ステアラには蒼空がよく似合う
天伝をみた。ステアラで、天伝。配信はもちろん履修済み。いわゆる刀ステもとりあえずは全部いちどはみた状態、で臨んだ天伝観劇。2月末の東京の空は青くとてもきれいだったけれど、それ以上に寂しくて、その寂しさの正体を直視するのが怖かった。
今回、ローソンチケットがわたしに刀ステのチケットを用意してくれた。ごくごく普通の抽選で。びっくりした。でもありがたかった。通常なら取れない。貴重なチケット。いそいそと入金した。そわそわと飛行機チケット購入手続きも済ませた。でもそこからが大変だった。緊急事態宣言発出(東京)。飛行機の欠航決定とそれに伴う飛行機チケット再購入。行けるのか?行って良いのか?そもそもいま観劇に行くことの意味とは?等々の不安、葛藤。前日まで悩んで迷ったけれど、結局わたしは豊洲のステージアラウンドに辿り着いた。羽田空港からモノレールで天王洲アイル。りんかい線で有明に出てゆりかもめに乗り継ぎ市場前で降りるとそこは、大坂冬の陣。江戸なのに、大坂。
ステアラは素晴らしかった。すごい舞台だった。力強く激しく厳しくてかなしい。今回、つくづく思ったのは「そうか歴史は男たちのものということだな。時の政府も、審神者もみんなみんな男で、そして自分たちだけが歴史をつくり、まもり、改変できると信じている」ということだ。いくさのただなかでの強引な改変チャレンジ。それを阻止するための戦闘は血湧き肉躍る瞬間だ。でも本気で改変したいなら歴史上の「そのひと」を、その存在のこの世にあらわれたときに遡って消せば良い。いやむしろ生まれぬようその母親を斬れば良い。でも、刀剣乱舞の世界には、母親がいない。本当に俺は父の子か?と思い悩む人間がいて、まぼろしの父に生き延びて欲しいニセ者の息子がいる。
その物語を必要としているのは誰か。そう考えたら、かなしみやくるしみがいっそう募った。この物語を欲しがる自分たちは、なにかが過剰で何かが欠けている、多分。
三日月宗近はおそらく気づいている。歴史には経糸と緯糸が必要だ。緯糸こそが必要だ。円環なんかじゃない歴史を三日月宗近は探し続けているように、わたしには思える。无伝。高台院さまが、じつは過去に跳んだ審神者だったらどうしよう。或いは。物の心を励起する技を持つ稀有な存在で、時の政府より何百年も前に三日月宗近を励起してしまっていたらどうしよう。こわいかんがえがとまらない。待つことしかできない。无伝。存在しない物語、のなかで三日月宗近がうまれたならそれは。その三日月宗近は何処へ行くのか。
太陽がしずむころ、西の低い空に見つかる三日目の月。三日月。夕紅の士とは三日月宗近のことなのだと既にわたしたちは、知っている。
宵になり真夜がきてしまう前に三日月宗近をつかまえて離さない誰かの、その手を、待っている。
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