宿敵との死闘『高崎山のサル』講談社学術文庫 2010 355-358頁
高い頬骨、引きしまった顔面、茶色の染まった長く鋭い上顎の犬歯、そういった特徴は、ミミナシ以外の何ものでもないと私は思った。私が心の中で、ひそかに敬意さえ寄せていたミミナシの死を想定することは苦痛であった。あの孤独に徹した、しかも鋼のような強さを秘めた個性を、もう一度でよいから見たいと思ったりした。しかし、つぎの晩秋をまっても、ミミナシはついにふたたび現れなかったのである。
この頭骨が本当にミミナシであるとすれば、――それは十中八、九間違いのないことなのだが――いったいミミナシはどうして死んだのだろうか。老猿だとはいっても、老猿の徴候は全く見られなかった。むしろ、弧猿の通性として、群れのサルよりも毛のつやもよく、よりたくましくさえあった。ミミナシの突然の失踪が、何となく気になったのも、姿を消さなければならないような前徴がまるで見られなかったからにほかならない。病死でないとするならば、いったい誰が殺したのだろうか。それがもしサルだとするならば、可能性はただ一つしかない。このあとは、私の推測にならざるをえないが、おそらくは間違ってはいないであろう。
ミミナシは、宿敵ジュピターと闘ったに違いない。そして敗れたのだ。高崎山の群れの中には、ジュピターを除いて、ミミナシに単独で対抗しうるオスはいなかった。これは、多くの観察例が十分に保証してくれる。それから、一対一の生命を賭けての熾烈な闘争というものがニホンザルの社会にあるということは、ウシが現れたときにジュピターが命にもかかわるような傷を負って出てきたことからも推察しうる。この例のほかに、あと少なくとも一回、ジュピターは生命を賭した闘争をやっている。どこでだれとやったのかは明らかでないが、非常に傷つき、それでも全身の力をふりしぼるようにして、尾を立て威厳をもちこたえようとしていたのを私は見ている。
大きなオスザルの向こう傷は、そういった闘争の傷痕にちがいないと私は考えている。群れの中のとくに大きなオスたちの間では、この書物にも詳しく述べられているように、彼らの間の厳格な順位のために、通常闘争は避けられている。もしそういうアグレッシヴな関係が生じたとしても、ほとんどは一方的で、そういった場合には、やられた方はけっして顔面ではなく、首すじがか、背すじか、尻か、腰など、いわゆるうしろ傷を受ける。こう考えると、ミミナシの根もとからない左耳は、かつての面と向かった闘争の経験を物語っているといってよいのであろう。
ところで、この生命にもかかわるような危険を冒して、ミミナシはどうして執念深く群れに近づこうとしたのだろうか。ミミナシが、交尾期だけに群れに接近したということは、明らかに、群れのメスを求めてという性的な理由を考えることができる。実際に、彼はジュピターの目を盗んで群れの中心部に忍び寄り、遠くから発情したメスに対して、首を低め、口を突き出してそれを細かくふるわせ、せいいっぱいの秋波を送った。ミミナシはそのままくるりと向きをかえて群れから遠ざかるのだが、そのメスはまるで目に見えない糸にたぐり寄せられるように、やがて群れの中心部を出てゆき、ほかのサルたちの目のとどかない群れの辺縁部でミミナシと交尾をするのが見られた。これは、どの弧猿もがやる常套手段で、別にミミナシだけに限った行動ではない。
その後の多くの観察にもとづいて、もう一つ考えられることは、弧猿のほとんどはよその群れの出身者であり、長い放浪の末に新しい群れに接近し、その群れに入ろうと試みるのだということである。ところが、新しい群れのメンバーになるということは、けっして容易なことではない。難易と入り方とは、弧猿と群れの性格によってきまるであろう。一般に若い弧猿は、群れの周縁部のサルに屈服する以外に方法はない。自分よりもずっと年下のオスに馬乗りをさせ、徐々にその群れの中で生活を許容されてゆくのである。しかし群れの中心部を占めるメスたちは、よそものに対してはけっして寛容ではない。相当に年とったオスの中にも、この安易な道を選ぶものがある。
しかし、ミミナシにはそれができなかったにちがいない。その後の高崎山の多くのオスザルたちの去就の記録は、群れを統御するリーダーの地位にあるオスでさえ、忽然と群れを去ってゆくことが少なくないことを物語っている。ミミナシは、九州の中のどこかの群れで、かつてそういう地位にあったサルだったかもしれない。そして、その群れを離れて高崎山までたどりついたとき、彼は、自らが統御するにふさわしい立派な群れをそこに見出したのだ。しかし、彼が群れに加わるためには、ただ一つの道しかなかった。それは、ジュピターを倒すということだ。
伊谷純一郎『高崎山のサル』講談社学術文庫 2010 355-358頁