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哲学の否定神学的定義
哲学は学問ではない
哲学は宗教ではない
哲学は心を豊かにするものではない
哲学は人を幸せに導くものではない
哲学は数学ではない
哲学は教育されるものではない
哲学は万人が必要とするものではない
哲学は哲学書を読んでも学ぶことができない
哲学は知識ではない
哲学は人格形成のためにあるのではない
定義というと「AはBである」のように、「○○は✕✕である」の命題で示されることが多い。
しかしながら、「~である」とは必ずしもしも言えないとき、「~ではない」を積み重ねて定義する方法もある。これを「否定神学的定義」という。
以前、「時間」について否定神学的な定義をしたことがある。
哲学に限らず、「○○学」というのは定義が難しい。
たしか、経済学者のヒックス(『価値と資本』の著者)だったと記憶しているが、経済学の定義を問われたとき、つぎのように答えたという。
「経済学者のやっていることだ」
私はアカウント名に「妄想哲学者」を使っている。
作品や著書のない物書きは、作家といい難いが、著作のない哲学者はいてもいいだろう、という安易な考えに依る。
私は「哲学とは○○である」とは言えない。哲学者という言葉から想起する人は人それぞれ異なるだろう。
哲学者と言えば、私が思い浮かべるのは、カントであり、ソクラテス、プラトンであり、スピノザである。
ニーチェは個人的には哲学者だと思っていない。
たまに私の肩書きをみて、コメント欄で、ニーチェを持ち出す人がいるが、私はニーチェについて何も語ることはない。ニーチェは哲学者ではなく、文筆家だと思っているので。
・ニーチェは哲学者ではない。
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