DIYと将棋と連珠は同じだと思った話〜AERA後日談
週刊誌『AERA』で松本博文さんが連載している「棋承転結」、7月に4週に渡りインタビューを掲載していただいた。
何で私が???と思ったけれど、女流棋士のセカンドキャリアについては一度お話したいテーマだったので、ありがたく引き受けた。将棋に関わりながら幸せになる、ということについてずっと考えてきた一人の人間として、面白がっていただければ幸いです。
さて、この初回で唐突に藤田は自宅をリフォーム中と書かれているが、ここ2年ほどDIY系YouTube動画を見るようになり、その影響である。また誌上でも語ったように連珠の神谷俊介八段に強くなるためのアドバイスとして「生活を改善する」と言われたこともあり、今年になってから断捨離とセルフリノベーションに取り組んでいる。
断捨離→掃除→整えるというところまでは自律神経も整いだして連珠にもはっきり好影響があった。しかしリノベーションに至っては、壁をペンキで塗り替える、床を張り替える、漆喰を塗る、無垢の木にヤスリをかけて蜜蝋を塗る、など、もはや連珠のためなのかなんなのかわからない。何のためにやっているか、何を目指しているのかわからないまま、無我夢中になってやっていたが、ある日ふと思った。
(これもう友達いらねえな)と。
(友達いらない)と思ったのは人生で二度目で、一度目は将棋のルールを覚えたときだった。自分は人と共感しあったり、音楽や演劇など何か素晴らしいものを共有することを子供の頃から欲してて、理数系を志したのも言語が違っても理論を共有できるから、という(浅はかな)理由だった。その共感欲が、将棋では満たされるだろう、と思って(友達がいらなくなる)と考えたのだった。将棋が好きな人とは将棋のことで感動や理論が共有できる。黙って指していても相手のことを考えることができる。わたしが理想としていたことだった。
DIYも、将棋や連珠との共通点が多いことに気がついた。無我夢中で没頭できる、無限にやりたいことが浮かぶ、正解があるようで無いから終わりがない、目的のためにやるんじゃなくて(人に見せたいとか、評価を受けたいとかではなく)作業そのものが楽しい、日々トライアンドエラーの連続で色んなことを得ることができる……。特に最後のトライアンドエラーの連続というのはそっくりだ。
DIYでうまくいくことなんてほとんどない。大体何かしら壁にぶつかったり失敗する。その都度いろいろ調べて試行錯誤していくところがすごく似ている。最近では作りたいものが目的じゃなくて、試行錯誤する工程そのものが目的になってるところがある。
違うのは勝ち負けがないところだろうか。ただ、将棋や連珠も勝ち負けのためだけにやってたらこんなにハマってないと思うんだよね。DIYと一緒で、手を動かしてることそのものが楽しい、という面がきっとある。考えることそのものが楽しい、やってることそのものが楽しい、うまく出来ないことも含めて楽しい。
iPhoneが最初に出てきた頃は、iPhoneはすごく不便な機械だった。コピペもできなかった。でもそれを工夫していろいろな裏技を使って使いやすくするための情報収集サイトがあって、それにハマっていた。私は昔からどうやら、できないことに興味があるらしい。
昨日連珠で全く知らなかった手をくらった。全然次の手がわからなかった。どういう考えで進めていいのかわからなかった。そういう時は、連珠をやっていて楽しい瞬間だ。私はまだ連珠がわからないことが楽しめてる。DIYも不器用であまりうまくいかないけど、結果に関わらず楽しめてる。連珠も結果にこだわらず、こうやってずっと楽しめるといいなあ。そういう人生にしたい。
連珠ができる大工さんになりたい!……この歳でまた新しい夢ができるとは思わなかった。
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