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親愛なる者へRe

 神宮寺くん、お手紙ありがとう。相変わらずだね。元気そうでよかった。
 
 学校を卒業してしまえばね、偏差値だの、IQだの、そんなのは関係はない。学力は必要だと思うけどね。でもそれは他者との比較ではなく、自らの懐にしのばせておくものだ。

 私は語学は好きだが、教養というのは英語を話せることではない。
 たとえば、初対面の外国人に出会ったときに、握手にすべきか、ハグにすべきか、それともハローと言葉をかけるだけにしておくか、瞬時に判断できる能力だね。ホストである君が得意とするところじゃないないかな?
 君の店に初めて来た女の子の目を見て、なにを話すべきか透視するかのような。

 頭の良さを話題にするとき、偏差値やIQを持ち出して、ギフテッドだの、天才だと言うのは、過去の栄光を引きずっているからだろうね。
 
 この前、私の店に牛丼を食べに来た中年親父は、50を過ぎ、もう還暦間近だというのに、偏差値とかIQがあぁだこうだとか、幸福に生きるにはどうすべきか?、と話していた。僕は辟易したよ。

 中年になって、いまだに幸福論を語るのはね。。。もう人生の半分をこえる長さを生きているのだから、それなりにその人の「形」ってあると思うんだよね。

 なにを目的に生きるかは、自分で決める。それに尽きると思う。

 なのに、IQが20違えば会話が成りたたないとか、そんな話ばかりしている。それが元先生だと言うから聞いて呆れる。

 先生と教え子の偏差値やIQが大きく違うというのは、よくあることだ。たぶんそういう先生に限ってこんなことを言うのだろう。

「あいつはバカだから宿題をやってこない」
「俺の言った通りに勉強しないから、底辺をうろついている」とか。

 やる気のない生徒にやる気をもたせ、学力の不足している子を、いかにして引き上げるかが先生の仕事だよね。それが出来ない先生だったことを、自ら語っているその愚かさに気づかないアホぶりには、空いた口がふさがらない。

「指導力のない、役立たずな先生でした」と告白しておいて、まったく気がつかないのだから。僕に言わせればそういう奴ほど、どうしようもないバカだと思うがね。誰も話なんか聞いていない。
「あぁ、また始まったよ」と、しぶしぶ聞いている。僕も迷惑している。まるで、客寄せパンダならぬ客離れパンダだ。

 おっと、私としたことが口が過ぎたようだ。私は私の道を歩む。君は君の道を歩む。それだけだね。別の道を歩んだとしても、君とはまたいつか合流するよ、きっと。そんな気がしている。
 
 自分の人生だ。自分らしく生きる自分を許してあげよう。ときに、迷うことはあるけどね。

 じゃあ、またね。寒くなりました。体にはお互いに気をつけよう。


三葉亭八起





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山根あきら | 妄想哲学者
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