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間違い続けた僕の人生④


第3回コウリッチュースコア

体育祭の時期は終わり第3回コウリッチュースコアの時期がやってきた。

この頃になるとどのような所から出題されるのかだいたい見当がつくようになってきた頃である

例えばコウリッチュー基本文と呼ばれる英語基本文を暗記しておけば30点は確実に取れる。出題単語を完璧にしておけば単語問題で20点取れる……というような感じであとの50点はリスニングと文法などだった気がする。

国語に関しては授業でやった範囲の漢字や著書から出題され

「そうか、そうかつまり君はそういうやつだったんだな」

などある程度読み込んで暗記がメインだった

数学に関してはこれをやっておけば必ず解けるような問題がなく1番苦戦した。

社会は基本的にワークの暗記が大半を占める。これが努力と時間が1番実を結びやすい科目だろう。私も直前暗記に頼り社会はずっと得意科目だった。

理科は基本的にワーク3割実験から3割といった感じで可もなく不可もなくといった感じ。ある程度の点数は取れるが高得点は至難の業といった感じだろう。

このように1年にして科目ごとの研究に1番力を入れた時期だった。

だがしかし、結局2週間前の追い上げでできることなどたかが知れてる。

365/500点   85/200位

まぁ、こんなもんだよな。

結果は…まぁ、伸びてはいた順位も上がっただがやはりちまちまといったところだろうか。順位も点数も上がったが消化不良だった……

初速で地頭頼りで点数を取っていた奴らはここら辺で脱落していき努力勢が追い上げてきたという感じだった。

ここで決めた

「塾へ行こう」

鬼畜塾編

親に成績をあげ、いい高校に行きたいと懇願したこともあって入塾をすんなり承諾してくれた。

そしてこれから卒業まで監獄される鬼畜塾の生活が始まる。

最初は週2で通い数学と英語を習っていた。

数学も英語も高い教材を買い込み授業で学校より進度を早くやり、学校の授業で復習+塾で出された課題をやってくる

というどこにでもあるような普通の塾の方針だった。

学校の部活が終わりそのまま家へ直帰、飯を軽く済ませ塾へ19:30~21:30という形だった。

そして初めて授業を受け、テキストを開いた途端絶望した。

(なんだこれは……学校の授業でやってるのより遥かにムズすぎないかこんなの解けっこなくないか)

塾の問題の難しさに絶望した。
それもそのはず……鬼畜塾のターゲット層は偏差値60~75というレベルでコウリッチュースコア365など偏差値換算したら50くらい……全くお話にならないレベルなのだ

まぁ、折れつつも惰性で通いテスト2週間前という意識の低さを改善し2週間半に伸ばし塾の自習室を活用した

第4回コウリッチュースコア

結果は…
371/500点 70/200位

うん、世の中上手くいかないね……

でも確実に上位へ1歩しているという確信からやはりこの鬼畜塾へ通ったのは正解だったらしい

ドラゴンボールヒーローズ編

中学校1年生の土日の休日は基本的にどの部活も土曜日は部活で日曜日はOFFという習慣が確立していた。

週休2日制度を考えると部活は
週休1日とかなりブラック企業です🤓

当時は石田やその取り巻きの陽キャとバレー部の金ヅル系男子の裏沢くん達でその頃人気だった「ドラゴンボールヒーローズ」にハマっていた。

というのも田舎のコウリッチュー生だとやはりやることが限られていてAEONは陽キャのコウリッチュー生にとって至高の遊び場だったのだ……

ドラゴンボールヒーローズは激レアカードのシークレットカードは時価4000~くらい……年代物だともっと安い感じだ。1番高かったプレ値の付いたカードだと「仮面のサイヤ人」と呼ばれるカードで2万~3万、「ヤムチャ」で1万ほど……

当時のコウリッチューのガキからすれば2万3万は大金……そもそも月のお小遣い3000~4000円でやりくりしないといけないガキにとってはとってもじゃないが買えない代物だった。

その上、高いカードほど強いという特性上…皆背伸びして高いカードを買い集めていた。

その中で自身のカードを賭けて対戦バトルしあうという賭博もちまちま行われていた。

またカードを入手するには中古カードショップかネットだった。親ではなく祖父からお金を貰っており、その当時スマホを持っていなかった私はネットで買う手段はなく自分で足を運び中古カードショップで高値のカードを購入していた。

シークレットカードがそこそこ集まり良いデッキが組めるようになってきたとき色々な人と自身のカードを賭け、カードを交換しあっていた……

そんな中…石田がとんでもない手を打ってきたのだ

「巧妙餃子デッキ」

餃子、鶴仙人、ヒット 等…一見 数百円レベルの雑魚カード達だったのだがこのカードの組み合わせにより2ターン目には必殺の9999ダメージが決まるというチートデッキだったのだ…

そうとも知らずあらゆるコウリッチュー生達は石田の「巧妙餃子デッキ」に高額カードをむしり取られていった…私も例外ではなく2度敗北し5000円ほどの高額カードを搾取された。

そういうセコい手を使うやつらもいたが結構充実した休日を過ごせていた。

浪費UFOキャッチャー編

次に…ドラゴンボールヒーローズの流行が過ぎ…ドラゴンボールヒーローズで遊ばなくなってからはAEONにあるUFOキャッチャーにハマりだした。最初は取れなかったが攻略動画やUFOキャッチャーがメチャクチャ上手い友達と遊ぶことにより技術を少しずつ伝授し上手くなっていった…

しかし、UFOキャッチャーはとても金がかかる遊び…しかも数時間ではなく数分で終わってしまうゲーム…大量の金が必要なのだ…夏休みは毎日のように通い結局UFOキャッチャーに没頭しまくりAEONのゲーセンだけで10万以上浪費していたと思う。


我ながら本当に頭が悪買ったと後悔している。UFOキャッチャーで得られる物なんてたいして欲しいわけでもなく、だいたいが対価以下、かつショボい、、欲しいわけでもないのに2000~3000円という軍資金の中で両手パンパンにしてUFOキャッチャーを乱獲するというゲーセン界における承認欲求を満たせるのがたまらなく気持ちよかったのだ。

そんなこんなあり、UFOキャッチャーは金が浪費する為すぐ親に止められ怒られ辞める羽目になった…

(今思うと何が楽しかったんだ。定価でもっといいものなんて沢山売ってるのに……)

無限メダルゲーム編

そして、UFOキャッチャーに飽きたら次にAEONのゲーセンで名物と言えばメダルゲーム

そう、これこそパチンコに似た依存性を持ちその日はほぼ軍資金がなくてもメダルを増やせるかもしれないというギャンブル性を兼ね備えていた。

それに私も見事ハマり、石田や裏沢などドラゴンボールヒーローズにハマっていたメンツでメダルゲームをやり出した。

当時はゴリ押し系魚釣りや射的などもあったが勝てるのは確率機だった、なので自分の実力と選び台で勝てるモンハンや実力による賭け…競馬ダービーがかなり人気だった。

なかでも競馬ダービーが白熱しており皆でメダルを賭けて一攫千金を狙っていて楽しかった。やはり石田は負けることが多かったが時折勝てる時はとことん勝つような奴で下馬に大金を賭け一攫千金狙いのギャンブラーだった。毎度の勝ち具合にもよるが出費が少ないこともあり結構メダルゲームは流行として長続きした。

恐らく1年生卒業までメダルゲームに熱中していたと思う。

とまあ、土日は自転車でAEONへ行き友達と遊ぶのが大半だった。

その頃はスマートフォンがあまり普及しておらず「ゲーセンへ行ってたまたま会ったメンツと戯れて遊ぶ」が主流だった。

しかし、中学1年生半ばにもなるとスマホを持っていない方が流行に乗れていない風潮があったので親に頼みWiFi型のタブレットを購入し初めてLINEを入れ3DSではないネットを知った。

タブレットを買うまでは3DSで「妖怪ウォッチ真打」や「妖怪ウォッチバスターズ」等をダラダラプレイしておりそれはそれで楽しかった。

友達の家へ行き、WiFiを借り、ネットを繋げる。そんな今では古臭いような遊びが当時の休日の過ごし方としてとても充実していた。


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