うつ病の夫に感謝の気持ちを伝えるには
11月2日(月)。
世の中には今日、有給休暇を取って4連休にされている方も多いことでしょう。
うちの夫も休みました。・・・しかし無給で・・・。
今年、夫はすでに年給を使い果たし、有給で休める枠は一日も残っていないのです。
7月、8月のテレワーク明けの時期はすっかり家にいることが(お互いに)当たり前になり、わたしも「下手に出社して感染するくらいなら会社に行かないで欲しい」などとボヤいたりしていたため、夫は会社に行けなくなり、有給を使い果たしてもなお会社に行かない日々が続きました。
春から通い始めた心療内科のクリニックから「うつ病」との診断結果が出たのはその頃です。
来る日も来る日も”休み””休み”の毎日が続いたおかげで、9月の給料は大幅に減給され、大学生のバイト並みくらいしか入っていませんでした。
夏のボーナスと相殺されてなんとか支払うべきものは支払えましたが、余剰金は全く出ず。
その後「処方された薬が合ってるみたいで調子がいい」と言うようになり、9月、10月は驚くほど快調に、休みもせず出社していたのですが・・・
今朝夫が「今日は休みます」と言った時、この夏の悪夢を思い出し「まだ終わってなかった・・・」と思いました。
夫の病
夫には脳梗塞の後遺症があり、左半身に麻痺があります。
糖尿病という基礎疾患もあるため、コロナに感染してしまうと重症化する可能性が高く、寿命を縮めることにもなります。
会社は基礎疾患のある社員については「テレワークも可」としているのですが、古い体質のためか実際には「出社すべき」という風潮が強いらしく、テレワークを申請すると業務報告がやたら細かく厳しくなるんだそうです。
夫は「そんな面倒くさいことするくらいなら会社に行ったほうが楽なんだ」と言うので、わたしもそれ以上は言わないのですが、本当ならテレワークにして欲しいと思っています。
夫は、健常な人とは比べものにならないほど疲れやすく、体調を崩しやすく、歩行もおかしな時があります。
うつ病を発症した主な原因は、この基礎疾患からくるストレスらしいです。
健常な人のように動けない苛立ちやストレスが、本人の意欲を相当削いでしまっているようなのです。
一番影響を及ぼしているのは「平衡感覚の欠如」だろうと思います。
立っている時が一番大変だそうですが、フラフラして上手く歩けないのだそうです。
泥酔して酩酊状態になったことがある方ならわかると思いますが、夫の感覚は常にあの状態なんだそうです。
頭を起こしていても腰かけているときはそれほど感じないそうで、寝ている時など体を横にすると、酩酊状態はなくなるそうです。
だから朝から晩まで横になることができず、ずっとあのグラグラした感覚のまま過ごさなくてはいけない会社員生活は、それだけでもかなり辛いだろうなとは思うんです。
親密な時
とはいえ、家計を支えてくれているのは彼の毎月のお給料です。
わたしはしばらく前に会社を辞めて、現在は専業主婦のかたわら在宅起業を試みています。
早く結果を出して夫にも「会社を辞める」という選択肢をあげたい、と考えているのですが、未だ結果を出せていないのでそうとも言えません。
この不安定な状況を支えてくれている夫に、わたしはもっと感謝の気持ちを伝えないといけないはずなんです。
夫も「薬が効いて・・・」と言ってはいたものの、この2ヶ月がんばって会社に行ってくれたのは、貯金が底をつき始めた我が家の財政状況を理解したことと、なにより私の期待に応えようと思ってくれたからだと思うんです。
それなのに・・・
昨日、わたしは季節の変わり目に体調が追い付かなかったのか、風邪をひきました。
夕方、布団に入ってスマホを見ている夫の隣で少し横になって休むことにしたのですが、心配した夫が少し背中をさすってくれたのです。
「5時になったらご飯作るから、それまで休むね。風邪ひいたみたいだから」と言うと
「もう死ぬんですか?」と夫。
「うん」とわたしが答えると
「そうですか、お世話になりました」といつも通りの冗談が返ってきました。
「ほんとだよ!笑」とわたし。
そして5時になり、わたしは「がんばるぞー!」と言って、さっさと起き上がりました。
背中に感じた夫の、温かな体温と眼差しを振り返りもせず。
多分、とても親密な、大切な瞬間をわたしは不用意に手放してしまったのだと思います。
あの時わたしが「ほんとだよ!」ではなく
「こちらこそ。」と返していたら、もしかしたら夫は今朝、元気に会社に行けたのかもしれません。
「こちらこそ。」と返していたら。
なぜそうしなかったのか・・・
我ながら悔やまれます。笑
がっかりさせるつもりじゃなかった
あの時、夫の「お世話になりました」という冗談に「ほんとだよ!笑」と返した時、わたしの脳裏に浮かんでいたのは、夫のうっかりで割れてしまったわたしのお気に入りのカップでした。
夫のうっかりで床に落として壊してしまったアイロンや、母が遺してくれたガラスのグラタン皿のフタ、夫がうっかり入れてしまった漂白剤のせいで白っぽく変色してしまったお気に入りのブラウス(それも母の形見)など。
その他、夫と出会ってからのいろいろのこと・・・彼の「やってみなきゃわからない」とのモットーから「やってみたら案の定失敗」したあれこれ。
わたしに言わせれば「やらなくてもわかるだろ!笑」と思うようなことばかりだったいろいろを思い出し、「ほんとだよ!笑」になったんです。
だけど・・・
母が遺してくれた鉢植えや食器、ミニチュアなどを丁寧に手入れしてくれ、シーズンごとに引き出しから選び出して家中を飾ってくれるのは、わたしではなく夫。
母が亡くなって泣いてばかりいた頃、わたしの生誕年のロイヤルコペンハーゲンの母の日プレートを不意にプレゼントしてくれたのも夫。
母の石鹸置きの器が壊れて夫が捨てた時、大げんかになって私がヒステリックに騒ぐと、その後
「お母さんの写真を入れたらいいと思って」
と言ってアンティークの写真入れをプレゼントしてくれました。
「いろいろのこと」は、「他のいろいろ」によって相殺され、新しい思い出が上書きされていくものです。
わたしは夫の気持ちが嬉しいし、感謝しています。
そのことを伝えなきゃいけなかったのに。
「ほんとだよ!笑」なんて言ったけど、わたしは全部ひっくるめて夫が大好きなんです。
がっかりさせるつもりじゃなかったんです。
夫婦で良かった
若い頃、「結婚は人生の墓場だ」という言葉を聞いたことがありました。
「結婚は我慢と忍耐、妥協の連続」と言ってる人も何人も見ました。
だから、結婚なんてしないほうがいいんだ、と本気で考えていた時期もあったけど。
あの頃の自分に言ってあげたいです、「そんなことないよ」って。
「結婚って、すごく幸せだよ」って、教えてあげたい。
我慢も忍耐も、時には妥協ももちろん必要なんだけど、それ自体が結婚生活の醍醐味で、愛する人と一緒に苦労を乗り越えようとしている感覚が、言いようもなく幸せなんだと思うんです。
だから「結婚が人生の墓場」ってのは、何か間違ってると思う。
自分が本当に愛するひとと結婚すれば、大抵の苦労は乗り越えていけると思う。
その時「夫婦という関係でいられて本当に良かった」と思うと思うんです。
例えば昨日、ちょっと間違った一言で返してしまったわたしのように。
夫婦であることの幸せとは、彼への愛と感謝をどう伝えるべきか、じっくり考える時間があるということ。
そして、地道に伝えて行ける時間もあるんです。
それはお互いを人生の伴侶として信頼しているから。
こんなに充実した人間関係は、家族にならなければ持ちえません。
どうしたらいいかわからないけど
明日は文化の日でお休み。
明後日、夫が会社に行けるかどうかはわからないけど、ひとまずわたしの中では「幸せで元気な夫」の様子だけを繰り返しイメージしてみることにします。
多分夫は、自分の存在がわたしにとってどれほど尊いものなのか、確信が持てず不安なんじゃないかと思うんです。
だからちょっとした言葉や態度に傷ついてしまったり、意欲が削がれたりしてしまう。
言葉で言っても伝わらないと思うので、いつもと同じように楽しく接しようと思います。
そして何よりわたしが「早めに結果を出して、彼の心理的負担を軽減する」と。
あ~ほら、またやる気が湧いてきました。
今日もがんばります。