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年賀状じゃなくって、手紙を書いてみた

「私、年賀状書いちゃったけど返事はいいよ!」

こう言ったのは私の高校からの友人。

年賀状という習慣は、私の周りでは友人には送らなくなった人が多い。
なのに、結婚出産というイベントがあると「送っていい?」と年賀状文化を復活させる。

私も喪中でない限り「いいよ」と言ってほんの数枚の葉書を買った。

この1年お世話になってないじゃんとか、今年もよろしく…?たぶん会わないでしょ?
ってのが嫌で、この形式的な年賀状の習慣は肌に合わないと思っていた。

おまけに仲が良い子から突然届くと嬉しいけど
「返事書かなきゃ…」
という義務感、早く書けなかった時の罪悪感。
なんだかバタバタして送り損ねて今更送るのもな、と思ってメールで謝ること…

年賀状習慣のこの感じが好きでなかった。

手紙ならいいのかも

もう10年以上、誕生日を祝い合う友人が3人いるがルールでもないのに毎年、手紙を送り合っている。
書けない時もあるが、誰も気にしない。
また相手の誕生日が来たら手紙を書いているのだ。

手紙ってそういうものだよね?

ふと思った。
返事をもらうために書くんじゃなくて、書きたいから書く。ありがとうと言いたいから書く。

年賀状は「返さなきゃ」のプレッシャーがある。

けど、友人は「返事はいいよ」と言ってくれた。
最初から求めちゃいないのだ。

ああ、私がやりたいのってこういうのだなぁと思った。


住所を聞くのも返事を書かせるのもいらない、年が明けたら「去年はありがとう」「今年もよろしく」の連絡はする。

だったらそこにひと手間かけて、デジタルだけど手紙に近い形でお礼を言ってもいいじゃん、と。

1年のお礼の手紙を書いた

書くのを決めたのが12/30だったので、自分で年賀状の要素のない便箋を書こうとか決めて描いてたら、誰にも書いてないのに気づけば年越し目前だった。

とりあえず、昔からの友人3人は年明けすぐに送ろうと決めて、0時付近に送れたのはほんの6人だった。

三が日の間に、送りたい人に送ると決めた。

しかしこの「送りたい人」というのが厄介で、考えると無限に増えていった。
基本は2人で会ってたくさん話した人にしよう、会ってなくてもかなりお世話になった人には書こう、となんとか基準を設けた。

けど年が近い既婚者の男性なんかは、奥さんが見たら嫌なのかな?とか考える。

迷う人はもう書かないことにした。誕生日に縁があったらとかでいいや。笑

そんなこんなで書いたけど、義務感とか嫌々書くのは違うと思ったので気が向くときにペンを取っていた(筆ペンを選んだがゆえ、個性的すぎる字になってしまい申し訳ない笑)。

気づいたこと

そうして書いては送り、気づいたことが2つある。

①誰かをゆっくり想う時間の贅沢さ

誰かのこと、その人との思い出にのんびり浸かる時間ってなかなかない。
ありがとうをじっくり伝える機会って、実は会ってる時は難しいんじゃないかな。
そう思うと、手紙を書く時間はすごく豊かな気がした。

②手書きは感動してもらえる

私の友人は本当に反応が素敵で感受性豊かだと思う。例えばこんな反応。

この返事だけで幸せになるよね。
あぁもう、ずっと大切にしないとな、と。

そして驚いたのは「手紙なんて数年ぶりにもらった」という人が案外いたこと。

先述したように、私は毎年ほぼ3通は手紙をもらう。母も誕生日にくれることもある。

これって珍しいのかな…?
と思ったし、私は手紙の温かさを知ってるので好きだけど現代はそういうコミュニケーションが少ないのかもなぁと思った。
それで感動とか和んでくれるなら嬉しいし、やる人が少ないのなら私がやるのもいいのかも、と思う。

おわりに

まとめると結局、私は大切な誰かのこと考える時間が好きなんだなぁって。

これが私の2020年最初の気づきだったので、書いてみた。

ちなみにこれが、自分で描いた便箋の一部。
お正月の縁起物は入れない代わりに、私なりに相手の幸せを願った絵を書いてみた。


デジタルでも温もりが伝わること、これからもできたらなと、今回書けなかった人にもできたらなと思う!以上!

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ぴい
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