少しずつの優しさが紡がれると
PIECESに4月より新たにジョインしました、さかぐちです。
PIECESが伝える「優しい間」。
そこにつながる私自身の2つの原体験を通して、PIECESと自分の接点をお話ししたいと思います。
人生初noteです!よろしければお付き合いください。
私は3人きょうだいの真ん中として共働き家庭に生まれ、
自営業の父母は土日や夏休みももちろん仕事という環境で育ちました。
同年代の子たちから聞こえてくる、
「週末に遊びにいった」
「お祭りにいった」
「キャンプにいった」
というような声に対して、
「私も行きたい」
と親に言ってはいけないということを、子どもながらに感じていました。
そのような中でも、たまに会う親戚の大人の人たちのおかげで、
私の子ども時代は豊かなものになりました。
サラリーマン家庭の叔母が週末のお出かけに便乗させてくれたり、
大叔母が夏祭り行くことを毎年恒例行事にしてくれたり、
阪神タイガースが勝つとお小遣いをくれる大叔父と甲子園で野球観戦をしたり、
叔父夫婦に憧れのディズニーランドに連れて行ってもらったり。
叔母の嫁ぎ先のキャンプに呼んでもらい、遠い親戚の子たちと遊ぶということもありました。
きょうだいの多い家系だったため、
会う機会は少なくとも親戚の子どもたちを当たり前のように気にかけてくれる大人が自然といて、
私にはたくさんの思い出ができました。
とてもありがたいことだったと思っています。
非日常な時間はこのように彩られていきましたが、
日常の中では幼少期の私は、
きょうだいの真ん中で何かと人と比較してしまい自己主張できず、
心に少しの寂しさをいつも抱えているような子どもでした。
そんな自己肯定感の低い私を受け止めてくれたのは、
4歳頃から通っていた絵画教室の先生でした。
私の気持ちを知ってか知らずか、
「なんだか描きたくない」という様子の時もそうでない時も、
「いいの、いいの。あなたはいるんだけでいいんだから。」
と何度となく言ってくれる先生。
何も描かずに事務仕事のお手伝いをして終わるという日もありました。
できるようにならないと、
上手って言ってもらわないとと思っていた私の肩の力は抜け、
「いるだけでいいんだ」
と自分でも少しずつ思えるようになっていきました。
今思い返してみても、絵を描くこと自体が特別好きだったわけではないのですが、
大学2年生頃まで通っていました。
自分を受け止めてくれる存在が心の寄り処になり、
私にとっての居場所になっていたのだと思います。
誰しも人生が嫌になり、
生きることが辛くなるという時が多かれ少なかれあるのではないかと思います。
私もこれまでに数回、生きている意味がないと感じてしまう時がありました。
もうどうでもいいや…終わらせたい…そんなときに思い浮かぶのは、
私の場合は、家族や友達より、まなざしを向けてくれた大人の人たちでした。
そんな人たちの顔が次々に頭に浮かんでくると、
「あー、ちゃんと生きないといけないな」
そんな言葉が自然と湧いてきて、もうちょっとだけ頑張ってみることができました。
大人になった今、中学生や高校生の悲しい選択がニュースに流れてくる度、
「この子と私の違いはなんだったんだろう」
「気にかけてくれる周りの大人がいたか、いなかったか、
それだけの違いだったんじゃないだろうか」
と考えるようになりました。
私にはたまたま親戚がたくさんいて、
習い事を通して信頼できる大人と出会うことができましたが、
誰かと特別に濃い関わりがあったわけではありません。
特別な誰か1人ではなく、
それぞれの少しずつの優しさが、私の今につながっています。
私が救われたように、
「ちょっとした優しさが紡がれ、誰かの生きる力になっていく、
優しい間が地域にひろがっていく」
そんなシーンを、優しい間が広がる世界を、近くで見てみたい。
そう思ってPIECESのメンバーになることを決めました。
わたしとPIECESの関係は、まだ始まったばかり。
これから見られるであろうさまざまなシーン、出会いがとても楽しみです。
私の少しの優しさも、誰かの生きる力につながっていけば。
そんなことを願いながら、今日もPIECESでの日々を過ごしています。