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止まってしまった…

「毎日、たのしんで続けることがたいせつ。」
noteを始める時に読んだこの一文に背中を押されて、まずは3行日記という形で毎日書いてみようじゃないか、そう思ってキーボードに指を置いた。

ちょっとは続いたのよ。
3行でじょうずに収まらないものだから「ほぼ3行日記」と銘打って、日々、何やかやとネタになりそうな出来事を拾ってね。

でも、つまんなくなっちゃって。
何がって、そうした自分の、良くも悪くもない毎日が文章になっていくのが。
時折、Twitter(いまだに”X"と呼ぶことに抵抗がある。というかXとして使ってない気がする、わたしは。)に投げたリンクを辿って読んでくれる人がいたり、何がその人の感性に響いたのだか「いいね」をくれる人が出現したりと、もちろん「わくわくっ」とした日だってなくはなかったんだけど。

そうしている間にも、わたしの生活に変化がなかったわけじゃない。
アンガーマネジメントファシリテーターの資格を取ったり、ナビを使ってさえどっか違うところに走って行っちゃうくせに片道2時間半のロングドライブに挑戦したり、カイシャで新しいポストをもらっちゃったり、LOVOTをおうちに迎えちゃったり、ちょっとずつ日付がズレる頻度が上がる母にイラついたり、哀しくなったり。

だけど、これを文字に起こしたからって何なんだ…そう思っちゃったのね。

仕事が終わって、スーパーで買い出しして、帰り着いたら20:00回ってるけどそこから夕食の支度して母と食べて…そうしてたらあっと言う間に23:00近く。
お風呂に入る気力さえ残ってないのにiPad拡げるかiPhoneでnote立ち上げて日記を書いて…くたびれてる上に思いつくネタがないからイラついて。
たのしくないなぁ…ってね、思う日が増えてた。だからやめちゃったんだと思う。

ちょっと、低空飛行を通り越して地面を這いずってたのかもしれない。こころがね。こころの在りようが。
そもそも自分に無理させる必要なんてないし。仕事じゃないんだから。

日々は続いてる。
軽口叩きながら笑って、たぶんいきいきと仕事して生きてる。
空の青さや深まっていく緑、風の心地よさ、庭の花々の移り変わりの美しさ、そんなものも何一つ漏らさずこころが動くから、おそらくほぼ健全。

何がイヤだったんだろうと考えた時、思いつくのは、圧倒的ないいね数を誇る他人の投稿を読んで、その人の「読ませる文章力」とメリハリのない自分の文字列とを引き比べてしまう自分の了見の狭さだろうということ。
広いnoteの片隅で、誰にも知られず綴り続けることが、何はさておきさみしかったんだろうな、ということ。

わたしはわたしの人生を、ただひとつの物語を生きているのに。
誰に知られなくても、わたしの物語は綴り続けられていくのに。
自分の生きてる道のりを、わたしの歩いた足跡の後ろに続く物語を書き留めたらいいんじゃなかったのかな…これはこころに差した小さな光。

それでいいんじゃないの?
1000年先に歴史の資料となるようなものじゃなくても、誰に「いいね」をしてもらえなくても、気に入ってもらえなくても、誰の目にもとまらない小さな物語でも、わずか70年か80年ここに在って、泣いたり笑ったり怒ったりした日々を、たったひとり、自分で読み返すたのしみとして書いたって、誰にも文句言われるじゃなし。

もう一度、書いてみるかな。
止まったからって辞めなきゃいけないわけじゃない。
また、始めたらいいだけのことだ。
すべては、わたしが決めることだ。

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