見出し画像

読書録「なぜ、脱成長なのか」

下記の本を読了しました。

私なりの要約(箇条書き)

  • 脱成長論=経済成長の追及をストップして、生活と社会の視点をウェルビーイングに置き直すことを主張する議論。

  • 脱成長が必要な理由は、環境破壊・不平等・搾取が、経済成長の追求と結びついているから。労働力や原材料を安価に手に入れることが、経済成長の基本であり、コスト・ダメージを未来の世代に押し付けている。

  • 経済成長をしても、貧困層はその恩恵をほとんど享受できないし、経済成長するほど、(気候変動等を通じて)貧しい社会の状況は悪化する。

  • 脱成長には、①物質使用量と市場取引の拡大を止めること、②成長なしでゆたかな生活を送ることのできる制度、人間関係、人を育てることが重要。

  • 具体的な改革としては5つ挙げられる。①成長なきグリーン・ニューディール政策、②所得とサービスの保障(UBS,UBI)、③コモンズ(共有財)の復権、④労働時間の削減(労働時間は環境負荷に結びつく)、⑤環境と平等のための公的支出(税制度や助成金の対象の見直し)

感想・メモ

SDGsのことも、持続可能な「開発」(≒経済成長)を目指している点で矛盾をはらんでいると指摘。これまでSDGsやESGを推進する立場であった身としては、自分の立場が揺らぐ思いがする。本書を読む中で、脱成長で社会が成立する根拠が不十分であると感じたものの、経済成長が環境破壊と結びついており、それをやめない限りは根本的な対処にならない(経済と環境の両立、などと生ぬるいことを言っていては、環境・平等・搾取の問題は解決しない)という点については改めて納得してしまったので、今後仕事において、自分の言行が一致させられるか、という点が不安。そもそも経済成長は豊か(ウェルビーイング)になるための手段であったはずが、今は目的化しており、多くの人がそのことに何の疑問も持っていないように思う。一方、個人単位でのスキルや知の高度化、成熟は、協同体への貢献レベルの向上という意味で、豊かさとは相反しないものだろうと考えているので、そんなことも心にとめておきたい。また、プライベートジェット機などを使って炭素排出をしまくる富裕層に言及があったが、1人あたりの炭素排出の観点で、年1回飛行機に乗って海外旅行にいくのは、どの程度のインパクトがあるのか、というのが気になったので、今度調べてみたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?