「子どもの福祉」「子どもの最善の利益」という言葉
離婚後の子どもの親権や面会交流などの取材をしたり、関連書物を読んだりしていると、「子どもの福祉」「子どもの最善の利益」という言葉を頻繁に目と耳にする。行政、裁判所、弁護士、争う親同士の間など。
それぞれが「『子どもの福祉』『子どもの最善の利益』のため」として主張を展開するのだが、親の離婚を経験した子ども自身に聞いてみると、この言葉の印象は非常によくない。
ある男性は言う。
「子どもにとっては親は争わないのが一番なんです。『子どもの福祉』 のためというなら、じゃあ争わずに話し合いができますよね、離婚しても子どもが健全に育っていくにはどうしたらいいのか、話し合いができますよね、っていつも思うんです。それができないのであれば『子どもの福祉』という言葉は使わないでほしい」。
そのほかにも、「『子どもの福祉』のためだと親が思ったとしても、親同士が争うのは子どもを傷つけるだけ。子どものことを考えているとは思うけれど、その気持ちが伝わらないのは悲しいこと」、「『子どもの最善の利益』は子どもにとってそれぞれ。一人一人の思いをちゃんと聞いてほしい」との声や、「みな自分の都合のいいように使っているだけ」との厳しい声も寄せられた。
離婚する夫婦間の葛藤が高いのはある程度万国共通だと思うが、その葛藤をできるだけ下げ、子どもの養育について話し合えるようにと法や制度の整備を行っている国は多い。離婚前の親教育やカウンセリング、養育計画の作成、面会交流の支援制度など、欧米ばかりでなく韓国などアジアの国々でも進められてきている。
日本では離婚時に片方の親だけが親権を持つ単独親権制度などを背景に争いが激化しやすいうえ、上記のような支援制度、DVなどのアセスメントや対策も貧弱だ。それらの制度不備や根強い「離婚したらひとり親」との社会通念の影響が子どもたちを直撃しているように見える。
話を聞いた子どもたちの多くは「子どもにとってはお父さん、お母さん両方が大切な存在」と口を揃える。「子どもの福祉」を考えるとき、行政や裁判所が「子どもが健全に育っていけるように」元夫婦や子どもをサポートする制度を整備すること、親も「子どもにとって親はふたり」であることを心にとめ続けること、DVや虐待などの問題があるのであれば、専門家がアセスメントした上で面会を禁止するのか保護観察下での制限付き面会とするのかなどきめ細かく対処することが大切なのではないかと、子どもたちを取材するたびに思う。