連珠のこと

私がなぜ連珠をしているか、連珠をしていく中で何を思ったか、それを気の向くままにこれから書いていこうと思う。

昨日毎月楽しみにしている「連珠世界」が届いた。7月号は特に待ち遠しくて何故なら前号の続きで私が出場した三上杯という大会の講評が掲載されるのがわかってたから。何を書かれるのか気になっていた。

覚悟はしていたけど、やはり悔いが残る内容の敗局を見返すのは辛かった。書かれてあることよりも、一番自分の連珠を見て欲しかった人に、よりによって一番出来の悪い大会の棋譜を見させてしまったという現実が悲しかった。

私が連珠に出会ったのは2015年12月の囲碁将棋イベント内の福井六段の体験ブースだった。その2ヶ月後の2016年2月ゲームマーケット大阪後に知り合ったばかりの福井六段はじめ連珠家さん達と打ち上げをし、始めて連珠のことを詳しく知った。連珠家さんの風貌や人柄が将棋界で見てきた人達と似すぎてて一目で共感を持った。

帰り道、会食で意気揚々としてた岡部九段が物凄く疲れた顔で「ゲムマに出店した後連珠会に来てくれた人がまだ居ないんですよね…」ぼそっと独り言のように呟いた。

私は初対面の人に九段の人が何故素になってこんな弱いところを見せたんだろう?という衝撃と、普及についてのことには何かしらの共感を持ち、その瞬間のことが忘れられなくなった。私が連珠頑張ったり、連珠やる人を増やしたら、この日の岡部さんが喜んでくれるかしら?というのが連珠をやる理由の、百個あるうちの一個かもしれないけど大きな動機となった。

だから、思うような棋譜を見せられなかったことにがっかりしたんだと思う。しかしまた同時に、この日昼間に対局した牧野五段(将棋の人)との連珠が楽しくてワクワクが止まらない自分が居た。涙が止まらない中で、明日も連珠したいと思っていた。

自分は何故牧野さんと対局するのが楽しいんだろう?棋力が近くて勝ったり負けたり出来ること以上に、連珠に魅力を感じて突き動かされている感じ、誰かからの評価の為にやってない感じが、自分に共通してて心地いいのかもしれない。

この世界は勝ち負けがつくから人と比較され続ける。でもほんとに突き詰めていく段階に入ると、自分に向き合える人だけが生き残っていく。承認欲求の為だけには、続かない。だって上には上がいるから。

願うような承認欲求を得られなくて涙した自分と牧野さんと対局して純粋に楽しくて満たされた自分は同居している。自分は他者からの評価の為だけにやってるわけではないと気づいたら、気持ちが楽になった。

何のために1ヶ月後の世界選手権に行くのか。沢山の理由があったはずだ。ひとまず人を喜ばせようなどという不遜な願いは置いといて、残りの99個の理由と向き合おう。



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