旅:北京旅行with妹!
空港の色んな審査を通り抜けたら
「自分が特別な人間に思えてくるね」
と、妹が言った。
日本を離れる飛行機の窓を眺める妹を
私は通路側の席からずっと眺めていた。
北京に行くまでの経緯
父が一年前から北京で単身赴任しており、せっかくなので夏休みに会いに行くことにした。
4泊、父が住んでいるお家で寝泊まりさせてもらう。
もともと1人で行く予定だったが、妹が一緒に行きたいというので(意外だった)妹と2人で行くことになった。
旅の記録
【8/17 北京上陸】
「ケンティスカイライナーにご乗車頂き...」というアナウンスを楽しみに京成スカイライナーに乗ったのに、流れなかった。
ケンティ(SexyZoneの中島健人さん)が大好きな田邉ガールズはかなりガッカリしてしまったけど、その気持ちも旅の興奮に飲み込まれていった。
初海外の割にはだいぶクールな妹だが、空港の審査の度に緊張しているのが伝わる。私は姉らしく、なるべく堂々としていた。
妹は、人間が感じることのできる様々な感覚の中でも「重力」と「浮遊感」が特に好きなようだ。そのことになると急に興奮するから、毎回反応を楽しみにしていた。
離陸し、私が窓から目を離したずっと後まで、妹は窓の外を眺め続けていた。
機内でもらったかぼすジュースの味を、「アクエリアスの黄色いやつの味がする!おいしい!」と妹にテンション高めに話した。
すると、それを聞いていたCAさんがあとで「いらなかったら申し訳ないのですが、かぼすジュースです」と、私と妹の分を渡してくださった。妹もおいしいと言って飲んでいたので嬉しかった。
北京の空港についてから、父が待つ場所へ到着するまでがとてつもなく長かった。
空港内のモノレールに誘導されるまま乗った時は、どこか違う場所に行ってしまうのではないかと不安になった。しかし、どこまで進んでも空港だった。
初めて「これは東京ドーム何個分なんだろう」と気になったので調べてみたら、利用した第3ターミナルだけで21個分の広さだった。
ツアー客を待つおじさんたちの中から、父を見つけた。
「あ、ほら、あそこの1人だけニコニコしてるおじさん!!!」と言って父の居場所を伝えると、妹はすぐにわかった。
ものすごい広い空港を出ると、ものすごい量のタクシーが待っていた。
ここが中国であることを実感した。
父の家から歩いて5分ほどのショッピングモールに行ったが、馴染みあるものばかりがはっきりと見えて、結局スタバに寄って帰った。
無事に父に会えた安心感でドッと疲れが出ている娘たちを置いて、父は毎日続けているらしい10kmのランニングに向かった。
妹は、「北京でも毎日走っているなんてストイックだ」と高評価の口コミをしていた。
【8/18 北京ユニバ】
電車に乗ってユニバに向かおうとするが、まず、改札を通る前に荷物検査があることに驚く。空港でよく見る、荷物をベルトコンベに乗せてスキャンするやつ(?)を毎回やる。
電車の中では、車内の治安を監視するおじさんが歩き回っている。
私は電車の中でお菓子を食べていたら注意された。よくみている。
開園の1時間ちょい前に到着し、列に並んだ。
この段階で、
話し声でかすぎ!!!
身だしなみ気にしなさすぎ!!!
割り込みすぎ!!!
おじさんお腹だしすぎ!!!
距離近すぎ!!!
などツッコミたくなるポイントがたくさんあって、妹とそれらをひとつひとつ言い合った。
ユニバのスタッフの方がみんなダルそうでおもしろかった。誰も親切にしてくれない。これを楽だと感じることもできた。
乗り物に乗る時にポイントがある。
それは、早く乗り、早く降りることだ。
みんな自分の番になると、走って乗り物に向かう。その勢いに負けてはいけない。
私と妹はユニバで中国イケメンを探していたが、全然見つけられなかった。
ユニバの後にまた別のショッピングモールに連れて行ってもらったが、夕飯は結局日本にもあるシェイクシャックになった。(お高めなので日本でもあまり寄ることはなかったけど)
【8/19 天安門と商店街】
中国国民の方は、「身分証」という魔法のIDカードを持っている。それを持っていれば色んなところに不自由なく行けるし、持っていないと手間が増える。
天安門に入るのにも身分確認と荷物検査があった。今回は日焼け止めスプレーは投げ捨てられたし、痛み止めも用途を確認された。
こんなに徹底してるのにスプレーの中身が日焼け止めかどうかもわからないのはおかしい!!絶対ノリで没収された!!!と、私は少し不満だった。
天安門広場は、不気味なほどに広かった。
それでいて、なにもない。
ここにぎっしりと人が集まるということ。
戦車が通るということ。
毛沢東の大きな肖像が、こちらをみていた。
観光客が天安門をバックに笑顔で写真を撮っている。
私もそうした。
武装警察隊員はまっすぐ観光客の監視をしていた。それは撮らなかった。
天安門周辺は、少し歩くだけでパスポートを見せなければいけなかった。それがあまりに大変で、故宮の方に行くのは諦めた。
電車を使って一度その場を離れてから、自転車で次の目的地まで向かった。
王府井小吃街というでっかい商店街に行った。
(ほんと中国っていちいちでかい)(言い方)
ここでは、でかいアイスと間違えてヤシの実を買ったり、金木犀ラテを飲んで感動したりした。
次に、798芸術区という場所に連れて行ってもらった。
798芸術区は有名なアートスポットらしく、美術館や展示スペース、こだわりのあるお店がたくさん並んでいた。
父は北京を私たちに案内するために下見に行っていたらしい。優しくてマメな父親だ。
かわいいお店があったのでそこでお土産を買ったら、まさかの日本のブランドだった。
夜は、父の会社の人(以下:わんさん)とその娘さん(以下:きよちゃん)一緒に中華料理屋さんに行った。
きよちゃんが日本のアニメのオタクで、言語を超えて盛り上がった。
中国語と日本語を話せるわんさんが、私達ときよちゃんの通訳をしてくれた。私は帰りのタクシーの中で、きよちゃんと直接話してみたいなと思った。
私は、「你喝茶吗」を言えるようになった。
【8/20 万里の長城】
妹は、潔癖症とまではいかないが、都会っ子なので虫や不衛生な場所が苦手だ。
万里の長城には、見たことない芋虫が大量にいたし、公衆トイレはトイレットペーパーがない&流せない所だった。(中国ではこれが普通)
私が知ってる妹は、これだけでだいぶ落ち込むが、今日の妹は違った。虫を華麗に避けて進み、苦手な暗い公衆トイレにも進んで向かった。
姉、妹の成長に感動!!!!!
思ったより速いスピードのロープーウェイに乗って、万里の長城まで向かった。
ここから21,196 kmを体感するのはもちろん無理だけど、見えなくなるまでずっと続く道をみてさすがに「長すぎ」と口にした。
壮大に続いていく万里の長城だが、近くをよくみると煉瓦の積まれ方が均一ではなかったりして、「手作り」だということが感じられた。
こういう立派な場所にはどのくらい滞在しているべきかいつも迷うが、今回はあまりに暑かったので割とあっさり万里の長城を後にした。
ロープーウェイを降りたところにあるバーキンが賑わっていた。
私達もそこで涼もうとしていたが、混んでいたので隣の静かな飲食店に入った。
妹と私は「いちごみるくスムージー」と「マンゴーヨーグルトスムージー」を冷たいと思って頼んだが、ここは中国、常温で出てきた。
アイスシェイクらしい商品はまた別にあり、それに気づかなかった...!!!と中国歴4日の私たちは悔しがった。
【8/21 日本帰国】
よしひろ(父)ツアーは、最後まで早起きだった。
最終日は、14時のフライトまでお土産を買ったりタピオカを飲んだりした。
中国のタピオカというか、ドリンク全体が日本に比べると安くて質も高いのが印象的だった。300円くらいでめちゃデカサイズのタピオカやフルーツのドリンクが飲める。
最後に飲んだタピオカも美味しかった。
思い出が詰まったスーツケースを持って小走りしながら飛行機に搭乗した。
途中で妹が「持ってあげるよ!」とかっこよく言ってくれた荷物がだいぶ軽かった。それがおもしろくて爆笑してたら小走りで息切れしてしまった。
帰りの飛行機ではトランプをした。
じじ抜きしたらじじが判明する前に終わったし、たこ焼きも秒で終わったし、スピードは普通に危なかった。
インディアンポーカーをしても2人じゃつまらなかったので、結局互いに数字を当て合うゲームを我ら流でやってみた。
相手が「5」だったら、自分が思う「5」に対する印象を数字以外の言葉で伝えるというゲームだ。(そうこれは偏見で会話をするゲーム)
私が「5」だったとき、妹は
「大学だったら早稲田とか渋い感じ」
「高校だったら両国とか、小山台もそうかな」
「電車だったら山手線」
と言った。
すり合わせるのが毎回楽しくて、これを長いことやった。
家に帰ってスーツケースを広げていたら、父からビデオ電話がかかってきた。特に用がなかったようで、明らかに娘達が帰ってしまい寂しくなってると母が笑った。
スーツケースの中には、父がおいしいと教えてくれたお菓子が詰まっていた。
もらうだけもらって帰ってきてしまったなと思った。
楽しそうだった妹だが、
「私は、鎖国でいい。」
と、相変わらずドライなことを言っていた。
おわりに
母に「なにが1番楽しかった?」と聞かれた時、私は「妹と飛行機の中でトランプしたこと」と答えた。
私は、5つ下の妹と、普通に、友達みたいに、一緒に遊べたことがすごく嬉しかった。この旅行が良いものになってほしいと一緒に思えていた気がした。
家族旅行だからといって色々と甘えていたので、私はほぼノンストレスで旅をしていたけれど、もし中国に知り合いがいなかったらと考えるととても観光が難しい場所だと思った。
だからこそ、今回は貴重な機会だった。
この場を用意してくれた父と母、父の会社の仲間たちに感謝です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
また毎日の日記も再開します。
目指せ、文章ウマウマ人間。
おわり