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任意団体
娘の小学校からPTAの役員選出に関わる文書が届きました。
このA3のハンドアウトも大変な労力が割かれているのだろうなと想像されます。
(これまでの勤務校でのPTA事務局の方々が浮かびます…)
PTAはGHQの指導で、とか、保護者と教師が子どもの健全な発達を期して活動する任意団体で、とか取り沙汰されるようになってはきましたが、入学式後に保護者がみんな集まりいつのまにか入会しているということが多くあったと思います。
リンクの記事を先月見たような気がしたため検索したところ、「PTA、ボランティア、任意」のキーワードを含む記事がたくさん出てきました。
かつて「PTA、やらなきゃダメですか?」(山本浩資、2016)を読みました。
その中では、組織改変することや任意参加に方針転換すること、PTAをPTCにということが記されていました。
当時は子どもも未就学で、自身も分掌上は事務局から距離のあるところに位置していたので関心が薄かったのですが、にわかにこのトピックが再燃している印象があります。
(いつも断片的な情報を得ていてつながりが希薄…学び下手……)
我が上越市でも、いち早くPTAを廃止した学校や、学年代表だけを残して超縮小をかけている学校も出てきました。
小規模校に子を通わせる同僚は、毎年役がついてまわると言っていました。
今日、最も関心をもったのは動機づけの部分です。
「いままでPTAで担ってきた仕事はどうするんだv.s.そもそも担い手がいないなら縮減したらよい」
「学校と保護者の責任の住み分け」
の二項対立間のどの位置に自身を置くかというより、任意と強制の間に泳ぐ人々のワクワク感です。
取り上げられる成功事例には、任意の活動にしたところ参加者が大勢集まったと表現するものがあります。
ここに内在するものを見つめるとヒントが見つかるように思います。
現在私もいくつかの団体、集団に所属しています。意欲の高さ、コミュニケーションのとりやすさ、責任の大きさはどういう条件下で最大化されるのか、あたりをもう1年かけてしっかりと感じ取りたいと思います。
これは学校での授業や学級、職員室づくりにとどまらず、もっと地域に影響をもつものになる確信があります。