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短編: 相棒へのRe

 神宮寺くん、お手紙ありがとう。同じ小説家として、君の言葉はとても心に染みた。
 お互いに小説を書くことに心血を注いでいる。だから、いちいち「小説家」と言う必要ないかもしれない。僕たちは小説を通して繋がっているのだから。

 そして、語弊はあるが、君とは肉親以上の間柄だ。だから、いちいち「ありがとう」なんて本当は言いたくない。他人行儀の響くかもしれないから。それでも、今回の手紙には感謝しているよ。

 君の手紙を読んで、自らの心に「三葉亭よ、お前は本当に小説を書きたいのか?」と問うてみた。

 我が内なる声はこう答えた。

「君は小説を『書きたい』と思っているのではない。『書かざるを得ない』のだ」と。

 僕は今まで、自由意思で小説を書いていると思っていたのだが、どうやら宿命らしい。

 別にカッコつけているわけじゃない。むしろ、その逆さ。押しも押されもしない名だたる文豪ならば、「作家であることが私の宿命だ」と言えばカッコいい。しかし、僕のような凡百な底辺を這っている小説家が同じ言葉を吐くと、ギャグのように響いてしまうね。笑うに笑えない笑い話さ。

 僕には、1行も文章を綴らない1日なんてない。そのときに沸き上がった感情を書かざるを得ないのだ。いい文章なのか、あるいは、そうではないのかなんて考えてはいない。だが、今、この瞬間に沸き上がった感情というものは、書いておかなければ一瞬で消えてしまうものだ。
 僕の書くほとんどすべてのことは、駄弁に過ぎない。次の日になって読み返してみれば、唾棄すべき駄文ばかりさ。

 ネットに短編小説を上げれば、数少ないとはいえ、反応してくれるファンはいる。しかし、それは僕の書いた小説に心をうたれたからではなく、単なる社交に過ぎないと思わざるを得ない。僕が書いた小説が駄文の集合体にしか過ぎないことは、僕がいちばんよく知っている。

 いつだったか、神宮寺くん、君も「小説を書くのは辞めようかな」と僕に語ったことがあったね。

 君も僕と同様に、時折、「辞めようかな?」と思いつつも、毎日のように書き続けているね。それは何故なんだろう?

 僕は、君のほうがよっぽど才能があると思っている。だから、君の書いたものを褒めることもある。毎日、毎日、君のことを褒めていたら、言葉が軽くなるような気がして、君が新しい小説を書くたびに君に声をかけるわけじゃないがね。

 君から見ると、僕のことは人気者に見えるのかもしれないが、それ以上に遥かにアンチのほうが多いんだ。君も知っているとは思うが。。。
 僕のコメント欄では絶賛しておきながら、他の人のコメント欄では、罵詈雑言を書きまくっている。

 なんだろうな?
 僕が自分の小説を書き始めた頃は、僕は僕自身のために書いていた。だが、嫌でも他人の評価というものは聞こえてきてしまうだろう?

 小説の価値とは、著者本人が自らが判断するわけにはいかないところがある。自分では自らの最高傑作だと思ってみても、まったく評価されないどころか、足蹴にされるだけのこともある。

 小説とは、一般的に他人が読むだから、他人に評価されなければ、やはり虚しさを覚えるよね。
 僕から見ると、君のほうが根強いファンが多いと思う。だが、君はいつも「私は書くのが下手だから。自分自身のために書いている」と言うことが多いように思う。
 君が書き続けられるのは何故なのかな?

 最後になってしまったが、なんか、いつも悪いね。
 いつも僕自身の悩み事を話しているだけのつもりが、話しているうちに君の才能への嫉妬ばかりになってしまって。

 こんな手紙、捨ててしまおうと思ったのだが、君にはウソをつきたくないから、このまま投函することにするよ。いつも迷惑ばかりかけてすまないね。
 寒くなってきました。お体にはお気をつけて。
 
 

2024/11/14
三葉亭八起




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山根あきら | 妄想哲学者
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします

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