三上杯振り返り〜わたしたちは生きている
新春大会(通称三上杯)は人数の都合で低段者級位者合同クラス、総当たり5回戦となり、最終Rで芝野龍之介初段(囲碁棋士二段)と優勝を争った。結果は序盤(7手目)で詰みと直感し進んでいったものの、読み抜けがあり着地失敗、芝野初段の優勝となった。
これには伏線があって、2Rで似た状況があり、9手目から詰みだと直感し10分以上考えたものの、最後の最後で石が頭の中で消えて確信が持てなかった。その時進まずに無難に局面を維持して、有利を掴むやり方を取ったのだ。それは実は最近の課題で、私は最善があるなら多少危険ぽくてもどんどん行ってしまうきらいがある。直線的に勝ちに行く手順ばかり読んで、それは精度が高くないと後戻りできないほど盤上を荒らしてしまうので失敗すると焼け野原。どこで無理だと引き返すか、あるいは直線的に行かず安定有利を拡大するかは私にはっきり足りない技術で、勝ち方の幅を広げたかった。
2Rでそうした方針を取れたことは普段の自分とは違うチャレンジだったのでよくやれたなと思う。ただやはり、詰みがあるのに行かなかった後悔もうっすらあった。
というわけで最後のラウンドはいつもの自分のように踏み込みたかった。結果は精度が高くなく失敗に終わったが、相反する2つの方針を一つの大会で両方チャレンジできたこと、それ自体はとても良かったと思うし、自分なりに良くやれたと思う。今回は結果よりも大きなものを得ることができた。
牧野五段と龍ちゃんという2人の天才が両側にいて、真ん中に凡人の私が必死に食らいついている。それは、この人達といつまでも一緒に遊びたいから……。仲間が撮ってくれたとても好きな写真です。
今日ここに来た人は緊急事態宣言の中で連珠をしにきたということで、それぞれ特別な思いがあったんだと思う。そして来れなかった人たちにもそれぞれの連珠があり、同じ時代に生きて、そんな皆んなと交わることができたことはとても尊いことだと感じている。
何故負けると悲しいのに、盤上では独りぼっちで苦しいのに、盤の前に座るのか? それは長年抱えてる疑問だ。人は何故生きるのか?と同じくらい答えがありそうで見つからないもの。
最近この記事がとても心に響いた。「大統領、私は今、19歳。自分が死んでいるような気がしています」から始まる長い手紙だ。
今わたしは仕事を休み、店を休み、人とコミュニケーション取らないよう過ごしていて、唯一出かける連珠の場で久しぶりに人に会った。そしてどの対局でも言葉にできない色んなものを得て、感じた。生きてると実感できた1日だった。私達は機械じゃ無く、感情は画一的なものではなく、結果だけが全てでなく、盤の前に座ることは何の意味があるかわからないけど、とても意味のあることだった。相変わらずうまく言葉にできないけど。
またどこかで、また誰かと、今日のように盤上で出会いたい。
私達は相思相愛なのです💕
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