響鳴袋『ゴリラとピグミーの森』138-139頁

 さきに述べたゴリラの絶叫も、おそらくこの響鳴袋がひと役買っているのちがいない。そうでなければ、あの爆発的で、底力があり、しかも一種の余韻をもった発声の機構は、いかにゴリラの体が大きいといっても理解がつかない。わたしは、ゴリラの実際の生活において、この響鳴袋が、ドラミングかあるいはあの絶叫か、いずれにより大きく役立っているかという点は疑問だと思う。それからもうひとつ、メスたちが、やわらかいのどなどをたたいて、いったいどういうつもりなのだろう、と思っていたのであるが、これにはちゃんと理由があったわけだ。つまり、かれらは、あきらかに、響鳴袋の枝袋であるところの、あの蝶ネクタイの上をたたいていたのである。
 人間にも、この響鳴袋の痕跡があるということである。痕跡があるからには、うんと大昔には、それがもうすこしはましな姿で存在していたにちがいない。ゴリラはれっきとした森林の棲息者である。人間のタムタムも、今後の大森林にゆかなければ見ることができない。サバンナ地帯である東アフリカでは、一般にタムタムを用いないのである。するとゴリラにしても人間にしても、タムタムというのは、大森林と深い結びつきをもったものであるということになる。大森林の中では、巨木の幹から幹へと木魂して、タムタムの音はおどろくべく遠くまで響くのである。だから、大昔に、人間の祖先がこの袋を失ったのは、深い森を出たあとのことに相異ない。つまり、開けたサバンナでは、いままで耳でやっていた遠距離伝達を目でやるようになる。ところが、こうして袋を失ってしまった人間の一部のものは、槍や、罠の技術や、木を倒すなたや、のこぎりや、木を倒したあとに播く作物の種子などをもって、もう一度森の中に入っていった。全く視界のきかない森林の中で、かれらは失ったタムタムを、こんどはもう一度木をくりぬいて作らねばならなかったのだ。
伊谷純一郎『ゴリラとピグミーの森』岩波新書 1961 138-139頁

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