『タイポグラフィ60の視点と思考』刊行記念インタビュー集 第2回:渡辺和音さん(後編)
エディトリアルデザインをベースにVIからWebまでトータルで手がける株式会社There There。代表の渡辺和音さんにご登場いただき、後編ではオンラインメディアによる変化や『タイポグラフィ60 の視点と思考』で紹介した作品についてお伺いしました。
(プロフィール)
渡辺和音
2005年桑沢デザイン研究所卒業後、工藤強勝デザイン実験室、株式会社スープ・デザイン(現在株式会社ブートレグに商号変更)を経て2018年4月、屋号「There There」として独立。エディトリアルを中心にグラフィック、V.I.、Web、空間、など視野を広く一つにとどまらないデザインを展開。主な受賞歴:GERMAN DESIGN AWARD Gold、Creative Communication Award Best of Best、iF DESIGN AWARD Winner、D&AD Awards Shortlisted、第30回桑沢賞受賞など多数。
オンラインメディアの発達による変化
___10年前と状況が大きく変わった現在、デザインにおいてやりやすくなった点や、逆にやりづらくなった点があれば教えてください。
自分の状況も10年前とは変わっているので比べるのは難しいのですが、やりにくくなったところはあまりないと思います。様々なツールや方法が発展してむしろプラスのことばかりかもしれません。やりやすくなった点は、いろいろなものに触れるのが容易になったことです。今はSNSを通じて、いろいろな人と繋がることができたり、オンラインで買い物ができたり、簡単に情報を手に入れることができます。デザインにおいても、情報を知った上で自分はどう動くべきか考えやすくなりました。
以前は本を読まないと分からなかったり、紹介されていないと情報に気がつかない部分も多かったと思います。例えば、イギリス人のデザイナーがSNSで紹介している新書体は以前なら知ることもできませんでしたが、今はフォローしていれば何かしら気づくことが出来るようになりました。情報が入ってくる量は変わってきていると思います。新書体がどこかで発信されてすぐにチェックできるようになったのは嬉しいことです。
___書籍から情報を得ることは今はほとんど無いでしょうか?
いえ、本は今でも読みますし、編集のされ方がオンラインとは違いなにより参考になります。ただ、例えば仕事中に少し空いた時間で調べもので情報を得ようとすると、オンラインの方が圧倒的に情報量が多いです。
___探しやすくなった一方で、選択肢が多すぎて逆に選びにくくなっているような気もします。渡辺さんの場合は、何を優先して選んでいますか?
僕の場合、優先しているのは「意味」と「立ち位置」です。「意味」はデザインそのものに合った書体選びかどうかで、どういう特徴の書体設計なのかを見極めることです。「立ち位置」は文字が前に出てくるべきか、寄り添うべきかを見極めることです。この関係で、エレメントの選び方が変わってくると思います。
もし選定に迷ったら、最初は一般的に優れていると言われている書体を学んで、自分で「このデザインにはこの書体がいい」と感じたものを選ぶのがよいと思います。そのうえで意味と立ち位置を考えて、このエレメントであればこうする、という感じで進めていくと良いでしょう。それに加えて、「今はこのニュアンスにはこの書体の選択が新しいとか、組み方を通常よりもちょっと変えると新鮮」と軽やかに感じるとれるものを書体選びの基準としても良いのではないでしょうか。前述した『TRANSIT』では、毎回そのように考えて進めています。セレクトの仕方と使い方で文字の見え方も変わってくると思います。
ベーカリーカフェ「PARKET」のオリジナルフォント
___『タイポグラフィ60の視点と思考』にも掲載いただいた「PARKET」について、まずはお店とコンセプト設計について教えてください。
「PARKET」は下関市立大学構内にオープンしたベーカリーカフェで、アートディレクションを担当しました。ロゴと一緒にフォントを一から作り、グッズやWeb、デジタルサイネージ、メニュー、カレンダー、住所などあらゆるものに展開しています。このときに作ったのが〈PARKET Font〉です。お店としての愛着を持たせるためにオリジナルで作ることがマストと感じて、〈PARKET Font〉を作成しました。
コンセプトは「匂いを感じるグラフィック」です。パン屋さんに入りたくなる理由は、「いい匂い、パンが食べたい」と五感に訴えるからだと思い、デザイン的なエレメントよりも第一に匂いを感じることを優先して作っていこうと考えました。パンが焼けたときの香りや膨らむ感じをタイポグラフィで表現したい、Webやグラフィックに触れた瞬間にパンを食べたくなるようになればいいと考えました。
___フォントのどのようなところに工夫したのでしょうか?
バリアブルフォントの特性を活かしてウエイトがあがる事でパンが焼けたような設計にしたことです。ウエイトは「Regular」「Bread」の2種類があり、その間をグラデーションのように多数のウエイトが存在します。Regularは頭でっかちでややアンバランス、調和よりも危うさや動きに比重を置いています。Breadはあるルールのもとに可読性がなくなるところまで膨張したものです。
___Regularの「ややアンバランス」という部分で、どのような表現をしたのでしょうか?
動きがある書体にするため、正位置にせず基準位置を変えました。例えば「B」なら通常は下に重心を持っていくと思うのですが、Regularは上に重心を置いています。重心を変えることで、文字の印象が大きく変わります。ターゲット層が若いため、落ち着く書体設計よりも人の出入りがあるように動きを感じるようにしています。
バリアブルフォントについて
___バリアブルフォントの特徴とパンが焼き上がる現象の組み合わせが面白いです。当初からバリアブルフォントの使用を想定されていたのでしょうか。
バリアブルフォントのウエイトが変動しながら紹介されている新書体の動画を見ていて、パンが膨らむ現象と似ているところから作り上げました。
___様々な媒体で展開するにあたり、想定外の見せ方はあったのでしょうか?苦労した点があれば教えてください。
書体を作るにあたってはじめは文字のきれいさを意識して各ウエイトを作っていましたが、人工的で書体の印象から抜けれず、パンが膨らむような挙動になりませんでした。パンが膨らんだようにするために、各文字に見えない関節を作りました。赤ちゃんの腕や足のように関節は肉がつきにくく、関節から離れたところは太りやすいというルールです。ルールに任せて膨らむ偶然性を大事にしました。
___パンの焦げ目の部分にもルールが存在したのでしょうか?
焦げ目はIllustratorで作っています。段々と色を濃く20段階まで上げていき、映像もIllustratorで高速でウエイトを変化させ作っています。Illustratorの限界まで使い果たした感じです(最終的にはよりきれいに見せるために違うものを使いました)。
___エンジ色に何か意味はありますか?
建築との兼ね合いで建物のエンジ色を取り入れました。大学構内にあるお店として違和感がないよう、土地に寄り添ったものとして建築家と話して進めていきました。
___全国のパン屋さんが使いたくなるタイプフェイスで、パン以外のテクスチャーでもやっていけそうです。
生協が運営しているお店、ほかのパン屋さんでも展開したいと言っているそうです。「違うパン屋さんの場合、違うパンで作れますか?」といった話もあるようです。
文字を前面に出してお店の認知度を上げる
___Webサイトも商品ではなくあえてフォントを前面に持ってきたことにどのような理由があったのでしょうか?
書体を選ぶ立ち位置からの話にもなるのですが、今回の書体展開は何よりも一番前にいることが好ましいと考えました。商品自体こだわり抜いて作ったパンというわけではなく、学食のように学生が気軽に買えるパンです。それを推すのではなく、デザインが前にでてくることがシズル感となり、このお店にとって一番の表現方法だと思い、トップにもってきています。
___予算は問題ありませんでしたか?
そこはいろいろと話をしました。グラフィックはお店のロゴ・空間サインだったりで、Webなど他の展開は予算に予定されていませんでした。ですが、映像・Web・SNSなど多方面でアプローチをすることで、「面白いパン屋がある大学」ということを認識してもらう事が、他を削ってでも価値があると皆で話し合いました。
___可読性が低い書体をメインに組んで住所やカレンダーをグラフィック展開した案は、クライアントから何かリアクションはありましたか?
「読めないところがいいね。でもぎりぎり読める」「この書体は、文字を組むだけでパンが焼き上がるので、一種の発明なのではないか」と喜んでらっしゃいました。今回の案件は設計を担当したSTUDIO MOVEの中尾彰宏さん・家具レーベル E&Yの松澤 剛さんから「面白いお店を作りたい」と依頼をいただいたのですが、この2人も喜んでくれました。
___ユーザーからはどのような反応がありましたか?
お店の完成が延びてしまったこともあり、オープンしてからはまだ伺えていません。店内にサイネージを置いて、そこでタイポグラフィの展開も想定していましたが、オープンに間に合わずまだ検討中です。Webサイトもオープン当日に駆け込みで出来上がりました。いつか実際に訪れて、自分の目で見てみたいと思っています。
___貴重なお話をありがとうございました。
(取材協力:ThereThere)
『タイポグラフィ60の視点と思考 デザインの可能性を広げる、60人のクリエイターからのアドバイス』
タイポグラフィのエキスパート集団〈日本タイポグラフィ協会〉のクリエイター60人が、それぞれの専門領域と豊富な経験から語るデザインの思考と手法。カテゴリーを60に細分化し、制作ポイントを作品事例とともに解説します。デザインの可能性を広げ、バイブルとなる必携の1冊です。(協会設立60年記念書籍)