棋譜並べが苦手
沢山対局してるのになかなか上達できない、という悩みを最近ツイッターで見かけた。自分にも非常に思い当たる節がある。私にとってのそれは棋譜並べだ。やっても全然、身に付かなかった!
私は元祖?観る将で、指すのと同じくらいかそれ以上に観るのが好きだった。記録係、観戦記者、中継班、対局者とひと通り対局室にいる役目は経験したけど、一番座りの悪かったのが対局者。一番朝からイキイキしてたのが記録係だった。誰よりもずっとへばりつきで対局が観られるからだ。
記録は良くとっていたし、棋譜を手に入れるには困らなかった。何かしら将棋に関わる空間にもいたし、研究会だってやっていた。恵まれた環境だった。でも、強くならなかった。
当時はそのことを突き詰めて考えることもなく、ただ将棋の空間にいるだけで何かした気になっていた。最近なぜ何も吸収できなかったんだろうとよく考える。観戦や対局はまだ少しだけは吸収してる実感はあったが、棋譜並べについては全くダメだった。手を動かしてるだけ。頭がぼーっとして眠くなってしまう。
リアルタイムの観戦の時は手に感動することは頻繁にあった。でも棋譜並べで感動した記憶があまりない。どの棋譜を見てもへー!と思うだけで強さの違いがわからない。何が勝敗を分けたのかもポイントも読み取れない。
符号だけで何かを読み取るという適性が欠けてたんだと思う。適性がないならば何かしら方法論を工夫しなくてはならなかったと今なら思うけど、当時はただ量だけ消化して、血肉にならず流れてしまっていた。
最近も棋譜並べはあまりしない。代わりにこれが自分にとっての棋譜並べのようなものになっている。
・リアルタイム観戦(脳内活性度あがるし楽しい)
・棋譜並べが得意な人、手の意味を言語化できる人に見せたり、人と一緒に考える
自分一人で棋譜から何かを読み取るのが難しいから、人が手について言う感想から大局観を学んでいる。またリアルタイム観戦は、時間をどう使うか、対局者の様子なども情報となり、そこからも大局観を吸収できる。
ところで最近感動したのは、岡部九段と中山八段が自分達ぐらいになるとどんな棋譜からでも何かを吸収することができる、級位者の棋譜も勉強になると言っていたことだ。昔棋譜を並べていたら、なぜ女流棋士の棋譜を並べるのか、強くなるためには男性棋士の棋譜を並べなさいと先輩に諭された。記録係に感想戦を見てもらえないことも多かった。私は彼らの話に衝撃を受けて、どんな対局からでも学べるのは、とても夢があるし、彼らが手から何かを感じ取れる突出した才能を持ってるのだと思った。
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