あとがき

読んでない方はまずこちらをお読みいただくようお願い申し上げます。
中編小説『東京スカイツリー』


 作品を書き終えて2週間ほど経ち、コロナ禍はまだ収まらないものの以前と変わった形で日常が動き出しているここ最近。
 せっかく書いた物語を、ただ書いただけでは読み手にあまりに失礼だろうと思って「あとがき」っていう形で改めてご挨拶をさせていただきたく、久しぶりのnoteです。読み手って果たしているのか疑問ではありますが。

 この度書いた物語は、以前ここでも書きましたが大学の卒業発表で書いたものでした。
 私は遥か昔、平成と呼ばれる時代に大学で映画制作を学んでおりまして。卒業制作では学生が書いたオリジナルの脚本を基に30分程の短編映画を作るという実習を行っていました。そして完成した作品は、一般のお客様や業界人を招いた卒業制作展にて上映を行います。
 実は私、物心ついた頃には映画監督になることを夢見ていました。夢を叶えるべく大学に進学した私としては、絶対ここで上映する作品を監督したい。それと同時に、ここで制作する作品を一区切りに、映画を作る生き方から卒業しようと思っていました。まだ仕事にしたことがないのに、物事を大きくゴージャスに考える若者だったのです。ただ、アマチュアとは言えプロに負けないくらい本気で取り組んでいたのは間違いありません。
 そういうわけで自分の人生の集大成にして最終作となる作品を書き上げて脚本会議に臨んだのですが、呆気なく落選。21年間の夢は簡単に崩れてしまいました。夢って一生懸命とか時間を掛けたからと言って叶うものはないのです。ましては一生懸命時間費やしたことを知っている人が掛けるのは情けです。情けで夢が叶っても…ねぇ。

 ただ、映像化されることなく誰の目にも触れることなくお蔵入りしてしまった私の最高傑作を「見てみたい」っていう声は当時書いていたブログで多少頂いておりまして。映画ではないけど、小説って形で皆様に読んでいただきたく書き直したのが、先日noteにポストした作品です。元々は限られた人にしか公開する予定はなかったのですが…せっかく書いたなら誰かに読んでもらいたいじゃん、っていう小さな欲が出ちゃったのです。
 誰かに読んでもらいたいって言っても、無数にある物語から私の書いた作品が目に留まることなんて万に一つもないって思ってたときに、書き終えたタイミングで丁度開催されていた岸田奈美さん主催の「キナリ杯」っていうものを知りました。たくさん読者は付かないかもしれないけど、これに応募すれば岸田さんには読んでもらえる!って思ってnoteに投稿しました。頑張って書いたから、あわよくば何かの賞に引っ掛かってそれが切っ掛けで読んでくれる人増えないかなって思いましたが…やはり情けが掛けられないものは何にも引っ掛からないものですね。
 でも、賞が欲しくて応募したのではなく誰か一人でもいいから読んで頂ければ…って思って書いたものですから。主催者の岸田さんが読んで「スキ」して下さったのが何より嬉しかったです。受賞できずに落ち込む人、今回もたくさんいましたけど、作品作りってそういうものですからね。一生懸命書いたからと言って伝わるかは分からない。愛を伝えたからと言って付き合えるとは限らないのと同じことです。愛は伝えることが大切なように、作品は書いて誰かに読んでもらうことが大切なのです。だから、このような形で目を通して下さった皆様、そして多忙の中こんな長い物語を読んでくださった岸田奈美さんには万感の思いです。ありがとうございます。

 さて、元々この物語を書くキッカケとなったのは、大学在学中の私の失恋体験でした。気持ちを伝え、私はフラれました。その相手っていうのが今回のヒロインである竹内未來のモデルです。実際の彼女も社交不安障害を抱えていて、フラれはしましたがまたいつか再会して元気な姿が見れたらと思ったときに物語の最後の光景が思い浮かびました。力不足なもので、話が右往左往したりご都合主義な展開もありますが、すべてはあの結末を描きたかったのです。苦い思い出を噛みしめて、自分の思い描いた将来は待っていないかもしれない。でも数年後に「これで良かった」って思えるような未来が見れたらっていう願いです。
 大学時代に脚本を書いた段階でラストはほぼ変わってないですが、卒業後にも仕事とか出会いや別れ、新しい恋愛や失恋を経験したおかげで物語で書きたいことも増えました。それが作中の翔哉と未來をはじめとする登場人物に活かされたと思うと、完成したこの作品は間違いなく大学在学中に書いたものより重みが増していると感じています。最後までしっかり書くことができて良かった。そして何がキッカケか分かりませんが、ここであなたに読んでいただけて本当に良かった。その思いだけです。

 最後に、物語を彩った登場人物について。

 主人公の末吉翔哉。冒頭では一人で闇雲に家を探しているだけ。家を見つけたからと言って、どうすれば良いのか分からずに何となく「復縁」できたら…という叶いそうにもない願いを抱えて生きている。誰かに助けられないと生きていけないけど、心の奥底で誰かを助けたいって思っています。他人と支えあいながら生きている、人間らしい人間だと感じていただけたら嬉しいです。写真を「タイムマシン」と比喩する着目ポイント、そしてなかなか口には出せないけどいつも熱い想いを胸に抱いているスエキチさんは著者である私の写し鏡です。

 もう一人の主人公、竹内未來。彼女は病気によって生きる希望を失っている女性です。社交不安障害という実在の病気を描くにあたってその描写はすごく悩みました。私も実際、目の前で見たものの体感したことはないのでどこまで書いていいものか正直分かりませんでした。でも、病気になったからと言って希望を抱いたり、人を好きになっちゃいけないことはない。自分の本当にやりたいことをする中で少しずつ克服していってほしいっていうメッセージを未來に込めさせて頂きました。また、これだけは書いておきたいのですが、社交不安障害を治療する名医、その治療には莫大なお金がかかるというのは作中のフィクションです。病とかコンプレックスとか疾患とか、実際にいろんなことで生きづらさを感じている人ってたくさんいると思うんですけど、それを理由にあなたの未来を諦めないで。あなたにはあなたの人生を作る権利があるんです。それを手助けしてくれる人を大切にして、その優しさになら存分に甘えてほしい。翔哉と未來を見てそう感じていただければ幸いです。

 所々で翔哉と未來にメッセージを語るミュージシャンの北原ひとみ。彼女は大学時代に書いた映画の脚本には登場していませんでした。物語の登場人物に一人、静かに語りかけるような人物を登場させたいと思ったときに登場してくれました。実は彼女は、大学時代に書いた他の物語の主人公でした。その物語っていうのが少しだけ語られている紅葉ヶ丘高校、通称モミ高の合唱コンクールでピアノの弾き語りやったっていう話です。こうやって他の作品から駆け付けてくれたことで、集大成としての色は深まって一個人としてこの作品に対する思い入れが深まりました。

 最後に、多くの皆様が最後まで謎だったと思う三浦。彼は私が大好きな作家である伊坂幸太郎さんの作品「ゴールデンスランバー」からお借りしました(もちろん無許可ですが)。映画化もされていて、演じたのは濱田岳さん。時代が行ったり来たりする描写や、冒頭の伏線が最後に繋がって胸が温まる作風もオマージュできていたらいいな…と、思っております。
 「ゴールデンスランバー」という作品は、私が大学時代にこの物語を書く少し前に何度も読み返し、実写映画もDVDを買ってまで観ていた非常に面白い作品です。「東京スカイツリー」を読んでくださった後はぜひこちらもチェックして頂けたらと思います。


 物語と負けず劣らず長いあとがきになってしまいましたが、大学の卒業制作として着想してから今年で8年。こんなに長く私の頭の中で生きていたものがこうして皆様の目に届く場所にあることが非常に嬉しいです。
 はじめて書き上げた小説ですから、至らない点も多々あると思いますが、移動時間やストレッチ中、コインランドリーで洗濯物を回しているときなど、時間を持て余しているとき少しずつ読んで頂いて、それが積み重なって最後まで読んで頂けたら…少しでも楽しんで頂けたら…書き手としてそれ以上の名誉はありません。
 また、私の頭の中にはいくつも物語が保存されております。蒸し暑い今宵みたいな日にぴったりなホラー怪談とか、昔見た大好きな物語の続きの話とか。喜ばしいことにまた来年もキナリ杯が開催されるということですが、私も気分が向いたらまた書きたいと思います。手紙って読むより書く方が時間がかかるのですから。

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