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ネット歴

自分のネット歴について書いてみようと思う。まず、この記事を書こうと思ったのは、感傷マゾ同好会という大阪大学のサークルの会誌を目にする機会があって、その中でインターネット・ノスタルジーという回で各々のインターネットの思い出を寄稿しているものがあった。それを見て、自分も昔からずっとインターネットに入り浸っている人間なので、過去を懐かしむ意味で書きたくなったから書こうと思う。たぶん、長くなると思うので、覚悟してください…

私が初めてパソコンを触ったのは小3のときで、2007年くらい?まわりの友達の中でYahoo!きっず、恐怖の館(ウォーリーを探さないでとか、怖いフラッシュが貼ってあるサイト)、おもしろフラッシュ倉庫などが流行っていて、友達と遊んだときに自分の家や友達の家で一緒にそのようなサイトを見たりしていた。ある日、yahoo!きっずにアボガドキッズというコミュニティサイトのリンクを見つけた。そのサイトは昔よくあったようなコミュニティサイトで、フラッシュゲームが遊べたり、掲示板やチャットルームで交流ができるものだった。名前も顔も知らない匿名の人と交流できるのがその頃の自分にはとにかく新鮮で楽しくて、掲示板やお絵かきチャット(以下絵チャ)にのめりこんでいった。親にペンタブを買ってもらって、絵チャでデジタル絵を描くようになった。絵チャや掲示板でもいつも来る人同士でコミュニティができていった。正直昔過ぎて詳細なことは覚えてないが、揉め事や気に入らないことがあると掲示板で荒らし行為をしていた。(まだ小学生のときだから許してほしい)居場所を失った私は新しい居場所を求めた。

たどり着いたのはアミーゴチャット(以下アミチャ)というサイトだった。アミチャではブログやホームページが作れるサービスがあったり、掲示板やミクシィのようなSNSもあった。その当時は同時期にふみコミュ、リヴリーなどが流行っていたと思う。どういう経緯でアミチャにたどりついたのかは思い出せないが、いつの間にかブログを初めていた。確か、ブログを作るのをりおという子に手伝ってもらった気がする。どこで知り合ったのかとかも全く覚えていないが…薄っすらとそんな記憶がある。ネットの出会いは一期一会ですね…。

それはさておきアミチャではほとんどの人たちがイラストを描いてブログに載せていた。その頃は、ホームページやブログ全盛期?の時代だった。到底見るに堪えないクオリティだと思うけど、それに合わせて自分もイラストを描いてブログで公開していた。アミチャのトップページには人気のブログランキングが載っていて、ランキングに載る人はみんな絵が上手な人たちだった。その人たちに憧れていた。私は友達がほしくて、同年代でもしかしたら仲良くなれそうな人たちに声をかけていた。

初めて仲良くなった子がSという子で、第一印象はとても絵が上手で、歳が一つ上で歳が近いのに言動がかなり大人びていた。SのつながりでSの友達ともたまに絵チャなどをしていた。Sに誘われてヨーグルティングというネトゲを初めてやったりした。Sとはとても仲がよく電話したり、文通したりオフ会することもあった。この頃はとても楽しかった。この頃印象に残っているのは、この歳で?ってドン引きされるかもしれないけど、Sに誘われて小6?にしてサンホラやボカロの同人誌即売会に行ったことだ。このことは鮮明に思い出せる。

サンホラのオンリーイベントでは、Sの友達のあかりさん(高校生、いつもアミチャのブログの人気ランキングに入っている、絵が上手くて憧れの人)、ひかりさん(高校生、この方も絵が上手い、見た目は少しギャルっぽい感じだった)、りょんさん(歌がうまかった、たぶん小学生?)、めろんさん(高校生、めろんさんという名前にちなんで?緑色のワンピースを着ていた。メガネにお団子が特徴的だった)、もえさん(高校生、可愛らしい)みたいなみんなアミチャをやっているメンバーで行った。最初に合流したときに自分とSは小学生というと、他の人たちは驚いた様子だった。そりゃそうだ。オンリーイベントに行ったあと、カラオケに行った。そこでもサンホラをみんな歌っていた。私はその時『Roman』というアルバムしか聞いたことがないにわかだったのでマイクを渡されてもあんまり歌えなかった(笑)りょんさんがハルヒのGod knows…を歌っていて小学生にしてすごく上手だったのだけは覚えてる。それにしてもみんな多彩だったと思う。こんな感じでこの時代のネットライフはかなり充実していた。現実ではというと、受験の時期にさえパソコンにのめり込んでいたせいで勉強をしなくて、偏差値低い学校に入ったけどまあ合格しただけ良かったと思う。

中学に進んでからは配信やネトゲにハマる一方だった。中学だから2010年くらい。その頃はペーパーマンというFPSのゲームにハマりはじめた。今はサービス終了してしまったが、当時はサドンアタックとかCSOと並んで結構人気のゲームだったと思う。ペーパーマンでクラン(MMOでいうギルドみたいなグループ)に入って、クランのメンバーと仲良く遊んでいた。クランのメンバーは自分みたいな中学生から高校生、大学生、社会人までいろんな立場の人がいて、様々な人と交流できるのが楽しかった。ペーパーマンでもオフライン大会がたまに開催されていて、秋葉原のベルサールやUDXなどにもクランのメンバーと一緒に観戦に行った。週末はネットカフェで誰でも参加できる大会が開催されることもあって自分も参加したことがある。また、クランのオフ会ではクランメンバーとBBQやスノボやテーマパークにも遊びに行ったりして、楽しい日々を過ごしていたと思う。ペーパーマンでできた友人では自分と今でも交流のあるメンバーもいて、クランのメンバー同士で結婚した人も中にはいた。結婚したい人はネトゲで出会うといいと思います。ちなみに、自分が昔所属していたクランのマスターが小学生を誘拐しようとして逮捕された。

それから、ネトゲをやってた時代と前後関係は忘れてしまったが、配信活動や歌ってみたにもハマった。イラストから声の活動にシフトしていってこえ部というサイトにハマったり、確かアミチャで知り合った友達がねとらじをやっていて誘われたか真似してねとらじを始める。

ねとらじというのは個人でラジオDJになってラジオを配信できるようなサイトだ。今は動画配信が主流だがねとらじは音声だけの配信で、したらば掲示板を貼り付けてレスを書いてもらうというスタイルだった。プロがやっているようなFMラジオを模してラジオ内で企画を作って、メールフォームでリスナーからお便りを貰ったりする形でやっている人もいて、やり方は人それぞれだ。ニコニコが流行る前にも声真似凸待ちなどが流行っていた。

ねとらじではリアルタイムでリスナー数が100人を超えると、3桁DJと言われて箔がつくというような共通認識だった。ねとらじを始めてすぐの頃は緊張で全然喋れなかったが、だんだん普通に喋れるようになっていって、最初は10人とか20人だったリスナーが配信するたびにどんどん増えていくのがゲーム感覚で楽しかった。自分もリスナー数が100人を超えたときは達成感があった。ねとらじでは、雑談とか最近あったこととか取り留めのない話をしていた。今は動画配信が主流だからもう音声主体は流行らないかもしれないけど、ねとらじにはねとらじの良さがあった。前の記事でも書いたが、ねとらじにもコミュニティができていて、リレーラジオや、歌企画、ねとらじパーティーナイトというねとらじ界隈の女の子だけが呼ばれるねとらじでは有名な企画があって、自分もそういうのに呼ばれて参加していた。

今も交流のあるねとらじの友達もいる。ねとらじで知り合った人と、その友達とロッキンジャパンというフェスにも参加したことがある。今思えば昔の自分かなり活発というかアクティブだったなーと思う。

私が中学生の当時はニコニコでボカロ全盛期みたいな感じで、自分もmixしてもらって歌ってみたなどをやっていた。今聞くと聞くに堪えない下手さだけど、中高生のときにこういう恥ずかしい黒歴史を残しておくと、後で見返したときに思い出して懐かしくなれるから良い。ねとらじは、やがてニコ生が流行りだして、ニコ生に人が流れていったと同時に廃れていった。

小〜中あたりが一番ネットにのめり込んでてリアルは二の次だったので現実の生活はボロボロでしたね、はい。

高校生からはあんまり特筆することはあんまりないかなぁ・・・。Steamのマイナーな洋ゲーにハマっていた。Steam内のゲームで知り合ったおじさん達にまだNA時代のシーズン3くらいの時にLoLを教えてもらった。それからは一時期LoLさわらなくなってはなんだかんだ戻ってきたりを繰り返して現在もたまにやっている。あとはサウンドクラウドのインターネットにあがっているインディーズの音楽を聞くことにハマっていて、好きなトラックメイカーやDJを見にクラブにも良く行っていた。

昔ゲームやってた頃はいつも自分がコミュニティの中で最年少で若いねって言われてたけど、今や自分が若いねっていう立場になってしまった・・・。昔はFPSやっててVALORANTとか今も流行ってるけど、ゲームに飽きたのか今はもうあまり昔と同じ熱量でやる気にはならない。おばさんになってしまった。今はあまり何も興味を持てなくなっていて趣味もなくなりつつあるので、またハマれることが見つかったらいいな・・・。みんなが今どういう歴史があってインターネットの海を彷徨ってるのか知りたいな。

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