エッセイ | 県会議員選挙
来月、私の住む某県で県会議員選挙が行われる。家のポスト📪️に、候補者のビラが何枚か入っていた。
一応、選挙権を得てから、転居の関係でどうしても行けなかった一度だけを除いて、棄権したことはない(👺自慢するわけではないが👺)。
気分的にだが、国政選挙や知事選挙、市長選挙では、名前と顔が思い浮かぶが、市議会選挙や県会議員選挙は「誰がやってるんだっけ?」という感じである。
選挙権はいうまでもなく「権利」なのだが、地方自治体の議員選挙は「義務感」で投票に行っている。
国政選挙ならば、一応誰が当選したのか気になるが、その他の選挙では大番狂わせもなく、自分の投票した候補者の名前をかろうじて覚えている程度。しかも、すぐに忘れてしまう。
みなさんは県会議員が誰なのか、とっさに聞かれたら答えられるだろうか?
たまに地方局で、県議会がテレビ放送されることがあるが「なんか無駄だなぁ」というのが正直な感想である。県会議員なんかいなくても、知事のもとに市長・町長・村長が集まって議論すれば、それでいいような気がしてしまう。暴論だろうか?
誰かが「選挙に行ってない」と言ったら、「選挙は民主主義の基本だよ」と言いそうな人がいるが、行かないよりも行けばいいという単純なものだろうか?
なんとなく選挙くらいは行かないとなぁという漠然な思いで県会議員選挙を迎えそうである。たぶん、投票所に行くとき最後にポスターを見た候補者に入れるか、「どちらにしようかな」と指差ししながら決めると思う。真面目に考えても、不真面目に考えても大差ないような気がしてしまって。。。
それでも「ヨリまし」な人を選ぼうという気持ちは大切なのかなぁ。
だいだい公約というものは、一過性のものであって、実現したことのほうが少ない。選挙っておみくじ🥠みたいな側面もありますよね。選挙とは民主主義の根幹である、という主張には異論はないのだけれども。