日本語の図案文字はどこから来たのか 第五回
東京で『繪と文字の圖案化資料』と題した、現代人の目にはパチモン盛り合わせが八割みたいに映る図案+図案文字の本が堂々と売り出された二年後の昭和七年(1932年)、今度は大阪で十時柳江と同姓の図案家による図案文字集が刊行された。
十時惟臣の図案文字集
それが☟十時惟臣『創作圖案字體大展(創作図案字体大展)』だ。
判型は四六倍判の大型本。デザインの現場で頻繁に引っ張り出される実用書の常で、状態のよくないものが多い。これなどはまだ綺麗な方だ。
表紙や外函、本扉のデザインを目にしただけでも、その中身がいったいどんなものかワクワクしてきてしまうおしゃれな本だ。
発行は元文社 田中耕三郎。著者のことはまた後ほど、それからこの出版社については回を改めてくわしくみることにする。☟奥附ではタイトルが「創作圖案文字大展」になっている。
まずは中身をご覧いただこう。
目次の第一番目にある「商飾文字」という語はほかの図案文字集にはなく、目を惹く。
この章扉☝一ページからしてすでに、非常に高品位なお仕事集であることを如実に示している。描線がじつに美しい。
十時惟臣は自在にさまざまな便化の手法を駆使して描いておられるが、これをお手本にどんな文言もさらさら描きこなせるようになるには、相当のデザインセンスと腕前が要求されるだろう。
つづいて、「ひらかな」。
お次は「カタカナ」。
わけてもこの書体☝がしゃれているとおもうのだが、ここにある二十五文字しか描かれていないのが残念……。
終いに、「英字・數字」。
☟最後のところに実例集が雑じっているのは、やはり当時の図案文字集の例に洩れないようだ。
このあたりのデザイン文字はやはり「実例集」ではないかとおもわれるが、中には明らかに日本で描かれたとおもわれる例も混じっている。
さて、こうしてぱらぱら眺めてみると、なんだか全体的に十時柳江の作品とよく似た特徴が感じられないだろうか?
巻頭言には☟こう書かれている。
なんと、十時惟臣はこの本に先立って、既に図案文字集を公刊なさったことがある、と述べておられるのだ。
ただ残念なことに、そのタイトルが何かは書かれていない。
十時柳江は十時惟臣か?
ここで試しに、十時惟臣『創作圖案字體大展』と十時柳江『その儘使へる繪と實用圖案文字』とを並べて見くらべてみよう。
双方に出てくるおなじような文言のうちのいくつかに、よく似た特徴をもつ「図案字体」が使われているのがおわかりいただけるかとおもう。
しかし、いくら似ている作品がいくつもある昭和初期のすぐれたグラフィックデザイナー、しかもそれほどありふれているわけでもない同姓、両人の作品集の版元も大阪市内だからといって、「十時柳江と十時惟臣とは同一人」とただちに断じるのは、当時の図案界の「真似っこし放題」ぶりをおもえばあやうい。確たる証拠がない以上、あくまでも「その可能性がある」としかいえないだろう。
とはいえ、☝序文中の気になる一言「本書は私が先年出版せる圖案文字とは全くその趣を異にし」にいうところの既刊図案文字集に該当しそうな候補がほかには見当たらない、というのは、この十年あまりこの手の大正〜昭和初期出版物を探求しつづけてきた経験上からたしかにいえることではある。
十時惟臣のもう一冊の図案文字集
実は十時惟臣名義で、図案文字を収めた図案集がもう一冊出ている。
それが『圖案と文字(図案と文字)』というタイトルの、昭和十三年(1938年)に刊行された本だ。
判型は四六判で、菊判の『その儘使へる繪と實用圖案文字』よりも小型。
この図案集もよく売れたとみえて、古本市場ではときどき見かける。ただし糊付け函は針金函にくらべると壊れやすいからだろうか、函つきはあまりないようだ。
版元名がなぜか☝表紙や本扉では「祐文堂刊」、☟奥附では「發行所 松浦忠文館」となっているため、書誌データをどう書いたものか戸惑われる方が少なくないようだが、両社のことについては後ほどちょこっと触れる。
副題が「誰にも描けるポスター カツト 圖案文字」となっているが、☟巻頭言からしてもプロフェッショナルの図案家ではなく、素人向けのお手本として企画されたものであることがわかる。コピーして使うことが当然に前提となっている「素材集」の部類だ。
☟目次の項目をみると、「商飾文字」「ひらかな」「カタカナ」「英字・數字」となっていた『創作圖案字體大展』とはおおむね並び順が逆だが、構成そのものは踏襲されていて、その前後には新たに「ポスター」「カツト」が配されていることがわかる。
真っ先に載せられているのが、時局柄の影響があからさまなポスター図案。
ページをめくってみると、片面にしかポスター図案は置かれていないのに、見開きで版面がデザインされていることがわかる。ゼータクはステキだ♥
☟結局開催されなかった、昭和十六年(1941年)の東京オリンピックを意識したらしきものもある。
十時惟臣は、大阪市内を拠点に活動されていたグラフィックデザイナー、とみて間違いないだろう。
☟この章扉は明らかに、『創作圖案字體大展』で使われていたものと同じ。
しかし中身は、というと☝の左右ページ各下段や☟の左ページのふたつの書体のように、『創作圖案字體大展』には出てこないデザインのものがいくつもある一方で、省かれているものもあるから、単なる縮刷版とはちがう。
目次で「英字」と「數字」とが別立てになっていたが、ご覧のとおり双方を切り分けてレイアウトし直してある。
実例集のところも、一部入れ替えがみられる。
「カタカナ」章扉の裏面には、1ラフスケッチ→2下描き→3ペン入れ→4墨入れ、という作業過程が示されている(そういう説明文が添えてあるわけではないけれども)。
縞や網などの模様は省かれて、ベタ塗りになっているようにみえる。これは縮刷してラフな紙質に刷った結果、というだけのことなのかもしれないが。
☝文字に奥行きをつけたデザインは、前作には全くなかった新機軸だ。
ここの右ページ☟も本書描きおろしとみられるが、かなり異彩をはなつ図案化がほどこされている。
章扉はないが、最後にカット図案が収められている。
全般に軽快でしゃれた絵柄だ。全く古くささを感じさせない。
昭和初期に流行った和製アール・デコ調カットも、魅力的に描かれている。
それほどありふれているわけではない「十時」という姓、似通った作風、そして人並外れた伎倆とセンスのデザインワーク、しかも関東大震火災で東京が壊滅したのを期に一気に垢抜けた大大阪……いくつもの共通点をもつふたりのグラフィックデザイナー・十時柳江と十時惟臣、この両名になんらかの関係があるにちがいない、と考えるのは附会牽強だろうか。
それにしても「誰にも描ける」というには、お手本がハイ・レヴェル過ぎてちょっとハードル高いんじゃないの、って気もする……ww
つづけて祐文堂のこととか十時惟臣のほかのお仕事のことなども書こうかとおもったが、このひと月ばかり思いがけず色々と忙しくて記事執筆の中断があんまり長過ぎたので、ひとまずこの辺で投稿しておくことにしよう。