マガジン

  • 百景マガジン

    • 7本

    京都にある喫茶店「喫茶百景」に関わる人たちが隔週ぐらいで投稿するマガジンです。https://www.instagram.com/hyakkei_coffee/

  • 週記

  • photo-essay 2018.1.5-2.3

最近の記事

妹と暮らしているのだが、その2

(これは2016年に書かれたものである) 5月28日23時頃。主催していたイベントを終え、帰宅。妹はいない。 妹には、23時頃に帰る、ということをLINEで伝達済み。家で少し落ち着いていると24時前、妹からLINEの返信が入る。 「家にご飯ある?たべた?」 ない。ぼくはイベント終わりに会食し、そのまま帰って来た。 妹は、どうやらバイトが終わったところのようで、ご飯がない旨を伝えると「おけー」と返事がきた。そのまま帰ってくるようだ。 少しして、家のチャイムが鳴る。妹が帰

    • 死と認識についての覚書

      私が「私は絶対的に何も知らない」と言ったとき、少なくとも、私が自分のことを絶対的に何も知らない存在者であると自覚していたことは確かである。 「私は絶対的に何も知らない」と言うのは、例えば、これが赤色だとかあれは灰色だとか、こちらの右手でもう一方が左だとか、は私が知ったことではなく、私が教わってきたことだからである。私は、よくよく考量してみると、私はそのようにしかモノを知っていない、と気づいた。自己意識における茫洋、19歳の夏である。 「このようにしかモノを知らない人間が存在

      • 社会の問題や関心ごとは、いかにして自分ごとになるのか?:「選挙」を巡って

        今回、共通の問いを巡ってそれぞれで書こうということになった。それぞれから問いを提案し合った。結局、ぼくが提案した問いに決まったわけだが、これが全く厄介であり、少し後悔すらしている。その問いは次の問いである。 この問いを提案してみたのは、昨今のロシア−ウクライナ事情や参議院選挙は、言うまでなく、社会の問題ないし関心ごとであろうが、私を含め、それらが自分ごととなっているとは思えないからであったが、我ながら本当に厄介な問いである。正直なところ、着手したくないのだが、それでも提案し

        • 一喫茶店でテクストを書くこと

          テクストを書くことは、識字率がほぼ100%のこの国ではほとんど誰でもできる。多くの人がメールやらSNSやらで日々テクストを書いていて、この行為自体、なんら不思議なことではない。 それでも、京都にある一喫茶店に関わる人たちだけで、こうしてテクストを書く、ということに至ったことは不思議なことである。 この営みが今後、どこまで続いていくのかはわからないし、いつか終わるとしてもそれはそれでいいと思っている。こうしていま、とりあえずに口火を切るようにして、一つのテクストを書いているが

        妹と暮らしているのだが、その2

        マガジン

        • 百景マガジン
          7本
        • 週記
          3本
        • photo-essay 2018.1.5-2.3
          1本

        記事

          あまり騒ぎたてるな

          微細な痛みや怨恨が漂っていることに無知である者たちほど、それらが一つにまとまり凶行と呼ばれうる行為として発出したとき、その突然さと異様さに騒いでいる。 私の方は、いつもそれを知って、「間に合わなかった」という気持ちになる。そして、その恥辱にまみれつつ、自らの仕事をもって抗うことしかできない。そんなことはそのやっている仕事が、突発的な悪意が現実化されないようにする成果を生み出すと信じているからである。 だから、阿保のように騒いでる者たちが、結局のところなぜそんなに驚いているか

          あまり騒ぎたてるな

          ワークショップの最小回路

          昨日、ぼくが2016年に書いた、ワークショップのレポート記事を読んでくれた方と話した。(ちなみに内容は、写真についてのインタビュー活動を通じて詩を書く、というものである)。その記事は、その人にとって所々、膝を叩くこともあったそうで、嬉しい感想を聞けた。ぼくは4年前のその記事の内容についてほとんど忘れてしまっていたが。 そして、ともかく、その人に「ワークショップはもうやらないのですか?」と聞かれた。 「やらない」と言って、その後、やってしまうならば、その「やらない」は嘘にな

          ワークショップの最小回路

          コロナ日記。京都在住、30歳男性、独身、学生-会社役員。

          【コロナ日記。京都在住、30歳男性、独身、学生/会社役員】 なんかいろいろな変化が起きている。 密集状態を前提する諸活動をしない、とか、あるいはそれが将来的にも難しいという想定とは別の、なんかとても微妙で微細なのだが、それでも何やらいくつも、ぼくの生活の総体において変化や工夫が起きている。 正直、ぼくにとっては、大きな精神的な変化は起こっていない。コロナ以前で大切していることは今も大切なままだ。 ところが小さな変化がちょこちょこと確認される。 第一に、家にいる時間が

          コロナ日記。京都在住、30歳男性、独身、学生-会社役員。

          ナンバさんの「専攻分野反転法則」についての記事を読んで

          twitterでよくお見かけするナンバユウキさんが、以下の興味深いnoteを書いていた。 ナンバユウキ「専攻分野反転法則の哲学:美学と倫理学」 詳しくは読んで欲しいのだが、「専攻分野反転法則」とは、ナンバさん曰く、その代表的なものとして「研究している対象にまつわる実践が評価する価値との反転」がある。 おそらく、「法則」と言っていることと挙げている例(真偽はともかく、政治学の研究者は根回しが下手、徳倫理学の研究者は徳があるように思えない)から考えると、 「当の研究者の研究実

          ナンバさんの「専攻分野反転法則」についての記事を読んで

          日本一周ママチャリキャラバンとは何だったのか?

          知っている人は知っているし、知らない人は知らないと思うが、10年前の2010年、「日本一周ママチャリキャラバン」というプロジェクトがあった。 ママチャリで全47都道府県を回りながら、文字通り、日本列島を一周する、というプロジェクトである。 下の写真は、スタート地点となった、東京の真ん中らへんの「国道」の始まり的な場所で、一番左が10年前の俺だ。 んで、まぁ、これだけ聞くと、ただの元気な人たちの活動なのだが、このプロジェクトには、もう一つの縛りがあった。 それは、各都道

          日本一周ママチャリキャラバンとは何だったのか?

          与えられている偶然性の中で−存在論がよくわからない

          「結局、歳を取っても、大切にしたいこととかやりたいこととか考えていることとかは一つずっと変わらないものがあるからね」 そういった「変わらないもの」が自分の中に−−それは同時にすべての人に−−ある、ということを、ぼくは割と信じている。 もちろん、外面的な、やっていることや言葉遣いは変わることはあれど、内面的には、ずっと一つのことを追っている、というか、自分を突き動かす一つのものが意志するものに従って、生きていると思っている。それは自分のものではあるけれど、自分が意志している

          与えられている偶然性の中で−存在論がよくわからない

          深夜食堂がおもしろい−事件なきドラマ−

          この1、2年、「事件」のない作品を意図的に選んで観るようにしている。 昔から、ドラマも漫画も映画もすぐに「事件」を作りたがる。わかりやすく、煽情的な起承転結を作りたがる。 刺激的ではあるが、現実的ではないし、観ていて疲れる。 他方で、事件のない作品には「何もない」のではなく、「出来事」がある。淡々と事件とは区別される「出来事」と呼べるような何かが描かれている。 最近、ドラマ「深夜食堂」にはまってしまった。 通観していると気になることが出てくる。 ときおり、「そうやって、あな

          深夜食堂がおもしろい−事件なきドラマ−

          仕事と観

          先日、新卒3年目の友人の人生相談に乗ることがあった。 彼は、今の会社でできることが少なくなってきたのと条件面もあって、転職を考えている。ただ、魅力的な求人を出している会社は、即戦力を求めており、人材教育の余裕はない。新卒期とは状況は違う。求職希望者の中には、年上の経験者がいて、彼は彼らとの競合になる。採用まで行き着くのは難しい。 だからといって、すぐに転職できそうな会社に行ったところで、また同じように転職を考えるようになってしまっては困る。それゆえ、求人に応募し続けるしか

          仕事と観

          哲学者として会社役員になりました。 −−哲学者とは誰のことなのか

          先日、代表取締役と取締役の方々が京都にいらっしゃって会食し、「哲学者としてウチの監査役となってくれないか?」とオファーをいただいたので、3時間のほどの面談の上で、此度、株式会社メタの監査役になる運びとなりました。 正直、この事実について持つ私の感情はまだはっきりとしていない。 それでも、自分だけに抱えきれず、私は何人かの親しい人に直接報告をした。報告を受けた友人たちは概ね喜んでくれたと思う。ある友人は「へるめを役員で雇うとは、時代の先端をいく企業」と、別の友人は「人文系の新

          哲学者として会社役員になりました。 −−哲学者とは誰のことなのか

          美しい夢

          美しい夢、それはどうして美しい? 自分の夢を見なくなったからか、人の夢にウンザリしていたからか いつしか忘れていた感覚を思い出すように 美しい夢を見ることの喜びがあった それはどうして美しい? 空疎で、排他的で、保守的で、 それでいて、そのことに無自覚な、 そんな夢には飽き飽きしていた. 美しい夢、純粋な夢。 泥やスクラップばかりのゴミ山から、 なんの価値も見出されなかったモノたちが、 宙を舞いながら、解け、結ばれ、 一つの球として浮かびあがってくるよ

          美しい夢

          間奏_190823

          北海道に帰ってきて、母や祖母の家で一週間ほど過ごした。 こちらにくると、なんだか、ぶわん、となる。京都で一人暮らしをしているときより、温かくて、生温くて、温帯低気圧という感じだ。 ひとっ飛びでイチローになることはできない、ということは、今日の学びだ。あと、もう少しエゴイスティックになってみよう、というのは今日得た仮説だ。 明日明後日、東京を経由して、京都に帰る。ノンストップで3月、そして、ゆるりとなめらかに4月から新生活に移行できると御の字だ。

          間奏_190823

          週記3_真の学習には「静けさ」が伴う(その2)_190804

          週記2(https://note.mu/piecemeal/n/nf9e7476cc80e)の末部で述べたように、定理四の検討から始める。内容は以下であった。 定理四:異なる二つあるいは多数の事物は実体の属性の相違によってか、そうでなければその変状の相違によって互いに区別される。D. 証明:存在するすべての事物はそれ自身のうちにあるか、他のものうちにあるかである(公理一により)。すなわち(定義三および五により)知性の外には、実体およびその変状のほか何ものも存在しない。ゆえに

          週記3_真の学習には「静けさ」が伴う(その2)_190804