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で、留学の本当の理由は?ロンドンで実際何やってたの?の真相


おかげさまで無事に留学を終えて帰国しました。
まずは、日本から応援してくださった方々、心からありがとうございました。

半年あっという間でした。
人生で一番くらい充実した日々でした。

差別や格差や自分の無知を肌で感じ
怪我や事故こそなかったものの
嫌な思いも悔しい思いも沢山しましたが

その何倍も、最高!!って叫びたくなるくらい素晴らしいことのほうが多かったです。

基本的に私は人間が苦手だと思って生きてきたんですけど (笑)
人との出逢いってやっぱり人生で一番大切だなって心から思いました。


世界中に数えきれないほどの友達ができました。

文化の違いを感じることはあっても
いじわるをしたり、悪口を言ったりと、生産性のない、人の嫌がることをしたりする人には一人も会いませんでした。

たとえ何かトラブルが起きたときも
英語が完璧に話せない同士でも、きちんと相手と向き合って話し合う、気持ちの良い人たちでした。


目まぐるしいほどの出会いと別れの毎日の中でも、特に、信頼関係を築けた仲間たち。


生涯の友達です。


大好きすぎて感謝しすぎてて大切すぎて
日本語で彼らをどう表現できるんだろう。

私のこれまでの「人付き合い」の概念を完全に覆してくれました。

陳腐ですが、「本物の友情」の強さと美しさを彼らに教えてもらいました。
親友なんて言葉を超越した、家族のような人たちです。

また、二つの国で素晴らしい恩師にも何人も出逢いました。

学校の先生たちだけど、一人ひとりかけがえのない友人達です。

出会った全ての友達が私を成長させてくれたと思っています。


さて、ロンドンで何をしていたのかの話です。


結論から言うと、大半の時間を、ひとりで過ごしていました。


友情の話のあとに、ひとりでいましたって唐突ですね。(笑)
どういうことかを順を追ってご説明しますね。


そもそも留学に行くときに、何のために行くのか、何を学びに行くのかをハッキリと言えなかったことを心苦しく思っていました。

色々な理由の複合だったため、自分の中でもハッキリと言葉にできなかったのです。

恥ずかしながら未だに実家に住ませてもらっていて、いい加減自立するべきではないか、生活力や責任感が同世代の人たちに比べて圧倒的に自分には欠けているのではないかという不安がありました。

少しだけど貯金も貯まったし、家を探そうか。では立地も環境も快適な親元を離れて、どこに住もうかと考えたとき、
頭に浮かんだ場所が、二年前に訪れてからずっと心に残っていたロンドンでした。

演劇は大好きだけれど、このまま続けて行って良いのか、自分は本当に誰かに必要とされている俳優なのかなどとぐるぐると考えはじめた時期でもありました。

思えば、高校を卒業してすぐに舞台芸術学院に入り、そのあとすぐに文学座附属の研修科まで進み、そのあとまたすぐにひっきりなしに小劇場の舞台に立ち続け、休むことなく全力疾走してきたような感覚があり、ちょうど少し息をつきたい時期だったんだと思います。
一度立ち止まってこれまでのこと、これからのこと、ゆっくり遠い国から見つめ直してみたかったのかもしれません。


そんなときに、ワーキングホリデー制度のことを知ります。
このくだりがまた長くなってしまうので割愛しますが(わかりやすく説明してくれているブログなどは山ほどあるのですが、そのうち私も自分の応募の経験などをまじえて記事にまとめられたらいいなと思っています。)、
その労働できるビザを取得して、とにかくただ海外に行くのではなく、そこで働いて生計を立てたいと思ったのでした。
英語力はゼロでしたが、自分なら大丈夫だという根拠のない謎の自信はありました。

で、めっちゃ簡単に言うと、
イギリスのワーキングホリデービザは大人気で、日本からは一年に1000人だけが「ロボットによる無作為の抽出によって選ばれる」んですね。
そして今年の1月、私はその抽出で外れてしまったんです。

最低でも半年、という数字はいつからかこだわっていたのですが、物価の高いロンドンに全く働かずに半年、は予算オーバーでした。

それでも、いつ当選するかわからないビザのために、ずるずると出発を延期することだけは嫌でした。

こうなったらもう、未来の海外労働に備えての純粋な語学留学としてとにかく半年行こうと決意し、そのためには、出発時期は変えずに予算に合う代替案を用意する必要がありました。


それが、謎の島国マルタに行くきっかけでした。

出会ったばかりの快活なエージェントのお姉さんに「久喜さんは絶対マルタ好きだと思う!」と謎に推され、お前に私の何がわかるんだと思いながらも調べてみたらヨーロッパだし英語圏だし治安も良さそうだし海も綺麗なリゾート地だし物価は安いし、前半の半分をマルタ、後半の半分を予定通りロンドンで過ごせば見事に予算内におさまるので、お姉さんは流石だなと思いつつ、三ヶ月だけマルタに行くことにしました。

ところがいざ出発が近づいてくると、
ひとりで海外に行くのも、思えばひとりで飛行機に乗るのさえ生まれて初めてで、英語は全くわからないし、ヨーロッパ、特にロンドンはテロが多いイメージがあるし、もし銃撃テロなんかに巻き込まれてしまったら小学生の頃ドッジボールでいの一番にボールに当たっていた私が銃弾から逃げ切れるとは到底思えないし(ジグザグに走ると良いというアドバイスを頂いたので、しばらくジグザグに走る練習もしてみたがあっけなく友人の輪ゴム鉄砲に当たったのでそれも辞めた。)、
無差別のアシッドアタックス(女性の顔に硫酸をかける犯罪)がロンドン市内で多発してるなんていうネットニュースまで読んでしまい(ちなみにこれはデマです。)、私はもしかしたら生きて日本に帰れないかもしれないと本気で思って震えていました。

人から借りっぱなしになっていたものを送付しまくり、中学、高校、専門、、とこれまでの各時代の友達に会って別れを告げ、持ち物を整理し、まるで「終活」のような春の日々でした。
これでもかというほど桜が舞い散っていました。

全然本題に行き着かないのでこれくらいにしますが、この時期のことも思い出深いのでいつか記事をまとめたいです。


さて、
もう二度と土を踏めないかもしれない母国にわんわん泣きながら別れを告げ、死を覚悟して旅客機に乗り込み、
乗り換えのドバイ空港で迷子になり、飛行機の滑走路付近を整備士に混ざって走って、怒られた挙句に高熱を出し、
アラブの謎の通貨ディルハムにびびって水も買えず(この行きのフライトのことも思い出深いのでいつか記事をまとめ以下略)、
なんとか辿り着いた春のマルタ共和国は穏やかで、宝石のような綺麗な島国でした。

ここマルタでもほぼ女子寮のようなフラットでの生活の中ですったもんだの愉快なトピックスは尽きないのですが
すでに予定よりもだいぶ長い記事になってしまっているため今回は割愛して、(ここまで読んでくださっている人がもしいたら本当にありがとうございます。)マルタでの語学学校について。


今回の語学留学に、自分で稼いでコツコツ貯めてきたお金をすべて注ぎ込んだ私としては、1円も無駄にするものかという強い意志は渡航前から持っていました。

とはいえ、前半のマルタでは、自分のペースでロンドンに備えようと少しリラックスしていました。クラス分けのオンラインテストを開始してすぐに誤操作で終了しまい、ほとんど回答できなかったのですが(回答できたとしても結果はほぼ同じだったと思いますが)下のクラスからでちょうどいいやぁ、と呑気に構えていました。

しかし、学校に通い初めてすぐに

どのクラスかは生徒間のステイタスに割と大きく影響する
(初対面の挨拶のあとすぐ「で、どのクラス?」と訊かれる。上のレベルのクラスにいる人の発言はみんななんとなく聞く雰囲気がある。)

という仕組み、そして

私は意外と多い日本人の中で1番下のクラス

という事実に気付き、私の負けず嫌いに一気に火がつきました。

結果的にこの負けず嫌いと、恩師、ニコラとチャーリーのイギリス人夫婦のお陰で私の勉強は劇的に捗り、
マルタを去る時にはクラスも上がり、周りから「今ではPico(私のことです)は今いる日本人のなかでダントツのトップだね。たった三ヶ月でここまで変わった人は見たことがない。」と言ってもらえました。

クラスが何度も変わったこともあり担任も4回変わったのですが、なかでも一番長く私の担任だったニコラと、最初の担任だったチャーリーは、ロンドンから来て今はマルタに住む英国人のご夫婦で、ロンドンが大好きで夏からロンドンに行くことを心待ちにしていた私のことを娘のように可愛がってくれて、ニコラと二人でズンバのレッスンを受けに行ったり、お宅の屋上でのヨガレッスンに招いてもらったりもしました。

そして何よりも、私は二人が話し、教えてくれたブリティッシュイングリッシュ(イギリス英語)の美しさに、恋をしたのでした。

(左から、ニコラ、私、チャーリー)

ロンドンの情報も沢山くれて助かりました。
またマルタに戻ることがあれば一番に会いたい二人です。

マルタにいる間に、二度のイタリア旅(ボローニャ、フィレンツェ、ベネチアとローマ、バチカン)と、ギリシャ(アテネとサントリーニ島)、もちろんマルタ国内もひとり旅をしたのでその記事もおいおい。
我ながら、三ヶ月前にはひとりで飛行機にも乗ったことなかったひとが当然だけど計画から予約から全て自分ひとりでやって、よくもまぁ成長したもんだよなァと思いました。

さて、話題はようやくロンドンに移ります。

相部屋だった寮から、ホームステイに環境が変わり、オウンルーム(一人部屋)も与えてもらいました。
寮とホームステイ、どちらも体験できたことも非常に良い経験だったのでいつか個別に記事に、、。


ずっと戻って来たかった街はやはり感慨深くて、全てが輝いて見えました。


学校初日、気合いが入りすぎて開校よりも早く着いてしまった私は、カレッジの前で話している二人の若い男女に出会います。

私と同じように早く来ちゃった生徒かな、、と思って近づいた瞬間、固まりました。

二人の話す英語の流暢なこと!
それもコテコテのブリティッシュアクセント!

どんだけレベル高いんだよロンドン!!!
と衝撃を受けながらも、レベルの高い友達は是非欲しいので、思い切って二人に話しかけてみました。

「あの、、もしかして、ここ(カレッジが開くの)を待ってる、、?」

すると女の子が愛想良く

「そうよ!会ったことないよね?もしかして今日が初日? 私はサラ。で、こっちがポール。よろしくね!」

と、ちゃかちゃかと明るく喋ってくれました。
ポールは優しく微笑んでいました。

「あ、私はピコです。よろしく。。
あの、あなたの英語、本当に綺麗。。びっくりしちゃった。ちなみにどこの出身なの?」

と訊くと

「え?イギリス!!!」

「、、、え?え?ちょっと待って、あなた英語を学ぶ必要ある??」

「あはは!私たち、先生よ!」

「え!ごめんなさい!!!」

これが私の大切な友達、サラとの出会いでした。(笑)

(COOL)

私の最初のロンドンの友達であり、生粋のロンドナーの彼女は、私のロンドン生活のキーパーソンとなります。
彼女とのエピソードの数々は絶対改めて書きます。とにかく大好きです!

この夏サラは下のレベルを担当していたので結局学校でサラの授業を受けることは一度もありませんでしたが(学校の外で大切なことを山ほど教えてくれた。)、ポールの授業は担任の休講で一度だけ受けました、神がかった素晴らしい先生でした。


初日のテストの結果、自分で思った以上に上のクラスからスタート。
きっと、チャーリー夫妻のおかげで好きになったライティング(作文)がやたらと良かったおかげで、
マルタでも最終的に上から4番目のクラスで卒業したのに、ロンドンでは上から2番目のクラスになりました。

ロンドンのカレッジはマルタと違って、実際に働きながら学校に通っている人が多く、一人ひとりが自立している印象でした。
そこがまた好きだなぁと思いました。

マルタでは寮から友達ができてそこから繋がっていったけど、この学校ではどうしようかなぁと思っていたら、クラスメイトの社交的なフランチェスカが、彼女が属する学校内のコミュニティグループに誘ってくれて、友達が一気に増えました。そしていつしか私もグループの中心メンバーになっていました。
フランチェスカ、ありがとうね。

私のクラスは当然、内容も周りの生徒のレベルも高く、刺激的でわくわくする日々が始まりました。

が、ひとつだけ問題がありました。


担任の先生のことをどうも信じる気になれなかったのです。

私より歳下なのに、ちゃきちゃきとして、サッパリしてて、教壇に立つ彼女を尊敬しました。が、、


サッパリしすぎて大ざっぱなところがあり、「その二人でペア組んで〜」とか言うときに、平気でハサミの刃をこちらに向けたり、するのは、先端恐怖症ながら頑張って耐えました、、

誰かが質問しても曖昧に流してしまう、のも、、うーんと思いながらもやり過ごしました、、

そもそも彼女はアイルランド出身で、英語圏ではあるけど、ブリティッシュのネイティブではない、というのは、実はとても残念で。人種差別をするつもりはないけれど、私はチャーリーやニコラのブリティッシュイングリッシュが大好きで、本場のロンドンでもっと極めてくるね!と二人に約束したのに、どうしてロンドンでアイリッシュの先生の授業を受けているんだろう、、と虚しくなる気持ちも、いやいや国籍ではなく、個を見なくちゃ、と自分に言い聞かせました。が、、


ある日、彼女がボードに「realize 」と書いたとき、私の中でプツリと何かが切れました。


音も意味も一緒ですが、
realize はアメリカ英語で、
realise がイギリス英語の綴りです。

多数存在する英米の綴りの違いは、チャーリーがこだわりを持って教えてくれたことでした。
意味通り、私は先生を変えるべきだと「気づいた」のでした。


仲良しグループのほとんどのメンバーは、私よりひとつ下のクラスにいて、彼らの担任、イボンヌの噂はよく耳に入りましたが、

全員が口を揃えて、
素晴らしい先生だ、
とてもクリアなイギリス英語を話す
イギリス英語に誇りを持っていて、正しく教えてくれる

と彼女を褒めていて、

ピコ!おいでよ!みんなで助け合ってるし楽しいクラスだよ。ピコが来ればもっと楽しいよ!

と誘ってくれました。

イボンヌはサラが最も仲良くしている同僚の教師で、学校外のパブでは少し話したことはあったのですが、トライアルとして授業を受けると、なるほど素晴らしい先生でした。

彼女の発音の美しさもニコラたちを思い出したし、なによりも「私は質問が大好きだから、何でも、いつでも、何回でも質問して良いのよ」と大らかに生徒に向き合うスタンスがとても好きでした。

生徒たちものびのびとしていて、

稽古場の空気は演出家が決めるように
教室の空気は教師が決めるのだな

と実感したのでした。

イボンヌのクラスに移動したい、と申し出ると、
今のレベルで問題なくついていけてるのに、わざわざレベルを下げるのはどうなんだ、と例のアイリッシュの先生も、学校側も心配してくれましたが、

人は
好きな人からしか
学ばない。

私の小学校の職員室の前に貼ってあった言葉を思い出しました。

日本の塾講師の人が、自分は名門の大学出身だと言って教えたクラスと、自分はそこそこの大学出身だと言って教えたクラスでは学力に差が出た(名門の大学だと言ったクラスが伸びた)というようなツイートも思い出しました。(うろ覚えですんません。)

でも、本当にその通りだと思います。
この人の言葉は信用できる、と思う人からしか、学ぼうと思えませんでした。

ちなみにサラは、なぜか会うたびに私の英語の発音が好きだと言ってくれて、ジャパニーズのカタカナアクセントの癖を恥ずかしがる私を勇気付けてくれました。

クラスを変えることを報告したときも、
レベルを下げる必要なんて全くないから驚いたけど、確かにイボンヌは素晴らしい先生だし、ピコが決めたことなら間違いなんてないよ。
と応援してくれました。

元々同じクラスだったフランチェスカもアイリッシュの先生の授業を全てキャンセルし、イボンヌとのプライベートレッスンに切り替えていました。

ほかの生徒たちからの不満の声も相次いだようで、私がクラスを移った数週間後、アイリッシュの先生は学校を去ることになりました。(もちろん辞職に至った真相はわかりません。学校側の対応だとしたら、私はちょっと気の毒に思うと同時に、かなり迅速で勇気ある対応だと思うのでますます学校への信頼度が上がるし、「彼女はもっと良い仕事を見つけて自分で去ったの。彼女、サバサバして見えるけど実はとっても繊細で可愛い人よ。」と言ったサラのことも大好きです。)

(サラ、私、イボンヌ、フランチェスカ)


イボンヌのクラスに移っていよいよ本腰を入れた勉強がはじまりました。

私のロンドンでの1日は
まだ暗い早朝に起きて、
熱いミルクティーで頭をはっきりさせて、
外食は高いので昼食のサンドイッチをつくって、
誰よりも早く学校へ行き、
一番自分が集中できる席に座って、
誰よりもガツガツ授業を受けました。
人の話も注意深く聞いたけれど、同じ学費を納めているなら、少しでも多く発言して、間違いを正してもらったほうが得だと思っていました。だから隙あらば話しました。
英語なんてappleくらいしか知らなかった私が、いつしか他の生徒からの文法の質問に、イボンヌが言葉を選んでる隙を見て割り込んで解説したりしました。それもスピーキングの機会と捉えていました。
(本当にガツガツしてたなぁって思います。それでも嫌わずに、むしろ頼りにしてくれたクラスメイトに感謝。)
私は上のクラスからレベルを落として移動してきたので、常にトップであるべきだという自負が原動力でした。

放課後に劇場に行って観劇するのは日々のとっておきのたのしみでしたが、毎日というわけにはいかないので大体週に1度。
ホームステイをしていたのですが、ホストマザーは少し神経質な人で、泊めている学生が夜遅くに帰って電気を付けることを嫌ったので、なるべく彼女の気に障らないよう、観るのは基本マチネ(昼公演)だけ。

ほとんどの放課後は、ひとりで図書館に行きました。
宿題をやり、毎日自主的に英作文を書いて担任の先生に添削してもらうことを自分に課していたので、ひたすら書き続けました。

いろんなテーマについて毎日書いていたら、ある日書くことがなくなって困りました。
なので、既存の日本語の文章を翻訳してみました。

そのとき、私は懐かしい感覚を感じて、驚きました。
それは、舞台上で演技をするときの感覚と、とても似ていたのです。


私は、俳優は、作家が書いた物語を自分の身体を通して観客に届けるのが役割だという考えを持っています。

文章を翻訳しているとき、主に頭ですが、時には自分の感覚的な部分や感情を通し、自分の持っている引き出しを駆使して、違う言語を使う読者に届ける、という感覚があり、それらはとても近かったのです。


私は翻訳に夢中になりました。

ヨーロッパに来てから耳が腐るほど訊かれる、「どうして英語を勉強しているの?」という質問への答えを、やっと見つけられたような気もしました。

(ちなみに、マルタにいたときにあまりに訊かれて面倒くさかったので「理由がないことをしては駄目なんですか」という題で哲学的なライティングをしたこともありました。)


どんなにライティングの調子が良いときも、ホストマザーの気に障らないよう、日没までには帰り、翌日に備えてすぐに寝ていました。
そんな日々でした。

(通いつめすぎて会員になった大英図書館。他にもお気に入りの図書館が4箇所くらいある。)

もちろん息抜きも必要だし、周りの友達と過ごす時間も大好きで、時々はランチやパブにも行きましたが、それさえもリスニングとスピーキングの実践の現場だと捉えていました。(笑)


そんなただの地味なガリ勉となった私に、
自分が女優であることを思い出させてくれたのが、サラでした。

友達として一緒に出かけていたある日、

「ねぇ知ってる?いつもハット被ってるちょっと変わってる先生、カレッジにいるでしょ。
彼、実は元俳優なの。いまはバンド活動と教師だけど、、。俳優仲間のつながりも多いと思うから、ロンドンの演劇界とピコを繋げてくれるかも。話してみたら?」
と教えてくれたのでした。

「でも、私の英語、、特にスピーキングは完璧じゃないし、ダンスとかならともかく、演劇は台詞があるし、言葉が資本だから。。まだ勇気ないなぁ。」と言う私に、サラは

「ピコの英語はすごく良いってネイティブの私がいつも言ってるじゃない!それに、まだ、、とか私なんか、、って言ってる間にチャンスは他の人に取られちゃうよ。みんなチャンスが欲しくてたまらないんだから。特にロンドンではね。
私できます。ってまずは言うの。チャンスをまず掴んで、それから足りてないところを埋める努力をすればいい。」

とぴしゃりと言って、いつもの笑顔でウィンクをしてくれたのでした。
(ニコラやチャーリーもそうだし、英国人がさらっとやるウィンクが私は本当に好きです。)


サラの言葉に背中を押された私は、
翌日、変わり者だと噂されているその先生、ビトに話しかけて、自分は東京で活動している舞台女優だと言いました。
ただ、帰国日程が決まっているので、仕事というよりも演劇を学べるワークショップやクラスを知っていたら紹介してもらえないか、と頼んでみました。

ビトはとても喜んでくれて、すぐに彼が知っている、私の予算に合った評判の良いアクティングクラスを紹介してくれました。ただ、厳しい講師だから覚悟してねと言われました。

びくびくしながら門を叩いたこのアクティングクラスが、また、私にとって、素晴らしい縁となったのでした。

このnoteを永遠に書き終わらなさそうなので割愛しますが、とにかく、アクティングクラスでは一番英語ができない私だったけど、クレイジーな難題にも体当たりで挑んだし、講師のポールにも、イギリス国内だけでなく世界中から集まった素敵な俳優たちにも認めてもらえて、仲間として迎え入れてもらえたと、胸を張って言えます。

台詞で使う言語が違うだけで、やらなくてはいけないことは、私がこれまで日本の演劇の現場や、師匠の有川さんから学んできたことと何も変わりませんでした。

一時期、もう辞めてしまおうかなとまで思っていた演劇を、

やっぱり辞められないなぁと思ったのでした。

ビト、ポール、クラスの俳優たち
そして背中を押してくれたサラには本当に感謝しています。


私がロンドンを去る前日、イボンヌと一緒に私のFarewell Partyに参加してくれたサラが、私と二人になったとき、


「初めて会った朝、私の英語を綺麗だって言ってくれてありがとう。ネイティブだし英語教師だし、話せるのが当たり前で、人から褒めてもらえることってないから、あれ、すっごく嬉しかった。」

と言いました。


サラがいつも私の英語を褒めてくれていたことを思い出しました。
あれは彼女なりの御返しだったのかもしれません。
でも私はそれによっていつも救われていました。

(私の学校最後の日の休み時間に、サラの教室に勝手に入って描いたサラの似顔絵)


本当に濃くて目まぐるしい半年間だったのでこうして振り返ると書きたいエピソードがまだまだありますし、これでも割愛しまくったのですが、私が何をしていたかはなんとなく伝わり…ましたかね?


沢山の時間を図書館で過ごし、基本ひとりでいましたが、孤独を感じることはありませんでした。
aloneとlonelyの違いって感じですね。
それくらい、満たされた日々でした。
私はロンドンにいるだけで幸せなので。必ず戻りたいです。

「どうせただ遊んでたんでしょ」と笑う日本の知人もいましたが、どれだけ頑張ったかなんて誰の物差しでも測れなくて、これからの自分の生き方で証明するものだと思っています。

大好きな仲間たちにまた胸を張って再会するためにも、
まだまだ、止まるわけにはいきません。

今回割愛したエピソードもいつか書きたいです。

超長文をお読みいただき、本当にありがとうございました!

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