死と認識についての覚書
私が「私は絶対的に何も知らない」と言ったとき、少なくとも、私が自分のことを絶対的に何も知らない存在者であると自覚していたことは確かである。
「私は絶対的に何も知らない」と言うのは、例えば、これが赤色だとかあれは灰色だとか、こちらの右手でもう一方が左だとか、は私が知ったことではなく、私が教わってきたことだからである。私は、よくよく考量してみると、私はそのようにしかモノを知っていない、と気づいた。自己意識における茫洋、19歳の夏である。
「このようにしかモノを知らない人間が存在している、そんな人間がいまだ、いまここで生きていることに何の意味があるのか」と問わんばかりの意識状態にあった私は、何かの弾みで「私にしか知り得ないものは無いのだろうか」と思考し始めた。おそらくその「弾み」の中には一種の「転倒」が縮約されていた。
私は、私が知っていることをすべてリストアップしていき、そのすべてを逐一、篩に掛けることもできただろうが、そうした行為選択は時間の無駄だと直感が私に判断させた。だから、結局のところ、その行為選択をしたところで徒労に終わる時点に自らを定位させた。つまり、結局のところ、十分な検討の結果、やはり「私は何も知らなかったのだ」と自覚し直す時点に、である。ところでそこで言う、「私は何も知らない」は「私は誰かに教わってきたことしか知らない」ということを意味している。ということは、現在の私のステータスは、多くの何らか「知っていること=誰かに教わってきたこと」を持っているというものである。これを便宜上「知識1の状態」、そうした知識を「知識1」と呼ぶ。知識1は、私にとっての「知っていること」を意味する知識ではない。知識1の状態にある現在の私は、何も知らない。
とはいえ、知識1を私が持っているならば、私に知識1を与えた誰かが存在しなければならない。例えば、親であるとか、学校の先生であるとか、私が読んだ本の著者であるとか、である。それでは、そうした存在者たちが私に伝えた知識1は、そうした存在者たち自身にとっては知識1だったのだろうか。ほぼ絶対的に、私の親にとって、これが赤色であれが灰色だとか、こちらが右手でもう一方が左手という知識は、知識1である。つまり、その点に関して言えば、私にとっても私にそれを教えた者にとって、それらの知識は知識1である。そうであるならば、私にそれを教えた者、つまりここで言う親もまた、彼らにとっての知識1として、それを別の誰かに教わったはずである。そしておそらくこの遡行は無限に続かない。どこかで最後に、この知識を「知識1ではない仕方」で持つに至った存在者がいなければならない。そうでなければ、その誰かから連綿と繋がれて、今に至る私が知識1を持っていること自体が不可能である。したがって、各知識には、その歴史的起源、その知識を「その者しか知り得ない」という時点というのが存在しなければならない。
以上のような推論を無限速度で駆け抜けたところの直感によって、私は一種の転倒が縮約された弾みを得る。つまり、いまや問題は「私が何も知らないこと」、言い換えれば「知識1の状態でしかないこと」ではなく、それとは別種の知識に到達することである。ここでその知識は「私にしか知り得ないもの」であり、これを便宜上「知識2」と呼ぶ。
19歳の夏に私が直面した新しい問い「私にしか知り得ないものは無いだろうか」は、ここでの意味で言えば、知識2を獲得する可能性は私にいまだ残されていないだろうか、である。この問いについての積極的な答え、つまり「残されている」という答えは私にとって生きる希望以外の何ものでもない。逆にもし「残されていない」という消極的な答えが結論されるならば、私はもはや生きている意味を完全に失っただろう。当然、当時はこんなふうにまでは考えてはいない。私はそこでそのとき新たに手にした問いに取り組むしかなかった。
さて、「私にしか知り得ないものは無いだろうか」。いまのところ、あれこれもみな、誰かに教わったものであると思われる。ここで再び直感がささやく。とすると、生きている全員が知らないものは無いだろうか、と。そしてもし、それが同時に私だけが知り得るものであるならば、それは「私にしか知り得ないもの」、つまり「知識2」ではないか、と。
そうして私は、すべての生きている者が知らないものを見出すこととなる。「死」である。生きている者は「死」を知らない。だから誰も私に「死」を教えることができない。何を「死」と呼ぶのか、ということについてはおおかた一般的な共通見解がある。とはいえ、「死とは何か」という問いに対して、その共通見解であるところの意味、例えば、心臓が止まること、などを答えたとしても、この問いに対する答えにならないことをすべての人が知っている。それゆえ「死」とは、私にだけ訪れるものであり、この世界で訪れるものであり、しかも誰も知らないものであり、それゆえ誰も私に教えることができないものである。
したがって、私は結論に達する。問いに対する積極的な答えである。すなわち、「私にしか知り得ないもの」がいまだ「残されている」。それが「死」、私にとっての「死」である。だから私が死ぬ瞬間、私はこの世界のあらゆる人間が私に決して教えることができなかったものをそこで知ることとなる。こうして私は、「知識2」の到達可能性がいまだ私に対して閉ざされていないことを知る。そしてこの結果、すべてが変わる。私はいまだ何も知らない。知識1の状態である。それでも私には知識2の可能性が残されている。この「それでも」ほど、私を勇気づけるものはない。
あの当時の私には、以上で十分であった。以上によって、私は「私がまだ死ぬに及ぶほどではない」と気づいた。死−知識2は、私の認識的生における最期の果実である。知識1は、私に生きている意味を何も与えない。それでもそれ自体では何の意味もない知識1、それらを私に生きている意味を与える道具として活用することができるならば、まだそれらを持っている意味がある。したがって、問題は、知識1を用いながら、「死」についての知識2には及ばずとも、知識2に属するようなものが無いのかどうか、をこの生において探ることである。
それから私はすぐに「対話」という営みに着手することとなった。なぜなら、そこでは、少なくともそこにいる者たち全員が知らないことを問うて、そこで誰もそこでは知らなかったことを知る、ということが起きうるからである。それゆえ、そこでのその知識は、死ほどではないにせよ、知識2に類するものである。いずれこの意味での私にとっての「対話」は、生きている者というよりも、過去の賢人たち、私にとってはその多くは哲学者たちであるが、そうした彼らとの間で為す営みとして延長していくこととなった。なぜなら、もし生きている者だけでなく、彼らでさえも教えてくれないものがその対話において見出されるならば、それは一層、知識2において核心的なものであると私には思われるからである。
だから結局のところ、対話であろうが、哲学であろうが、呼び名は何でもいい。単に私は知識2が欲しいのである。ただそれだけである。