神宮寺凌くんへ
遅ればれながら、明けましておめでとう。元気にしていますか?
私は年末年始も相変わらず、牛丼屋バイトをしていたよ。君はどうだったのかな?
風の噂に、君が小説を書くことに意味を見いだせなくなっていると聞きました。
私もね、「別に自分が小説を書かなくたって、すでに名作はたくさんある」と思ってみたり、「それでもう十分なのではないか?」なんて思ったりすることもあります。
自分の思いを伝えるために小説を書き続けることは「エゴに過ぎないのではないか?」と思ってみたり。
今の時代に読まれなかったとしても、小説を書いておけば、何十年か何百年後にでも誰かが手にとって読んでくれるかもしれないと、自らを奮い立たせてみたり。でも次の瞬間には、「そのときには私はもはや生きてなんかいない」とむなしさを覚えてみたり。
仮に、私の書く小説を「面白い!」と心底思ってくれる人がいたとしても、書いた本の売上が悪ければ、商業的には無価値だよね。
その一方で、ホントはちゃんと読んでる人なんかいなくたって、売れてしまう本があるかもしれない。
ある1人の人にとって掛け替えのない本。
代わりはたくさんあるけれど、多くの人が暇潰し程度に読む本。
いくら私が前者のほうが価値があると言っても、世間的な評価は後者のほうが高い。そんなことを思うと、やりきれない気持ちにもなる。
君の抱える問題と、私の抱える問題が同質のものかどうかはわからない。
君に宛てて書いたつもりが、自分語りに終始してしまいました。
とりとめのない手紙になりました。寒くなりましたね。お体には気をつけて。とりあえず私は「書くことが好きだ」という思いを大切にしたいと思います。
三葉亭八起
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