恋のおまじない』の効果なのだ。
私の代わりに、告白してくれた!
しかし、アヤと映画に行ったり、参考書を貸したりしたのはどういった理由だろう。
おまじないのオプションなのかな?と、適当な考えが浮かんだ。
とにかく、この場を収めなければならない。
ユウカは、はっきり、きびきびした声で「ありがとうございます」と元気に言いながら、キレイな角度でお辞儀をしていた。
カイ君は笑っていた。
それはもう、爽やかに。
その日の放課後。
塾がある日だったので、部活にも寄らず向かう予定だ。
すると、そこにカイ君がやってきた。
「今日、塾の日だよね。一緒に行こうよ」そう言った。
そう、カイ君も同じ塾なのだ。
同じ塾なのだ、というよりは、同じ塾にした、の方が正しい。
親にごねにごねて、少々授業料の高い塾に入会させてもらった。
そういえば、付き合いだしたのだった。
急に、気恥ずかしさが押し寄せてきた。
今までは距離感があったから耐えられたのに、すぐ真横にいると思うと、まともに顔を見ることができない。
塾までの路程、何か会話をしながら歩いたと思うのだけれど、正直、覚えていなかった。
その日の夜。
ユウカは、カイ君と過ごした夢のような時間を、頭の中で反芻しながら、にやにやしていた。
そういえば、アヤと今日一度も会話をしていない。
普段は何かしらの理由で絡むのだけれど、カイ君のことで飛んでしまっていた。
参考書が、どうのこうの言っていたではないか。
慌ててアヤにメッセージを入れる。
『ごめん、参考書の事忘れてた』
『何言ってるの。さっき返したじゃん。塾の日なのに、なぜか部室に来てさ。親に怒られなかった?』
まただ、知らないうちに、もう一人のユウカが活動している。
怖くなってきた。
『今日、ユウカがアポロチョコを鼻に詰めたの超ウケた』
……何をしているんだ。
もう一人のユウカ。
ここはもう、話に乗っておこう。
『今度はコアラのマーチに挑戦するよ』
アヤから、爆笑しているようなスタンプが送られてきた。
恋の願い事を、叶えるだけではないのだろうか。
こんな事をされていると、つじつまが合わなくなってきそうだ。
何せ今日は、カイ君と塾に行ったユウカと、アヤに参考書を受け取りに行ったユウカが、同時に存在していたことになるのだ。
もやもやしながら、ユウカは眠りについた。
もう一人のユウカは、今どこで何をしているのだろう?
そんなことを考えながら……。
数日後の放課後。
今日もカイ君と下校をしていた。
本当は部活に寄りたかったのだけれど、カイ君に誘われたのなら、しょうがない。
カイ君もサッカー部に所属しているのだが、テスト前なので休みなのだそうだ。
当たり障りのない、趣味のことなどを話しながら歩いていた。
ふいにカイくんが「そういえば」と話を切り出した。
「ユウカさんに、アヤさんって友達がいるじゃない?あの少し賑やかな子」
「うん。同じ部活なんです」
そう、返事をした。
「そのアヤさんから、最近、よく話しかけられるんだよね。実は、今日も帰り際に、どこかに行かないかと誘われたんだ」
ばつの悪そうな顔でそう言った。
え、何故だろう。
……もしかして、願い事がバッティングしている?
実はアヤもカイ君のことが、好きだったのだろうか。
アヤは色恋など、興味がないと思っていた。
現にそういう話をすると、話を逸らすからだ。
それも、もしかして、私と同じくカイ君のことが好きだったから……とか?
言ってくれればいいのに。
もちろん、カイ君との付き合いも大事だけれど、アヤとの関係も壊したくはないのだ。
「アヤは、私とカイ君が付き合いだしたことを知らないんです」
そう、答えた。
「へぇ」とカイ君は腑に落ちていないような、顔を浮かべた。
実際、話していないから知らないはずだ。
でも、もう周りで噂になっていてもおかしくはない。
何せ、カイ君は女子に人気があるのだ。
こうやって下校している最中でも、少し周りの目線が怖い。
その後も、当たり障りのないことを話しながら帰路についた。
夕飯を食べた後。
ユウカは、だらだらしていた。
もうすぐテストだけれど、本当にぎりぎりになってからでしか、やる気が起こらないからだ。
綺麗に磨き上げた爪にうっとりしていると、メッセージが入った。
『部活で話してた漫画、テストが終わったら貸すね』
アヤからだ。
相変わらず、もう一人のユウカは活動している。
なんだか、気にならなくなってきていた。
上手くやってくれているのであれば、それでいいではないか。
ユウカは元々、物事を深く考えず、適当な性分なのだ。
『超、楽しみにしてる』そう、メッセージを送った。
一体、何の漫画が貸し出されるのやら。
愉快になってしまったユウカは、そのまま眠りについた。
朝。
しまりのない顔で朝食を食べていると、母が「あんた、最近、勉強頑張ってるね」と声をかけてきた。
そうだろうか。
昨日も結局、教科書すら開かなかった。
「リビングで遅くまで勉強してて、感心した」
母はニコニコ笑顔で、そう言った。
……おかしいな。
また、もう一人のユウカがやったのだろうか。
確かに、本気で勉強をしたいときは、怠けてしまう自室ではなく、親の目の届くリビングで勉強をするようにしている。
しかし昨晩は、せっせと爪磨きに没頭していた。
代わりに勉強してくれたのならば、その成果をくれないだろうか。
また、暢気なことを考えていた。
この後、大変なことになるとも知らずに。
異変がどんどん起こる。
知らないうちに、防災標語コンクールで入賞していた。
『防災は未来への約束、一歩先の備えが命を守る』
当然、知らない。
クラスメイトに提出しろと言いながら、ユウカは出していなかったのだ。
そして年に一度開催される、周辺校とのディベート大会の参加者にも立候補していた。
いや、知らない、知らない、面倒くさい。
流石に、もう一人のユウカを止めなければいけない。
あちこちに顔を出せば、そのうち見つかるはずだ。
こんなにも、色々なことを、しでかしているのだから。
ユウカは探し回った。
もう一人のユウカを。
塾の日も、念のために部活を覗いてみたり、職員室にも、行く理由もないのに行ってみたり……。
家に帰った後も、勝手にリビングで勉強していたりはしないかと、見まわった。
どこにもいない。
同じ顔の人間が突然現れたら、それはそれで気味が悪いのだけれど。
成果を上げられぬまま、数日が経った。
朝。
もう一人のユウカが登校してきやしないかと、教室の窓から見ていた。
そこへ、カイ君がやってきた。
付き合いだして一月ほど経つ、だいぶ距離感も縮まってきた……気がする。
横に立つと、ずいぶんと照れた顔をして、「昨日はごめん……その……上手にできなくて」そう言った。
何をーーー?と、思わず叫んでしまいそうになった。
もう一人のユウカに、先を越された。
いいや、きっと鉄棒の逆上がりか何かだ。
そう思うことにした。
「そんなことないよ。上手だった」
ユウカは、適当に答えた。
もうだめだ、捨て置けない。
このままでは、生徒会長にでも立候補されかねない。
「じゃあ、明日遊びに行くの楽しみにしているよ」カイ君が言った。
明日約束しているのか、もう一人のユウカが勝手に……。
ん?これは好機じゃないか。
待ち伏せればいいのだ。
カイ君と会う前の、もう一人のユウカを。
「ごめん、カイ君。もう一度、確認させてもらっていい?明日の集合時間とか、場所を」
「いいよ、いいよ、ユウカはおっちょこちょいだからね。明日、朝十時に、君の家の最寄りの駅に迎えに行くから待っていてね。しかし、ちょっと心配だな」
「何が?」
「最近、アヤさんがしつこいんだ。家の前で、待ち伏せされるようになった。決まってユウカと会う日だよ」
そんな。
相変わらず部活でつるんでいるが、そんなそぶりは見せない。
カイ君と付き合いだしたことも、知っていて知らぬふりをしてくれているようにも思える。
友情にヒビが入るのは嫌だけれども、一度聞いてみたほうがいいのかもしれない。
放課後。
ユウカは意を決して、アヤにカイ君とのことを聞いてみようと考えていた。
部室に入ると、アヤが漫画を読んでいる。
幸い、他の部員はいない。
「ねえ、アヤ」
「どうした、どうした、変な顔をして」
いつものように、飄々とした口調でそう言った。
「私とカイ君が、付き合いだしたの知ってるよね」
「うん。知ってる」
「カイ君が、最近アヤが自分のところに来るって言ってるんだけど、本当?」
アヤは少し考えた後に「うん。本当」と答えた。
特に悪びれた様子もない。
「なんで、そんなことをしてるの」
「ひみつ」
「もしかして、アヤもカイ君のことが好きだったの?おまじないもカイ君にかけた?」
「ううん。全然興味ないし。おまじないかけたのも別の人」
妙に、機械的な口調の返事だ。
「嫌?アタシがカイ君に会いに行くの」
アヤが、続けて聞いてきた。
「うん。あまりそういう事は、しないでほしいかな」
なるべく、責めないような口調で言ったつもりだ。
「わかった」アヤは答えた。
何でもない事のように、あっさりと。
それで……話は終わった。
それからは静かに、二人で漫画を読んでいた。
もやもやを、募らせたまま……。
しばらくの静寂の後に、アヤが、ポツリと。
「嫌いにならないでね」と言った。
言っている意味があまり吞み込めず、ユウカは「うん」と困惑を乗せたまま答えた。
「よかった」と、アヤは嬉しそうに言う。
明くる日の朝。
ニセモノのユウカと、カイ君のデートの日だ。
ユウカは身を潜めて、ニセモノのユウカが来るのを待った。
察して、すっぽかしたりはしないだろうか。
コンビニで買った、パックジュースをちゅーちゅーと啜りながら、そう考えていた。
杞憂だった。
ニセモノのユウカはやってきた。
そっくりだ。
……そっくりだけど、まとう雰囲気がなんだかオシャレだ。
髪も綺麗にカールさせている。
着ている服は、クローゼットにある見慣れた服だ。
いつの間に着替えたんだろう。
しかし、怖い。
実際、目の当たりにすると、とてつもなく怖く思えてきた。
だって、瓜二つなのだ。
ニセモノのユウカが、じいっと、こちらを見ているような気がする。
怖気づいていると、ニセモノのユウカの方から、たったったー、と走り寄ってきた。
「何しているのー?」
ニセモノのユウカは、さも友人にでも話しかけるように言った。
思わず逃げそうになった。
まさかニセモノの方から来るとは、思ってもいなかったのだ。
「一体、あなた誰なのよ」
声を上ずらせながら聞いた。
「知っているくせに、何で聞くの」
くすくすと、笑っている。
「何が目的で、こんなことをしているの」
「何が目的って、あなたが呼んだんじゃない。恋を成就させればいいんでしょ。それならもう達成しちゃったけれどね」
艶っぽい目で、私を見つめてくる。
「達成した?まだ告白して、付き合いだしただけじゃない」
むきになる。
「もう、私に夢中よカイは。あなたじゃない。子供っぽくて、間の抜けたあなたじゃ、カイは靡かなかったでしょうね」
間の抜けたとは、ずいぶんな言いようじゃないか。
「それにね、パパもママも私の方が好きよ。勤勉で真面目な私の方が好き」
続けて、そう言った。
「恋を成就させるだけじゃないの?」
「私ね、気づいたの。あなたなんかより、私のほうがずっと優秀だってことを。私はあなたの記憶をすべて持っている。私はあなたの代わりに生きていけるのよ。現にあなたと入れ替わって動いていた時も、誰一人として、入れ替わっていることに、気が付かなかった。それどころか褒めてくれた。いつもより、素敵だって!」
きゃはは、と、ニセモノのユウカは高らかに笑っている。
「そこまでのこと、お願いしてない……」
ユウカは、泣き出しそうだった。
大して評価を受けてこなかった自分という人間が、ひどくみじめに思えてきたのだ。
「よく考えずに私を呼んだんでしょう?あの魔方陣は、そんな都合のいいものではないわ。血肉と魂を捧げたのだから、あなたに残るものなんてない」
「そんな、返して、私を」
懇願した。
「嫌よ。同じ顔が二人もいるのは不便なの。あなたはあっちの世界にいって頂戴」
「あっちの世界?」
「私が、元々いた場所よ。ずっと出られる日を待っていたわ。あっちの世界はね、薄暗くて何もなくて寂しいの」
悲しそうな顔で、ニセモノのユウカは言った。
「じゃあね」と、ニセモノのユウカに、そっと後方に押された。
ユウカが返す言葉を紡ぎだす前に、すとん、と落ちる感覚がした。
世界が、上に、上に、上がっていく。
ユウカは目を覚ました。
気を失っていたようだ。
辺りを見渡す。
気を失う前にいた場所と、同じ場所にいるようだが、なんだか薄暗い。
世界に色がない。そして、人がいない。
駅前なので、どんな時間であっても、それなりに人がいるはずなのだ。
ユウカは、周囲を歩き回った。
歩き回って、歩き回って、へとへとだ。
自分の家や学校もあったが、どこも薄暗く、色がなく、人がいないのだ。
ユウカは、へたり込んで泣き出してしまった。
誰もいない。
頼れる人は誰もいない。
頼れない人だっていない。
わあ、わあ、と泣いていたところに。
「おおーい」と、声がした。
誰かが走り寄ってくる……アヤだ。
「アヤぁ」と、ユウカはアヤに抱きついた。
「おお、よしよし」とアヤが、ユウカの頭をなでる。
「アヤ、ここはどこなの。なんでアヤもいるの」
「知らんけど。兄貴に教えてもらったおまじないを、試したらここにいた。ほら、一時期噂になった、あの伝説の恋のおまじない」
「え、私は、アヤから教えてもらったけど?そのおまじない」
「そんなわけないし。ユウカには教えてないよ。この薄気味悪い世界に来てから、一度もユウカに会っていないし」
アヤは、難しそうな顔をしている。
「乗っ取られたの。ニセモノのユウカが出て、カイ君と付き合いだして、気が付いたらニセモノのユウカにドーンって」
「何言っているか、わからないよ」
アヤは困惑している。
「あの、おまじないって精霊様を呼ぶんでしょ?その精霊様に乗っ取られたんだよ」
アヤはしばらく考えるようなそぶりをして、「じゃあ、私のニセモノも生まれたってことか」と言い、うんうんと頷いている。
「私のニセモノにユウカが騙されて、ニセモノのユウカが生まれたと」
「きっと、そうだよー。どうしよう」
「どうしようも、こうしようも、どうしようもないよ。出口を探し回ったんだけどなかったし」アヤは言った。
「そういえば、アヤもニセモノが生まれたってことは、おまじないを試したんでしょう?誰との恋の成就を願ったの?」
ユウカの知っている限り、アヤが誰かと付き合いだした様子はなかった。
アヤは、目をそらしている。
「もうこうなったら、教えてくれてもいいじゃない。もしかして……カイ君だったの」
「ううん。全然興味ないし」
ニセモノと同じことを言っている。
「もー、誰よ」
きゃっきゃ、と、気が付いたら、いつものノリになっていた。
アヤとはいつもこうだ。一番気が許せる友達。
「ひかない?」アヤが言った。
「今更ひかないよ。アメリカ大統領って言ってもひかないよ」
「流石にアメリカ大統領じゃないし」
そう言って、手をたたいて笑っている。
「ユウカだよ」と、アヤは照れたように言った。
「へっ」
「おまじないなら、性別の壁も超えられるかなーってなんとなくね。こんなことになるとは思っていなかったけど」
「言えばいいじゃん。ひかないよ」
「でもユウカ、カイ君のことが好きじゃん」
むくれながらそう言った。
「付き合ってみてわかったんだけどね。私、カイ君の事、そんなに好きじゃなかったかも。やっぱり推しは、遠くから見ているからいいんだよ。付き合いだしてちょっと冷めたし」
「ユウカの恋愛観は難しいな」アヤは言った。
「そっかー、アヤは私のことが好きなんだー」
ユウカは、にやにや笑った。
そうか、だからニセモノのアヤは、カイ君との仲を妨害していたのか。
願い事で三角関係になって、きっとニセモノのアヤの中で、エラーが起きたのだ。
障壁になるカイ君との仲を裂こうとすると、嫌われてしまうと思ったのだろう。
結局、ニセモノのアヤは身を引いたのだ。
「ニセモノになってもいいやつ……」
思わず、声に出していた。
「ん?」アヤが訝し気にこちらを見る。
「どうしようかね」と、アヤが言った。
「どうしようか。でも私、アヤがいるならこっちの世界でも、そこそこ楽しめそうだよ」
「私もだー」と、二人できゃっきゃと笑いあった。
そんな時、上から人が降ってきた。
どさっと落ちて、そのまま、ぐったりした様子で倒れている。
気絶しているようだ。
中年の男性のようにみえる。
驚いて、上を見上げると、また一人落ちてきた。
今度は同じ年ぐらいの、男子学生。
二人で口をあんぐりあけながら、空を見ていた。
そんな折、アヤがふいに、「アタシ、まずったかもしれん」と呟いた。
「何を?」と、ユウカは聞いた。
「あのおまじないって、願った人のニセモノが生まれて、ホンモノはここにおとされるんだよね」
「そのはずだよ」
「アタシね、書いちゃったんだ。SNSに」
「えっ」
「バズるかと思って、兄貴に教えてもらった後に、ネットに流した」
そう言って、アヤはてへへっと舌を出した。
またひとり、またひとりと落ちてくる。
「どうするの、どうしようもないけど」ユウカは聞いた。
「まぁ、あんな怪しいおまじないを試す人、そんなにいないって」
そう会話している最中にも、人が、ぼとぼと落ちてくる。
「でもさー。あっちがニセモノだらけになって、こっちがホンモノだらけになったら、こっちの世界がホンモノになるんじゃない?」
ユウカは、のほほんと言った。
心なしか、世界にほんのり色がついてきたような気がする。
「アタシ。ユウカのそんなところ、ホント好きだよ」
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