失着ありきではなく、作り上げられるか

おそらく多くの人が思ったことがあると思う。

「五目並べって、三や四を見逃すかどうかだけで決まるゲームでしょ?」

私も長い間その疑いを持っていた。これ、お互い見逃さずに止め続けてたら永遠に五連作れないよね?と。

「連珠って、五連というものを作ろうとして作ることができるんですか?」とかなり初心者の段階で中山八段に聞いたことがある。相手の失着ではなく、好手を積み上げて実現させることが可能なのかと。可能なら、その夢を追求してみたい、失着ありきなら、ゲームとしてやる動機にならないと生意気にも思っていた。

自分は将棋の技術も勝負師としての適正も無かったが、弱いことを差し置いて、そもそも将棋って誰かの失着ではなく玉を詰ませられるのかが気になっていた。初手から最後まで完璧に積み上げて絵を描くことが出来るのか?と。

将棋は初形が隙がなく、角道を開けるのは未来の為になるプラスの面があっても、隙が生じてしまう。何も動かさない方がバランスが取れている場面があることを切なく思っていた。初形から何もしなければお互い玉は取られないけど、それではそもそもゲームが成り立たない。

連珠が初手から完璧に積み上げていけば五連が作れるのかはまだわからない。今のところ私の場合他のゲーム同様、互いのミスによって決着がついている。

ただ少なくとも一手一手プラスになることが多いというゲーム性はとても気に入っている。石を五個並べるためには、前段階として四や三の状況があり、それを作るには二や一が必要である。つまり石を一個置けば、目標へ一歩進めるのだ。何も置かない方が良かったということはあまりなく、何かしらメリットを積み上げていきやすい。

真っさらな盤に無数の可能性があり、一つ一つ石を置くという行為は前向きである。もしかしたら描いたような受け無しに追い込むことが可能かもしれない、そんなところに自分はワクワクしている。


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