吉見俊哉
『都市のドラマトゥルギー』
盛り場=「マツリ」の場、近代的な祝祭の場
関東大震災を境に、注目される東京の盛り場は「浅草」から「銀座」へ
震災前の浅草…活動写真、浅草オペラ、軽喜劇、浅草十二階、私娼窟etc…
銀座の大衆化(デパート、カフェ、モボ・モガ)
大衆的なモダン文化消費の中心地に
一九七〇年代、オイルショックを転換点に
若者たちの盛り場は「新宿」から「渋谷」「原宿」へ
六〇年代までの新宿…ドロドロとした不確定の街・若く満たされないエネルギー(アングラ演劇、フォーク・ゲリラ、ハプニング、フーテン、学生運動、etc…)
七〇年代後半…カタログ的に場面が演出される街で、ファッショナブルな自己を演じる
浅草・新宿…
近世からの盛り場・宿屋としての文脈・異質な要素の混在
単身者が集いその場で群れを形成
銀座・渋谷・原宿…
マスメディアを通じて形成された盛り場のイメージを
実際に行くことで確認、
「モダン」または「ナウ」なスタイルを演じる
スタイル消費の祝祭性
戦前…銀座に限定
高度成長以後… 渋谷・原宿のみならず、全国各地へ
『博覧会の政治学』1992
博覧会→近代国家・資本主義が発明した、徹底的に管理されている祭りの場
三つの分析軸
①「帝国」のディスプレイ
この傾向は特に世紀末に顕著
植民地の人々や、植民地戦争の戦利品などが展示
②商品のディスプレイ装置
十九世紀の大衆が、近代の商品世界に出逢う場所
商品世界の展示技術は、百貨店や、
メディア内の近代広告を発展させる
資本主義の想像力の空間・メディア的な現れ
③見世物としての博覧会
近代以前の見世物を自らの秩序へと吸収していく
世紀末では遊園地的要素が加わる
日本では江戸の細工見世物師を、
近代ディスプレイ産業へ転換