Twitterとサッカーと
起
TwitterというSNSの不自由さを感じだしている。それはフォロワーさんの数が増えるほどに。
特にサッカーのとらえ方について
ほんとは好きなことを好きにつぶやけばよいのだけど、(いやこれは前の自分の見解とは矛盾しているな…)とか(今のチームに対するあの人のとらえ方とは違うぞ…)とか考え出すと、ツイートできないときもある。
みんながユベントスのことをボロカスに言ってるときは簡単だ。わたしは良いところを見つけることができるので、それを発信したい。「わたしはどんな状況でもチームをサポートするんだ!」みんなもそうしようぜ!と気分も悪くない。
ちょっと面倒くさいのはみんながユベントスのことを絶賛してるときだ。それでも気になる点、改善すべき点がある。それを発信したいのだけど、どうも気をつかう。
承
それはTwitterを長く続けていると友だちができるからだ。わたしはフォロワーさんは誰でもいいとは思わない。匿名だからと言って人を傷つけることを発信してる人はつきあっていけない。だからフォロワーさんは友だちのように感じている。
このツイートをしたら、すぐ直前にチームを褒め称えてるこの人は気を悪くするかもしれんな…とか考えてしまう。ええい、まあいいか!とツイートしたらやっぱりネガティブな反応があったりする。あーツイートしなければよかったかな…と思う。
SNSであれ長くつきあいを続けていくと、当然人間関係が出来上がってくるということ。
だからその関係はたいせつにするべきであり、つながっている人たちへの気づかいを持ってSNS運用をしていく必要があるということか。
転
「TwitterはSNSだとは思っていません」「Twitterでは『関心』によって誰かとつながるのです」
「どんな意見に対しても開かれた場でありどう使うかはユーザーに任せたい」
これはTwitter創業者の一人、ジャック・ドーシーの言葉である。
そうだった。わたしはこのテレビを偶然見て、毛嫌いしていたSNSとは違うのだ!と感じてTwitterを始めたのだった。
だからたいせつなことは『関係』ではなく『関心』なのだと思う。
ユベントスについて、サッカーの見方について、同じ意見の人がいれば違う意見の人もいる。わたしの意見に『関心』を持ってくれた人とやり取りをすれば良いだけの話。
だからユベントスが批判されているときに「みんな、こんなときこそ応援しようぜ!」みたいなツイートをするわたしはしょうもないヤツなのだと思う。
応援するなら自分がそうすればいい。みんなにそうあるべきだなんて呼びかける必要はないのだ。『関心』を持ってくれた人は自然とつながる。
わたしがユベントスを批判するときもまた同じこと。
結
どうしても人は人をコントロールしたいと思うところがある。わたしの意見わかってほしい、みんなもこの意見のほうがいいよ…という感じに。
そしてコントロールしようと思ったときに難しさ、面倒くささ、不自由さを感じるのかもしれない。
どうもわたしはTwitterを始めた当初のワクワク感や勇気を失っていたのかもしれない。本来は自由なツールであるTwitterの中で勝手に自分の範囲というものを作っていたのかもしれない。
自分が感じたこと、『関心』を持ったことをもっと自由に発信していきたいな。そして『関心』をもとに多くの人とつながっていきたい。だってTwitterはSNSではないのだもの。
ということで、セクシー女優さんにリプを送ろうと思います。最近のおすすめは安達夕莉さんです!!(M-1だったら60点代のオチ!)
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