日本語の図案文字はどこから来たのか 第一回
「Japanマレー語経由説」をめぐる探索話を中途半端なところでストップさせてしまって早2ヶ月あまり。いったい何をやっていたのか?
実は年明けから始めた note でのおアソビ調べモノと併行して、暮れに立ち上がった仕事としての出版企画の方の調べモノがこの5月にブレイクスルーをみて、そろそろ一応は纏められるところまできたかな? という段階にいたったので、そちらの方に気が散って note もほったらかしになっていたのだった。
その企画のテーマは、というと、大正時代の終いごろから続々と刊行されるようになった描き文字デザイン、いわゆる「図案文字」についての話だ。
もちろん、これまでにもこうしたモダニズムの時代の描き文字についてはさまざまなご研究がある。
インターネット上で公開されている論考を挙げてみると、例えば旧大日本スクリーン製造(現SCREENグラフィックソリューションズ)サイトの「千都フォント(現ヒラギノフォント)サポート」のところで2005年暮れから連載された平野甲賀×川畑直道対談連載「描き文字考」
とか、意匠学会『デザイン理論』Vol. 37(1998年)掲載の西村美香「1920年代日本の映画ポスター」
、同誌Vol. 51(2007年)に載った竹内幸絵「雑誌『広告界』におけるタイポグラフィへの注目」
、崇城大学『崇城大学芸術学部研究紀要』第7号(2014年)の冨岡美栄子「大正期における『キネマ旬報』の時代性と図案文字」
など。
出版物では、『女性』『苦樂』誌などの美麗な出版物でしられる大阪のプラトン社を扱った小野高裕+西村美香+明尾圭造『モダニズム出版社の光芒』(淡交社 2000年)
、新聞の百貨店広告の変遷を追った宮島久雄『関西モダンデザイン史』(中央公論美術出版 2009年)
、「日本を代表する」描き文字の作例とその描き手45人を紹介した雪朱里+大貫伸樹『描き文字のデザイン』(グラフィック社 2017年)
(書影をご覧になりたい方は☟)
あたりがまず目につくところだろうか。
京都嵯峨芸術大学紀要委員会『紀要 = Bulletin』Vol. 29(2004年)
に載った西村美香「「キネマ文字」と新書体開発」という論文は、インターネット公開されていないので未見。だいぶ前の刊行物だから、国会図書館で眺めてくるか……。
こうした商業あるいは工芸デザインや書体デザイン史、そして広告デザイン史分野からのアプローチの論考を読んでみると、日本語の描き文字デザインのはじまりは、ほんの数人の天与の才をお持ちの図案家が生み出された作品群がおおもとで、あとは一般の図案家や商業家が欧米からもたらされた雑誌などのメディアを真似て描いていたところから発達していった、というようにみられていると受けとめられる。
しかし、「描き文字考」1の第1章「毛筆、ペン書き、そしてマウスへ」
で指摘されているように、明治期まではごく一部のデザイナを除いては「書き文字」に終始していたらしいのに、大正期に入ってからいきなり装飾「描き文字」集の本があらわれて、翌々年にはその増補版が出るほどの需要をみせる、というそのギャップを説明できるようなお話は、どうも一向に見当たらない……。
そこで、先学とおんなじ道を後追いするのは面白いとおもわない図版研としてはこの際、今までおそらく一度もちゃんと取り上げられたことのない分野の描き文字デザイン史について追っかけてみたい——これが今回の本を作りたいと考えている題材なのだった。
売り物の出版物そのものはヴィジュアルイメージをメインに据えて、文章はなるべく簡潔に済ませたい。そうでないとページ数がふえて印刷などの外注費が嵩んで、いきおい単価がつり上がってしまいかねないし、版下データ作成の手間も時間もかかってしまって、いつ出せるのか見通しがたたなくなりそうだ。
それに情報はなるべくひろく共有した方が、きっと面白い。「買ってくれない人にはアクセスさせない」などというケチな考えは棄てて、こまごました註釈・解説とか寄り道話とかは note 記事で公開してしまったらよいだろう、という方針になった。
で、いよいよ資料の写真を撮りはじめた先週になって、この企画とは直接関係のない大正期のすこぶる面白い資料を収蔵したのだが、それを覆刊する方を先にやろう、という話が突然持ち上がった。今年がその資料に関係する、とある話題の節目にあたることから、出すならば是非年内に! という判断になったというワケだ。
図案文字の本の方は別に急がないので準備は後廻しにすることになったが、でも note 記事の方はそれにあわせて延期する理由はないので、作業の合間合間に閑を見繕いつつ、この連載記事を書いていくことにした。
以前の連載のようには頻繁に更新できないかとはおもうが、ご興味がおありの方は気長にお付き合い願いたい。
最初の「図案文字」の本
大正十五年(1926年)三月、はじめて書名に「図案文字」という語を使った本が刊行された。
それが、この矢島週一『圖案文字大觀(図案文字大観)』(彰文館書店)だ。
それまでにも、日本語のデザイン描き文字を扱った書物がなかったわけではないのだが、タイトルにこの語を冠したものは皆無だったらしい。
特許庁意匠課『意匠制度120年の歩み』(2009年)
の第3部「意匠制度120年史年表」p. 277(PDF20ページ目)をみると、「デザインの変遷(国内)」列「1926/大正15/昭和元年」段「この年」項の終いのところに
と出てくる。
この後段☝についてはちょっと註釈が必要なのだが、それは後ほど触れることにして、まずはこの本の構成をご覧いただくとしよう。
かわいらしいデザインの本扉。被せ紙のパラフィン紙には、こまかい縦縞模様が入っている。
漢字篇は常用漢字と略字をカヴァーしている(らしい)。ころころした面白いデザインの標題文字が、バランスよくあしらわれている。
気合いの入った装飾の、小洒落たタイプフェイスの内題、その傍らにそっと添えられた著者名が「矢島太平洋」になっている。このペンネームは、結局このときにしか使われなかった模様。
仮名文字篇の内扉は、ひとつ前の漢字篇とは打って変わって、かな〜りかわいらしい感じ☆
お次はアラビヤ数字篇。題字といい絵柄といい、なかなか素敵な内扉。
添えてある飾り模様もステキ。
その後にはアルファベット篇。この内扉がまたかわいい。
雰囲気ぴったりのカットもしゃれている。
終いには大きな飾り文字アルファベット。
そして巻末には漢字篇の索引がついている。とはいえ、本文も画数順に排列されているのだから、単なる早見表ともいえる。字のよみなどで検索することはできない。
矢島週一『圖案文字大觀』の「増訂版」と「増補版」
さて、『圖案文字大觀』という大正末初版の描き文字集があった、たいへんな人気で続々版を重ねた、というお話についてはレトログラフィックデザインなどにご興味をお持ちの方々にはそれなりにしられていることとおもうのだが、この本の戦前ヴァージョンは三つある、ということについてはどこにもちゃんと語られていないような気がする。
私設図書館「図版研レトロ図版博物館」には、この本の初版のほかに昭和四年(1929年)八月の增訂六版
と、それから昭和十四年(1939年)八月の增補十一版
とがある。
前者
は外函欠けだが、装幀史を永年研究なさっているブックデザイナ大貫伸樹のブログ「装丁家・大貫伸樹の装丁挿絵探検隊」のだいぶ古い記事
に書影を載せておられる、昭和三年(1928年)十月增訂五版と同じものだったとおもわれる。
後者の奥附には、旧版の記載が省略されてなくなってしまっている
が、外函に「增補十版」と大書してあること
、序文の日付が「昭和十三年霜月」となっていること
からして、十三年の暮れか十四年の早い時期に再改訂がほどこされたことが見てとれる。
昭和初期の「増訂版」でどう変わったか
さて、ではまず昭和初期増訂版から、その中身を見較べてみるとしよう。
本扉の雰囲気は、初版とだいぶ変わった。被せ紙も無地のものに。
漢字篇の中扉には、収載字母と書体の具体的な数が書き込まれた。
なお、小口に取り付けられた見出し紙は元々ついているのではなくて、ご旧蔵者がお使いになりたい文字を探し出しやすいよう、画数ごとにおつけになったもののようだ。ご覧のとおりかなり使い込まれていて、見出しも破れてなくなってしまっているところが散見される。
内題のタイプフェイスは力強い雰囲気のものに替わり、校閲者の武田五一の名とともに著者名がご本名の矢島周一として書かれるようになった。
とはいえ、常用漢字集の中身自体は特に手を加えられてはいないようにみえる。☟最終ページのノンブルも「292」のまま、初版と変わらない。
仮名文字篇も数字が添えられた。図版はよりアカデミックな雰囲気を狙ったのか、漢字篇に近いイメージに変わったが……しかしこの石版に彫られているのは、カナモジじゃないよね?
扉は変わったとはいえ、中身は以前どおりのようだ。
アラビヤ数字篇とアルファベット篇がなくなって、ローマ字・数字篇に変わった。そしてこの内扉をめくってビックリ。
全く違う内容に挿し替えられているのだ。その大半は、共通デザインのアルファベットと数字のセットだ。
以前どおりなのは、最後の飾り文字のところだけ。どうやら、ここが「增補改訂」された部分とみえる。
昭和十年代の「増補版」ではどう変わったのか
今度は昭和十年代増補版をみてみよう。
本扉は刷り色違いくらいで、デザインは変わらず。被せ紙はシボ模様のものになっている。
常用漢字篇の内扉も変わらず。
その中身も一緒。
仮名文字篇も同じデザインの内扉、書体数も前と変わらないから中もやっぱりおんなじでしょ、とフツーは予想するよね?
めくって仰天、なんと二色刷りの全く違うデザインのものに。
でもって、カタカナひらがな合わせて百三体が、まるまる挿し替えされているのだった。じゃあローマ字数字篇も?
と期待するとみごとに肩透かし、こちらは以前とおんなじ。
こーゆーのを「增補」というのが適当なのかどうか、いささか疑問を禁じ得ない……ww
つづく。