愛されたい顔
ユカリは、苦悩していた。
鼻筋がすっきりと高く、もう少し小鼻であれば、と。
ブログやSNSで見る、インフルエンサーや芸能人の顔は美しく華があり、鏡に映る自分の顔が粗末なように思えてくるのだ。
ユカリは、ほうっとため息をついた。
祖母が、若いと色々物入りだろうとくれたお金が、数百万円ある。
祖母は、祖父が亡くなった際に受け取った遺産を持て余しているのだ。金払いがとてもいい。
ユカリはこれで、美容整形をしようかと悩んでいたのだ。
親からもらった大切な体とはいうが、多少不具合があったら、直す権利はあるのではないだろうか。
しかし、整形するほど醜形か、といわれるとそうでもない。
おそらく、中の、中の、中といったところだろう。
普通、平凡、記憶に残りにくい。
それに手術となるとメスは入るのだろし、失敗しないとも限らない。
ユカリは、大いに悩んでいた。
一人では、悩む時間が増えるだけだ。
会社の同僚に相談することにした。
「いいじゃん、いいじゃん、やりなよ」と同僚は、とても軽快な返事をくれた。
「今時珍しくないよ?術後もそんなにかからないらしいし、今ってマスクできるじゃん?やっちゃいなよ」
「そうはいっても怖くない?」
ユカリは、あまりにもあっけらかんと答える同僚にそう尋ねた。
「そんなこと言ってたら、永遠に悩み終わらんし!」と言い、ケラケラ笑っている。
そうなのかも知れない。
背中を押してもらうために相談したのだ。
「それにアタシ、いいとこ知ってるよ?あたしの二重も形をキレイにしてもらったんだ」と、同僚はしばらく目を閉じて、開いた。確かにきれいな二重だ。
「え、どこにあるの?予約とかいる?」ユカリは期待を込めて聞いた。
「予約は流石にいるよ」同僚は、くすくす笑いながら答えた。
「センセイは一人しかいないから、しばらく待つかもだけど、穴場。センセイ、超イケメンなんだ」そう、続ける。
どちらかというと、施術の先生がイケメンかどうかよりは、腕の方が気になるのだが。
同僚の二重の手術の痕を見ても、手術したかどうかもわからないぐらい綺麗だ。
ユカリは、同僚イチオシのクリニックの連絡先を聞いた。
約一週間後。
ユカリはドキドキしていた。今日午後一時半に、クリニックに予約を入れているのだ。
流石に今日施術ということはないだろうが、話は進み引き返しにくくなるだろう。
クリニックに着いた、入って正面に受付がある。
清潔感があり、置いてあるインテリアも洒落ていた。
一階に駐車場、二階が待合室と診察室、そして手術室があるのだろう。
それより上は、入院施設のようだ。
今日予約を入れている旨を伝えると、何やら記入する紙を渡された。
受付には二人、女性がいたのだが、どちらも目を見張るぐらい美しい。
それはそうだ。
美容整形クリニックの受付なのだ、美しくなければ客から敬遠されるのだろう。
記入する項目は、普通の病院と同じようなもので、薬の使用履歴やアレルギーに関するものだった。
どこを整形したいかなどの詳細は、きっと先生と話すのだろう。
記入した紙を受付に出すと、ユカリは呼び出されるのを待った。
廊下の奥から一人の女性が現れた。きっと前の客だ。
とても美しい。
人形のような顔の造形、シンメトリー、ユカリの理想とする顔だ。
自分もああなれるかもしれないと、胸に期待を膨らませる。
ついに自分の番が来た。
廊下の奥の部屋に進む。
清潔感のある部屋に通されると、薄っすらと口角を上げた、優し気な笑顔の男性が座っている。
「こちらへ座ってください」と、耳あたりの良い静かな声で、そう言った。
イケメンだ、眩しい、これが先生か。
ユカリは少し怯んだ。
質問に、淡々と答えていく。
カルテを作成しているようだ。
鼻筋を整えたい旨を話すと、カメラのついたパソコンのような機械の前に案内される。
先生が操作をしていくと、自分の顔が出てきた。
少し違和感がある。
そうか、これはきっと鏡面ではないのだ。
反転していない、自分の顔だ。
見慣れた自分の顔ではなかった為に、さらに残念な顔になったように思えた。
先生がカチカチ、と操作をすると、鼻の部分だけ造形が変わった。
すごい、術後の顔が予測できるのだ。
ユカリは技術の進歩に感心した。
「どうです。希望があれば反映させますよ」先生が言った。
食い入るように見たが、もうすでに完璧なのだ。
なりたい顔がそこにあった。
「これがいいです。これでお願いします」ユカリはそう言った。
自分の顔を『これ』扱いしていることを、愉快に感じてしまった。
「そうですか」先生はにっこり微笑む。
「手術はいつにしますか。一日入院してほしいですが。ご希望の日はありますか。ギプスをしばらく装着することになると思いますので、よくお考え下さい」
その事は予想していたので、長めに休暇がとれるよう調整済みだ。
「最短だと、いつになります?」ユカリは聞いた。
「本日でもかまいませんよ。本来なら水曜日は手術用の日なのです。幸いなことに、この後予定は入っていません」先生は言った。
そういえば、今日は水曜日だった。
流石に急すぎるなとユカリは思ったが、先ほどの術後の顔を見てから、期待に胸が膨らみすぎていた。
早くあの顔になりたい。
「今日でお願いします」と無意識のうちにユカリは口に出していた。
「では、そのように手配しますね」先生は薄く微笑んだ。
手術に対しての恐怖よりも、期待の方が勝っていた。
一晩入院して、術後の経過を先生に確認してもらう。
そしてギプスを装着してもらい、帰宅することになった。
あっさりだな、とユカリは思う。
思い悩んでいた時間は、とても長かったのに、手術はあっさり終わった。
術後の顔を少し見たが、どこにメスが入ったのかわからないぐらい綺麗だった。
赤みは差していたが、本当にそれぐらいしか変化していなかった。
よほど、腕がいいのだろう。
ユカリは、ギプスが取れる日を、一日、一日、数えながら楽しみに待った。
数日後。
指定された日に、クリニックへ向かった。
術後の経過が問題なければ、ギプスが取れるのだ。
ワクワクしていた。
経過を見てもらったが、問題はないらしい。
「顔全体のバランスを見て、問題ないようでしたら、本日で終わりです」先生は言った。
ユカリは、自分の顔を見る。
鼻筋がくっきりと通ったので、目の大きさが若干、物足りないような気がしたが、また別料金になってしまうだろう。
このままでも申し分ないので、問題ない旨を伝えた。
その後、注意事項などを二、三聞いて、診察は終わった。
本当にあっさりだ。
帰りがてら、鏡があるたびに見てしまう。
本当に美しい、まるで自分の顔ではないみたいだ。
自宅の最寄りの駅に降りたとき、一人の男性に呼び止められた。
「不躾で申し訳ないです。あなたがあまりに綺麗だったもので。もしよかったら、夕飯を一緒にどうですか」と。
人生初めてのナンパだ。
年の頃は自分と同じくらい。そして、かなりのイケメンだった。
断るという選択肢はなかった。
鼻を少し整形しただけでこれだ。
整形するという選択肢は、間違っていなかったのだ。
「喜んで」とユカリは、男性の誘いを受けた。
それから後、その男性と付き合うことになった。
有名外資系会社の営業マン。
性格も優しく、気づかいのできる男性だ。
身に着けているものも洒落ていて、ちょっとした仕草にも、そつがない。
趣味はユカリと同じ、映画鑑賞と音楽鑑賞だった。
金使いも派手ではない。
落ち度がなくて完璧すぎた。
完璧すぎるのだ。
どうして私なんかを、好きになってくれたのだろう。
鼻筋を整えはしたけれど、それでもスペックが、見合っているとは思えなかった。
ユカリは中小企業の事務員であるし、年収も高いとは言えない。
性格も少し、ガサツなところがある。
そして、もう一つ気になることがあった。
……時々、私を見つめる表情が、とても愁いを帯びているのだ。
私を見ているようで、見ていない。
遠く故郷を思うような、そんな表情だ。
何度目かのデートの時。
夕暮れの景色を望む海岸沿いの車中で、思い切ってその表情を浮かべる理由を聞いた。
彼は、しばらくの沈黙の後、こう言った。
「理由を話してもいいけれど、きっと君は不愉快になるよ」と。
「かまわないので、話してください。どうにも心が落ち着かないんです」
ユカリは答えた。
彼は、短くため息をついてこう言った。
「なら、話すよ。君はその……二年前に亡くしてしまった恋人に似ているんだ」
ユカリはなんだ、と思った。
自分を好いているというよりは、亡くした彼女の面影が好きなのだ。
少しがっかりした。
「ほら、不愉快になっただろう。でもね、本当に似ているんだ。特にその鼻筋なんかはそっくりだ。最初見たときに、彼女が生き返ったのかと思ったよ」そう続けた。
ユカリは、さらにがっかりした。
よりにもよって、整形した鼻筋に似ているだなんて。
挨拶もそこそこに、帰ることにした。
怒りというよりは消沈。
本来の自分は、全く彼の好みに響いていなかった事への消沈。
気分が持ち上がらないまま、夕飯を済ませた。
いつもなら自分の顔を鏡で見つめ、にやにやしながら過ごすのだが、そんな気分も起きなかった。
少し早いが、気落ちしているときは寝るに限る。
ユカリは部屋の電気を消した。
朝。
身支度を整えていると、ふと、違和感を覚えた。
こんな顔をしていたっけ。
まじまじと、鏡に映る自分の顔を見る。
いつものように、微笑んでいる自分がいた。
……いや、おかしい。
今の自分は、微笑んでなどいない。
昨日の今日で、沈んだ顔をしているはずだ。
誰だこれは?顔をペタペタ、と触る。
鏡の中の自分も触っている。当然だ。
すると、鏡の中の自分の口角がさらに上がって、いやらしい笑みになった。
思わず、机上の鏡を叩き落としていた。
誰だこれは、自分じゃない。
混乱したユカリは、クリニックへ向かっていた。
いつもの診察室へ通される。
「どうされました」と、いつもの薄い笑みを浮かべて、先生が尋ねる。
「自分の顔がおかしいんです。自分の顔じゃないみたいなんです」と、ユカリは必死に訴える。
はははっ、と先生は少し笑ってこう言った。
「そう、おっしゃる方は、多いんですよ。新しい顔に馴染めていないのでしょう。精神的なものもあるのかもしれません。何せ、長年見てきた元の自分の顔とは違うのですから」
「顔というか、表情が連動していないような気がするんです」
「ええ、ええ、そう、おっしゃる方もいます。脳も少し混乱してしまうのかもしれませんね」
落ち着きを払った口調で、先生はそう言った。
そんなものなのか、ユカリは思った。
思い過ごしだったのかもしれない。
昨日のことが、やはりショックだったのだ。
彼のメッセージも、無視している。
返事をしなければいけない。
申し訳ないけれど、このまま関係を続けていけるとは、思えなかった。
彼が見ているのは、私の造られた顔の中にいる、亡くなったの彼女の面影なのだ。
ユカリが落ち込んだ面持ちのままでいると、先生が「今の顔に、ご納得していただけていないようでしたら、もう一度施術しますよ。もちろん料金はいただきません」と言った。
料金が必要ない?なら、やってもらった方が、お得ではないか。
目が、不釣り合いなような気がしていたのだ。
「でしたら。目をもっと大きく、鼻筋に釣り合うようにしてください」
「承りました。では、またモニターを見ながら決めていきましょう」
嫌な顔をせず、薄く微笑みながら先生は言った。
数日後。
施術後の経過を見ていた。
完璧だ。
通った鼻筋に釣り合った、大きな目。
欲を言うなら、唇をもっとぷっくりさせて口角を上げたかったが、今のままでも美しい。
先生にお礼を言うと、帰路につく。
失恋の感傷など忘れてしまうぐらいの顔の出来に、ユカリは、すっかり上機嫌になっていた。
鏡やガラスに反射した姿を見るたびに、うっとりした。
自宅の最寄りの駅に着く。
するとそこに、とことこ、と小柄な老人が歩み寄ってきた。
「あらぁ、タマエさん。あんた生きとったんかねぇ」と、大きな声で呼び止められてしまった。
「大きな病気しとったって聞いたけど。無事やったんやねえ」と、さらに大きな声で言う。
ユカリは恥ずかしくなったので「人違いです」とだけ言い、立ち去った。
タマエさんとは誰なのだ。
もしかして、別れた彼の亡くした彼女が、タマエさんとでもいうのだろうか。
ずいぶんと、古風な名前だ。
別れてしまった彼に確認する気も起きなかったので、気にしない事にした。
それにしても、そんなに、タマエさんという人に似ているのだろうか。
ユカリは、釈然としないのだった。
明くる日。
仕事は休みの日だったので、近所のディスカウントストアに向かっていた。
近所の店だが、顔が美しくなったので、ラフな格好ではない。
上から下まで、完璧にコーディネイトしている。
大きな通りに出ようとしていたところに、「タマエさん」とまた呼び止められた。
ユカリは、うんざりしていた。
振り向くと、昨日とは違うご老人がいた。
「人違いですよ」ユカリは言った。
「ええー、でもあんたそっくりだ。目元が特に、くりくりでそっくりだよ。でも、そうか……タマエさんが生きとるわけなかね……。癌やったもんね」
今度は、目が似ているのか。
ユカリは、少しイライラした。
「そのタマエさんって人は、癌だったんですか」
「そうよ。全身に転移しとってね。でも年が年やけん。大丈夫かもと思うとったんやけどね。ほれ、癌って歳取ると進行しにくいんやろ?」
「タマエさん、おいくつだったんですか」
「もう八十よ、まあ、そろそろお迎えが来ても、よか頃たいね」
カカカ、と笑いながら、老人は去っていった。
なんてことだ、八十歳の老婆と間違われていたのか。
一体どんな老婆だ。
ユカリの年齢は、二十五だった。
なんとも、もやもやする。
どうやったら、そんな間違いが起こるのだ。
ガラスに映る姿を見た。
こんなにも美しく、若々しいのに。
ユカリは憤慨しながら、さっさと買い物を済ませ、帰路についた。
相も変わらず、鏡を見ていた。
整った鼻筋と目を見ていると、これまでの出来事もどうでもよくなる。
なんて、美しい。
日課のリンパマッサージをしようと、顔にオイルを塗っていたら、なんだか視界が滲んできた。自分の顔がぼやけて見える。
あらやだ眼精疲労かしらと、目を凝らして顔を見ていたら、みるみるうちに老婆の顔になった。
「ぎゃっ」と、ユカリは声を上げる。
優しげな老婆が、鏡の中で微笑んでいる。
当然、そんな顔はしていない。
しかし、これは見間違いなんかじゃない。
鏡の中のユカリは、確かに老婆の姿で微笑んでいるのだ。
支度もそこそこに、クリニックへ走った。
到着して気付いたのだが、今日は祝日だ。
開いているわけがないと、扉を引いた。
すると何の抵抗もなく、がちゃり、と開いた。
しかし暗く、受付の人もいない。
恐る、恐る、中へ入る。
そうしたら、奥から先生が歩いてきた。
にこにこ、と、いつもの笑顔だ。
「おや、どうかされましたか。手術した目になにか異常でも」
「聞いてください、顔が……顔が……おばあさんになってしまったんです」
自分でも、おかしなことを言っているな、と思った。
先生は笑いながら「そこの鏡をご覧ください、あなたの顔は、おばあさんではありませんよ」と言った。
ユカリは、受付にある姿見を見た。
確かに、おばあさんではなかった。
部屋着のままであるのに気が付いて、恥ずかしくなってしまった。
「急いで来られたのですね。今日は休診日だったのですが、診察されていかれますか」
優しく微笑むと、先生はそう言った。
おかしなことを言っているのに、なんて優しい人なのだろう。
ユカリは、厚意に甘えることにした。
「稀におられるんですよ、急に顔が変わってしまって不安になる方が」
「でも、道行く人にもおばあさんに間違われたんですよ、おかしくないですか」
「それは、おかしいですね。あなたはどうで見ても二十代前半です。そのおばあさまが、とても若々しくされていたのでは」
流石に八十代とは間違われないのでは、と思ったものの、間違った方もかなりの高齢だったのを思い出した。
ボケていたのかしら、ありえる。
「整形された顔に不安があるのでしたら、また施術されていきますか。もちろん追加料金はいただきません。鼻という顔の大半を占める部位を整形したのですから、バランスを整える為のアフターケアはさせていただきますよ」
薄く微笑みながら、先生はそう言った。
「いいんですか」
ユカリは歓喜する。
あと口元が整えばパーフェクトなのだ。
「もちろんです」
「それでは、是非お願いします」
「喜んで……」先生は、じっとこちらを見つめながら、そう言った。
数日後。
口元の手術もあっさり終わった。
もっと傷口が痛くて、ご飯が食べられなくなったり、包帯でぐるぐる巻きにされたりするのかと思っていたが、即日で完了でもよさそうな出来だった。
いや、腕が良すぎる。
嬉しさ半分、困惑半分だった。
しかし、パーフェクト。
元の顔が思い出せないぐらいに、美しくなっていた。
「いかがです」
「完璧です」
ユカリは、にっこりと微笑みながらそう答えた。
帰り道。
またもや、美しく生まれ変わった顔に、うっとりしながら帰っていた。
するとそこに数人の女子高校生が、どたどた、と、走り寄ってきたではないか。
「ほら、エミちゃんじゃん。フラブリのエミちゃんだよ」と、右端の子が言った。
そうしたら、その隣の子が声を潜めながら「何、言ってるの……エミちゃん、自殺して死んだじゃん。他のメンバーにいじめられたかなんかで」
「そうそう、家のクローゼットの中で、首吊って死んでいたの。有名だよ?」と、左端の子が言った。
なんだ、なんだ。
ユカリは困惑する。
フラブリのエミちゃんなら知っている。
六人編成の『フラワーブリーズ』という一世を風靡したアイドルグループだ。
そう……たしかエミちゃんの自殺によって、そのグループの陰湿ないじめが発覚して、解散となったはず。
エミちゃんが一番人気で、嫉妬によって、他のメンバーにいじめられていたのだ。
アンチになりすまして、私生活が淫らという噂で大人数を誘導し、ネット上で吊るしあげたのだ。
あっという間に炎上し、エミちゃんの身辺は全て晒され、家族までも被害にあった凄惨な事件だった。
結局全て、根も葉もない嘘だった。
誹謗中傷で、逮捕者も出ていたはず。
しかし……エミちゃんは、愛嬌のある可愛らしい童顔で、自分とは似ても似つかないはず。
「えー、でもそっくりだよ。口元とか特にそっくり」
右端の子が、不服そうに言った。
「ほら、失礼だから……すみません」と、左端の子が頭を下げ。
また、どたどた、と去っていった。
口元が似ている……また整形した部位が似ているのか。
ユカリは、なんだか嫌な予感がした。
人の目を避けながら、足早に家に帰る。
夕飯の支度をしながらため息をついた。
また別人が映るんじゃないかと、鏡を見ることができないのだ。
鏡だけではない、反射するもの全てを避けている。
美しい顔のはずなのに……なぜこんなに不安にならなければならないのだ。
精神を病んでいるのなら、今度は精神科医に通わなければいけない。
しかし、他の人も別人だと勘違いしているのが気味が悪い。
皿を取り出そうと戸棚に手をかけたときに、戸棚のガラス部分に映る顔を見てしまった。
……フラブリのエミちゃんだった。
心臓が、ばくばく、と鳴っている。
改めて、鏡を見にいく。
鏡の中のユカリは、フラブリのエミちゃんの顔でアイドルスマイルをしている。
もう、何が何だか、わけがわからなかった。
じっと見つめていると、ぼうっとぼやけて、老婆の顔になった。
しばらくすると、今度は、なんと綺麗な女の人になった。
おそらくこれが、鼻筋の持ち主だろう。
頭がぐるぐるする。
一体、ここにいるのは誰なのだ。
おぼつかない足取りで、クリニックへ急いだ。
夜、九時過ぎ。
冷静に考えると、こんな時間に開いているはずがない。
しかし、ユカリは冷静ではなかった。
案の定、クリニックの中は真っ暗だ。
扉をどんどん、と叩く。
すると、ぱっと明かりがついた。
奥から先生が歩いてくる。
嫌な顔一つしないで、いつものように薄く微笑んでいる。
鍵をがちゃり、と開けると「一体、どうされたんです」と、尋ねてきた。
「先生、おかしいんです。顔がどんどん変わっていくんです」
「まあ、まあ、お入りになってください」
いつもの診察室に通された。
「ずいぶんと疲れていらっしゃるようだ。お茶でもいかがです」と、良い香りのするお茶を、ことり、とテーブルの上に置いた。
お茶どころではないユカリは「先生、お願いです。元の顔に戻してください。このままでは気が狂ってしまいそうなんです」と、まくしたてた。
先生は、ふむっと頷くと「この顔ですか」と、モニターに顔を映した。
……誰だこれは。なんだ……このパッとしない顔は、こんなのは自分ではない。
「誰です。この人」
「何をおっしゃっているのです。あなたの顔ですよ。最初に来院したときに撮った写真です。まさか、お忘れになったのですか」と、先生は困ったような顔を浮かべた。
……こんな顔だったかしら。全く思い出せない。
「思い出せないぐらいなら、きっと思い入れのない顔だったのでしょう」
にやりと笑った先生の顔が、初老の男性の顔になった。
ユカリは驚く。
「おや、変わってしまいましたか」そう言った初老の男性は、はっはっはと笑った。
「これは私の父の顔でしてね。口に移植しました」
そう言って口元をさする。
「移植?」
「そう、移植です。私の父は亡くなりましてね。多くの人に愛された立派な名医だったのですよ」先生だった人は、しみじみ言った。
「目は母のものです」
今度は女性の顔に変わった。
「母も大層愛された人でした。不慮の事故で亡くなりましてね」と、女性の声で話している。
「鼻は恩師のものです」
そう言うと、また違う男性の顔になった。
「一体どういうことなんです」
「僕は、死者の顔を移植できるのです。メスなんて必要ない。切り刻むことなく、顔の部位を美しくできるのです」
「私の顔にも、死者の顔を移植したのですか」
「そうです。あいにく僕の顔は満員でしてね」
そう言いながら、くすくすと笑っている。
先生の顔は、元に戻っていた。
「なんてことを……」ユカリは絶句した。
「でも、自分の本来の顔は、思い出せないぐらいに愛着がないのでしょう。正真正銘、さっきお見せしたモニターの顔は、以前のあなたの顔ですよ。あの顔に戻りたいですか?今のあなたのほうが美しいのに」
ユカリは鏡を見た。
美しい顔に戻っている。
「鼻の持ち主の女性は、美しい心の持ち主でした。一人の男性に愛され、もうすぐ結婚するというところで事故に会い、命を落としました。さぞや無念だったでしょう」
先生は、心底悲しそうな顔をしていた。
「目の持ち主は、周囲の皆に愛されておりました。お年を召していたにも関わらず、ボランティア活動にも積極的に参加され、今でも生存を信じている人もいます」
「あの、おばあさんですか」
「そうです。いずれにせよ、死を惜しまれた方です。それに口の持ち主は、あなたもご存じでしょう」
「ええ、フラブリのエミちゃんですよね」
「そうです。彼女も日本中の方から、愛されておりました。心無い誹謗中傷で、自ら命を絶って……さぞや無念だったでしょう」
「たしかに、無念だったと思います」
「そんな方々に、顔を貸してあげてはいただけないでしょうか。あなたの顔は、どんどん美しくなっていくのですよ。そして愛されていきます。悪い話ではないでしょう」
ユカリはもう一度顔を見た。
美しい……この顔を手放したくはない。
しかも、この顔より、もっと、もっと、美しくなる。
「さあ、さあ、もっと美しくなりましょう。あなたは誰よりも美しく、そして愛されるのです」
先生は恍惚とした顔で、そう言った。
某日。
ユカリは、ハツラツとした顔で、でかける。
鼻の持ち主の女性の彼とも、よりを戻した。
近々、結婚する予定だ。
鼻歌交じりに歩きながら、ショーウインドーに映る自分の姿を見て、うっとりする。
今日は、誰だったかしら。
そうそう、今日は、美しいあごのラインの持ち主のサオリさんだった。
私は誰よりも美しい、そして、誰よりも愛される。
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