笹川真生さんがTwitterで呟いていた言葉 見た瞬間泣きそうになっちゃったな 私が求めていた言葉だった、最後の一文 一つ一つの言葉で傷つくのにそれを何日も引きずってしまう私の心はもうダメになっちゃって治らないのかもしれないとここ1ヶ月くらいずっと思っていた あんなこと言わなければよかった、こんなことを言われて嫌だったの積み重ねで挙げ句の果てに誰とも会話しなければこんな風に思わなくて済むのに、とさえ思ってしまっていた(いる) はっきり言ってしまえば私にとって自分の命を大
誰の記憶にも残らず世界から消えたい
最近の生活 仕事新年度、始まった。 とにかく目が回るような忙しさだった。 答えのない、自分の塩梅で決めなきゃいけないようなことがたくさんあって、そういうのが苦手な自分からしたら、本当に今の仕事は合ってないな〜と感じる。 色んなミスをしたり聞いたりするけど、最近思うことは、一つのミスに対して、特定の誰か一人が悪いってことはほとんどないということ。 ミスの裏には、不確定で制度化されていないことや、一人に負担がかかりすぎてしまっているとか、そういう理由が必ずある。 深く考えす
BUMP OF CHICKENのライブツアー「ホームシック衛星2024」 広島公演と仙台公演に行ったので何曲か、備忘録として残す このツアーは16年前に行われた「ホームシック衛星」のリバイバルツアー 当時の私は10歳で、もちろんこのライブには行っていない でも確かにorbital periodが、わたしのBUMP OF CHICKENの入口であり、ずっとこの曲たちをライブで聴きたいなあと思っていたので、今回2公演行けたことは、すごくよかった 星の鳥 この音を聴くと、胸が
珍しく本を読んだので、その本の中で心に残ったこと、というか共感したことを書いていこうと思う ちなみに読書は本当にしない方で、なぜ本を読もうと思ったかというと、家に図書カードが眠っていたことと、最近の自分がつぶやく言葉や考えがあまりに稚拙で思考停止しているので、何かが変わるきっかけになれば良いなと思ったから 自分以外にもこの感覚を持っている人がいたことが嬉しい 私も同じで、あまりに素晴らしい音楽や漫画やアニメに出会ったとき、その素晴らしさに没頭するけれど、その後エネルギー切
2023年中に他の記事に載せた曲は割愛しています ①晩餐歌/tuki. なんかいきなりYouTubeのおすすめに出てきて聴いてみたら見事にハマった そして歌ってる方がまだ15歳ということを知りびっくりした なんでこんな歌詞書けるんだろう、私が15歳の時ってこんなこと考えて生きていたっけ?って考えてみたけど10年以上も前の自分の考えていたことなど知る由もなく こういうとき、かいていたブログなんかを消さなければ良かったなとは思う ②give it back/Cö shu
2/9 ヨルシカ「前世」に行った。 寒い日だった、ネイルに行って、友達と少しはやく合流して、ココアを飲んだ。 嘘月、わたしの2020〜2021年を象徴するような歌だったので、聴けて嬉しかった。 2/25 友達と表参道アフタヌーンティーへ行った。 2月で花粉症真っ只中のわたしにテラス席は辛かった。 寒くて風も強くて、それがおもしろくて、ずっと笑ってた。 夜はみんなでイタリアンを食べて、ゲーセンでマリオカートをした。 3/25 上野公園へお花見に行った。 天気が悪そうだ
最近好きな歌たち 夕凪詠草/クレナズム 2年くらい前からずっと大好きなクレナズムの新しい曲 秋の夕方の寂しさや懐かしさを感じられるから好き、でも朝も割と聞いてる この時期になると、寂しさが増す それは寒くなるからという理由だけでなく、多分、いまだに20〜22歳に過ごした秋の眩しさが懐かしくて、戻りたいと願ってしまうからなんだろう またみんなで〜、なんてもうないってわかっているけどね タイトルもこの曲から引用してる 1人でいると不意に泣きたくなってしまうよ わたしの日常には
大学生のころ、ソラニンという映画が好きだった 映画をあまり見ない私が唯一、何回もリピートして見た映画だと思う もちろん漫画も買い揃えていた 私はとにかく憧れていた ソラニンの登場人物に、ソラニンの世界観に 何者かになりたい、でも何者にもなれない2人 それでも学生時代の幻に縋って足掻く なによりいつも味方でいてくれる恋人がいる そんな恋人の死という悲しみ 悲しみを背負って音楽に昇華する姿 私もこんな人生が送りたいと思っていた 誰かに、何かに人生をめちゃくちゃにされたくて、
タイトルは最近気づいたこと わたしは、普段と違うことやイレギュラーで起こることに対してとても不安になる 例えば、乗る電車の時間がいつもと違う、仕事終わりに予定が入る、などなど きっと世の中の大半の人からしたらこれも全部含めて日常と呼ぶのだろう でもそれが自分には難しい 日常は日常じゃなさすぎる 日常、というものは毎日毎日一寸のズレもなく進んでいてほしいと思う そういう意味で今自分が過ごしている日常のようなものは、本当はストレスや疲れの原因なんだろうと思う 年末くらいからず
考えない、とはどういう状態のことを言うのだろう 「INFJは考えない時間が必要だ」という言葉をよく目にする 言ってることはよくわかるけど実際どうしたら考えない状態になれるのかはわからない 今のところ私の中での考えない状態、というのは眠っている時しかない だから、何もかも嫌になった時や逃げ出したいことがあるときは死んだように眠るしかできない 眠ることでしか"考えない状態"を作り出せないのだ 周りの人はどうやって考えない状態を作っているのだろう ボーッとする、と一言で言われて
あっという間に2023年になってしまった 年末年始は苦手だな 家族の存在を煩わしく思うわたしはおかしいのだろうか 家族なんだから、みたいな言葉をかけられるたび、それはなにもかも円満で愛情に溢れた家庭で育ったからだろう、と思う とはいえ素直に家族を愛せない自分のことを嫌悪してしまう部分もある 中学の頃の友達に会った もうとっくに結婚して、今度家を建てるらしい そしたら2人目の子どもを産んで仕事は辞めてパートをする計画らしい 子供産んでパートなんて一昔前の女のテンプレート、
最近聴いている曲 桜が咲く前に/きのこ帝国 早く春が来てほしいなあ、、、 どんなにきれいな思い出も胸を苦しくさせるだけなんだ という歌詞も好き そうだよね〜、結局ね〜、、、って現実に引き戻してくれる 天気の良い日に聴いてる Tokyo(feat.iri)/RADWIMPS 東京タワーのことか、、、!!と昨日気づいた 寒くなると聴きたくなる RAD、最近の曲はもう全然わからなくなってしまったけどそれでも曲が出るたび一通り聴いていて、去年アルバム出した時にハマったのがこの
ヨルシカの新曲「左右盲」がかなりドンピシャで好きだった 元ネタはオスカー・ワイルドの幸福な王子 散らぬ牡丹はきっと君で、そこに在るだけで意味を持つ、みたいな感じなのかな 藍二乗で「人生の価値は終わり方だから」と歌っていたヨルシカが、生きている今に対して価値を見出しているのは新しいと思った どんな存在であっても自分が君の胸を打つ一つでありたい、幸福を教えてあげたい、という主人公の深い愛情 でもそれって受け取る側からしたら、時に重くてプレッシャーに感じてしまうこともあるんだよ
世界の正しさとか美しさとか、考え求めることすら無駄なのかもしれない、と思い始めてしまっている。世の中への失望や絶望が大きすぎて、気を抜くと涙が出そうになるけれど、それでも何かのために人生を全うしなければならない。頑張らなきゃ、という思いだけが散らばっている。掴むところもないのに。
寂しさや辛いことは、乗り越えなければならない山ではなく、それも一つの心情風景だ。←宇多田ヒカルのこの言葉が普段の心持ちにかなり近い。 死にたいとか辛いとか、当たり前に受け入れるべき感情だと思っているので、受け入れきれない人を見ると不思議。見ないフリって簡単だけど寂しいよね。